映画評「告白」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2010年日本映画 監督・中島哲也
ネタバレあり
僕にとって後味の悪い映画のNo.1は「ファニーゲームU.S.A.」だが、昨年度キネ旬で邦画批評家投票で2位、ファン投票では1位を獲得したこの話題作も、中島哲也の監督作品としてこれまでの印象と違って異様に陰鬱たる作りであるし、途中までは前述作に匹敵すると思いながら観ていたが、最後まで観て(実は途中から)考えを変えた。
ある中学の終業式の日、1年生の担任・松たか子が突如壮絶な告白を始める。自分が学校に連れて来ていた幼い娘がこのクラスの二人によって殺されたことを告げる。名指しせずともその二人は誰かクラス中に知れ渡る。
警察が事故と判断したその事件は、自分と自分を捨てたまま会えずにいる母親以外は全て馬鹿と思っている西井幸人君が自分の発明した盗難防止機でその娘を感電させ、彼を唯一の友達と思い込んでいる藤原薫がプールに投げ込んだ、というのである。そして彼女はこの二人にAIDSで死んだ夫のHIVに感染した血を飲ませたと告げ、西井君は再会を求める母親に注目される要素ができたと喜びつついじめの対象となり、藤原君はそれにより引きこもりになり遂には母親・木村佳乃を殺してしまう。
西井君は自分の発明が殺人に比べれば無に等しいことを知って、“命”に関して一等賞を取った作文を発表した後携帯に接続した爆弾で皆を爆死させようとするが、事前にそのことに気付いていた松たか子は爆弾を彼の母親の事務所に仕掛ける。少年はあれほど再会を願っていた母親を自らの手で殺すことになる。
僕が途中まで気分を悪くするほどまでに感じていたのはこれが現実社会に限りなく近いフィクションとして観ていたからだ。教育を軽んじ、学校や教師を軽んじ、生命を軽んじる恐るべき中学1年生たちに戦慄したのである。
が、関係者の告白が一巡して再び松(元)先生の告白が始まった頃から「おや、これは復讐を描いた娯楽作品ではないか」と思え、少なくともそれまで感じていた精神的な重苦しさは霧消した。
で、最後まで見ると彼女が西井君に母親を殺させた、という告白が“嘘”にしか思えなくなり、良い気分になったとは言えないが、“第4の壁”を破ってまでフィクション性を強調したにも拘らず不愉快さのみが残った「ファニーゲームU.S.A.」と違い、文字通りの復讐ゲームだったのだと思えば割合出よく来た娯楽作の一本に数えて良いかもしれないなどと思ってもいる。
と言いつつ、爆発は実際に起きたのかもしれないし、好きな映画などと言う気は毛頭ないが、リアリティのみを云々してこの作品を語るのは好評でも酷評でも間違いではないかと思う。恐ろしいのは本作ではなく、こんな小説が書かれ(原作は湊かなえ)、映画が作られなければならない社会的要因が背景にあるという事実なのである。
2010年日本映画 監督・中島哲也
ネタバレあり
僕にとって後味の悪い映画のNo.1は「ファニーゲームU.S.A.」だが、昨年度キネ旬で邦画批評家投票で2位、ファン投票では1位を獲得したこの話題作も、中島哲也の監督作品としてこれまでの印象と違って異様に陰鬱たる作りであるし、途中までは前述作に匹敵すると思いながら観ていたが、最後まで観て(実は途中から)考えを変えた。
ある中学の終業式の日、1年生の担任・松たか子が突如壮絶な告白を始める。自分が学校に連れて来ていた幼い娘がこのクラスの二人によって殺されたことを告げる。名指しせずともその二人は誰かクラス中に知れ渡る。
警察が事故と判断したその事件は、自分と自分を捨てたまま会えずにいる母親以外は全て馬鹿と思っている西井幸人君が自分の発明した盗難防止機でその娘を感電させ、彼を唯一の友達と思い込んでいる藤原薫がプールに投げ込んだ、というのである。そして彼女はこの二人にAIDSで死んだ夫のHIVに感染した血を飲ませたと告げ、西井君は再会を求める母親に注目される要素ができたと喜びつついじめの対象となり、藤原君はそれにより引きこもりになり遂には母親・木村佳乃を殺してしまう。
西井君は自分の発明が殺人に比べれば無に等しいことを知って、“命”に関して一等賞を取った作文を発表した後携帯に接続した爆弾で皆を爆死させようとするが、事前にそのことに気付いていた松たか子は爆弾を彼の母親の事務所に仕掛ける。少年はあれほど再会を願っていた母親を自らの手で殺すことになる。
僕が途中まで気分を悪くするほどまでに感じていたのはこれが現実社会に限りなく近いフィクションとして観ていたからだ。教育を軽んじ、学校や教師を軽んじ、生命を軽んじる恐るべき中学1年生たちに戦慄したのである。
が、関係者の告白が一巡して再び松(元)先生の告白が始まった頃から「おや、これは復讐を描いた娯楽作品ではないか」と思え、少なくともそれまで感じていた精神的な重苦しさは霧消した。
で、最後まで見ると彼女が西井君に母親を殺させた、という告白が“嘘”にしか思えなくなり、良い気分になったとは言えないが、“第4の壁”を破ってまでフィクション性を強調したにも拘らず不愉快さのみが残った「ファニーゲームU.S.A.」と違い、文字通りの復讐ゲームだったのだと思えば割合出よく来た娯楽作の一本に数えて良いかもしれないなどと思ってもいる。
と言いつつ、爆発は実際に起きたのかもしれないし、好きな映画などと言う気は毛頭ないが、リアリティのみを云々してこの作品を語るのは好評でも酷評でも間違いではないかと思う。恐ろしいのは本作ではなく、こんな小説が書かれ(原作は湊かなえ)、映画が作られなければならない社会的要因が背景にあるという事実なのである。
この記事へのコメント
この映画、世間的に大絶賛されていますが、個人的には「3点」でした 苦笑
正直、私的『後味が悪過ぎて二度と観たくない映画TOP5』を塗り替える程の不快さ以上に、生理的嫌悪感を感じたのは「ある種の陳腐さ」かもしれません。
同じように苦手だった「リリィ・シュシュのすべて」は客観評価では7~8点と思うくらい、完成度高かったと思うのですが、本作はサントラにRadioheadや、ジム・ジャームッシュの「リミッツ・オブ・コントロール」にも使われたBorisの曲(→http://www.youtube.com/watch?v=XeSwal4jqyk)を使用しているセンスも、どこか「あざとさ」を感じてしまって。
映画の映像タッチは椎名林檎の「ギブス」PVみたいでしたし。(→http://jvideo.info/videos/1285/)
どこか既視感のある、ダークアート的テイストをふりかけた映像や音楽に、刺激的なエグイ残酷シーンの連続、それでいて「でもこれ、リアルじゃなくて、復讐ゲームだよ」・・・と耳元で囁いていくるような「作り手の姿勢」が、私には陳腐に感じられました。
でも超・個人的な嗜好の問題かもしれませんので、なんとも言えませんが・・・
口直しに「地下室のメロディー」を再観賞しちゃいました 笑
参加された女性(私と同年輩)Sさんと先日
映画館でバッタリ会った際、本作の話題が出ましてね、
「告白」っと私が題名言った途端に
Sさんから(彼女は当地映画サークルの重鎮&
山田洋次の大大大ファンでございます)この私も
驚くほど強い語気で
「私、今までかつてこんなキライな映画に
あったことない!!」と言い切りました~(笑)
TBさせていただきました。
風邪のほう、大事に至らなくて
ほんとうにようございましたね。
割り切って観ることができれば、ちょっと凝った娯楽映画なんですけど、僕が案外割り切れたのは「ファニーゲームUSA」という強烈に後味の悪い作品を観たせいかもしれません。あの映画にカタルシスを感じたという訳の解らない御仁もございましたが(しかもテーマの理解を間違えて)^^;
こういう作品は極力作られないのが望ましい、とは思います、はい。
>「リリィ・シュシュのすべて」
ああ、あれは苦手だった。確かに映画的には良いのだけど、本当に気分が悪くなってしまった。
後味が悪いという意味ではないですが、アニメ「火垂るの墓」と「誰も知らない」は二度と観たくない作品です。
>山田洋次監督作75年「同胞」でエキストラ参加
そう言えば、十瑠さんは「男はつらいよ」シリーズの一本にエキストラ出演されたのだとか?
彼の映画における家族観を愛する人にとっては、そうでしょうね。
その方は「ファニーゲームUSA」はとても観られそうもないですねえ。
この作品の嫌な感じとは違うのですが、人はいかに楽しみながら他人を殺せるかというのがテーマでしたから。
いずれにしても、今後本作を観ることはないでしょう。僕の場合、原作の方にもっと嫌悪感を持ちそうです。
ひきこもり状態になった少年は、「エクソシスト」のパロディみたいになっていて、そういえば「積み木崩し」もそうだったし、いつのまにかああいう表現が定番化してるのでしょうか。
黒い笑いを感じさせる映画なんですけど、小さい子供が殺されたり、病気をネタにされたりしててしまうと、観ていて不快感が強烈で、おもしろがれなくなってしまいますね。
小説や映画は現実を反映するものですから、残酷でも残忍でも仕方がないのですが、後味は良くして欲しい。苦い味でも良い。何とも言えないすっきりしない後味だけは勘弁して欲しいというのが正直なところで、本作は途中から純文学ではなくゲーム感覚で観れば良いのだなと思えたものの、残る後味はやはり良くないんですね。
仰るように、小さな子供とか特殊な病気などを素材にすると、作り手がどんなに娯楽性を強調しても容認しがたい部分がでてくるのも人間として当然の感情なのでしょう。
そう言えば、今世間を騒がしている大津いじめ事件も、人間の弱さを感じるいや~な事件ですし、ネットで加害者をバッシングする書き込みをする人も加害者と同じ類の人種であるような気がして、何ともやりきれなくなります。