喪中映画評「昭和枯れすすき」

☆☆★(5点/10点満点中)
1975年日本映画 監督・野村芳太郎
ネタバレあり

現在喪中であります。喪失感以上に罪悪感に苦しめられております。為に理解もままならない状態で鑑賞したり、頭が整理できないまま書いたものは“喪中映画評”というタイトルとし、他の映画評とは区別することに致しました。そんな状態で映画評などと称するのも甚だ失礼とは存じますが、悪しからず。なるべく早く自分である程度納得できるものが書けるように努めます。

ハードボイルド作家結城昌治の小説「ヤクザな妹」を新藤兼人が脚色、野村芳太郎が映像化したドラマ。タイトルは僕が十代半ばの時に大ヒットした演歌からで、映画の中でもこの曲が繰り返し使われている。

刑事・高橋英樹は、母に失踪され父に事故死された後東北から上京して懸命に面倒を見て来た妹・秋吉久美子が洋裁学校を止めて、ヤクザの下条アトムと付き合っていることを知り、縁を切るように説得する。下条には風俗店で働く内縁の妻・伊佐山ひろ子がいる。さらに過去に捨てられた資本家の御曹司・松橋登とも妹が付き合っている事実も知る。こちらの彼は正式に結婚した妻がいる。
 やがて下條が絞殺され、近くに妹が松橋から贈られたネックレスが残されていた為、高橋は妹、内縁の妻、下条から脅迫されていた御曹司のうちの誰かが犯人であると睨み、他人の手で逮捕されるよりはと妹を留置所に閉じ込めてしまう。

法律等色々と堅苦しくなった現在の感覚では理解しにくいところがある。刑事が自分の妹を守る為とは言え、あれほど極端な個人プレイに走った挙句に勝手に妹を留置場にぶち込む、というのは当時としてもどうかと思うし、まして現在ではまるでどこか異国の物語のようだ。

天涯孤独に生きて来た兄妹の異様とまで言える強い愛憎をテーマにして、1970年代に流行した四畳半フォーク的なウェットさを表に出したタッチは決して悪くない。「トウキョウソナタ」のように他人どころか家族の心にさえ入って行かない人々が溢れている現在ではなおさら、この古臭い人情が身に沁みるところがある。

寧ろ映画として気に入らないのは、allcinemaで某氏が指摘しているように、お話の展開を台詞に頼り過ぎていること。そのおかげで上映時間が90分を切っているが、余韻が足りない。

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