映画評「『通夜の客』より わが愛」

☆☆★(5点/10点満点中)
1960年日本映画 監督・五所平之助
ネタバレあり

井上靖の小説群は、自伝的小説、歴史小説、そして現代ものという3タイプに分けられ、そのうち自伝的小説は愛読したし、歴史小説もかなり読んだ。現代ものと言われるものは「猟銃」「闘牛」「氷壁」「射程」くらいしか読んでいないが、その読んでいない一つ「通夜の客」をベテラン五所平之助が映像化したメロドラマである。

終戦直後に新聞記者を辞めて3年間鳥取の山の中に引っ込んでいた佐分利信が上京した時に急死し、その通夜の席に家族の知らない若い女性・有馬稲子が訪れる。
 彼女は所謂愛人で、通夜からそそくさと帰った宿で酔えないやけ酒を飲みながら、戦前17歳の時に柳橋で知り合い、戦中気まぐれに関係を持った後、戦後妻子を顧みず農業と執筆活動の為に山にこもった彼を追って同居を始め、3年の月日が経った今日までを回想するのである。

フェイド、ディゾルブといったオーソドックスな手法で場面やシークエンスを繋いで地味ながらしっかりと構成されている一方、かなり通俗的な仕立てだが、山に籠ってから映画的にぐっと良くなる。自然が周囲にあるせいか五所監督の特徴である叙情性がぐっと引き立ってくる印象を覚える。

特に、愛人ということで最初は冷たい目で彼女を観ていた村人たちが、無縁仏の墓石を掃除したのを知って態度を急変させるところなど、村人の愚直な素朴さが良く出ていて妙に感心させられた。現代の人間や町の人間では変な印象になるだろうが、良い意味での封建的な感じが大変面白かったと言うべきかもしれない。

そして、山に身辺整理に戻った彼女は、死んだはずの彼の眉がぴくっと動いた時に感じた疑問を解くのである。彼は「ありがとう」と言いたかったのであり、私は彼を愛し尽くしたのである、と。

ドラマとしては当時の水準くらいの出来映えであろうし、全体として格別に面白味があるわけでもないので、星はこの程度に留めるが、昔の邦画が好きな方なら一見の価値あり。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2011年07月13日 09:18
純文学とか自伝というのは、小説とは認めがたいところがあるので観ませんが、愛人という存在は男女を問わず、妬みとやっかみの対象のようですね。
オカピー
2011年07月13日 16:11
ねこのひげさん、こんにちは。

>純文学
ねこのひげさんは私小説のことを仰っているのでしょうかなあ。
それ以外の純文学はある時期までは小説だったと思いますよ(笑)。
私小説以外の純文学が大きく変質したのは日本では戦後でしょう(日本以外に殆ど私小説はないので、この表現は少々変ですが)。
いずれにしても、物語はなきに等しい私小説や昨今の観念的な純文学は滅多に映画にならないですね。

>愛人
うちは両親も、僕自身もそういうのに縁がなかったから、想像するしかありませんなあ。
大昔、好きだった人が同僚にモーションを掛けられたと聞いた時は嫉妬した記憶があります。似たようなものでしょうか(笑)
ねこのひげ
2011年07月14日 06:13
そうです。私小説のことです。
銀座でどうたらこうたら・・・女を口説いてどうたらこうたら・・・
高校あたりから日本の小説も映画も観なくなりました。
オカピー
2011年07月14日 11:13
ねこのひげさん、こんにちは。

確かに、外国人は日本の私小説とエッセイの区別ができないと言いますし、日本の文芸評論家の中にもかなり私小説を小説とみなせるか懐疑的な人もいらっしゃいますね。

僕は私小説より、観念的になった現代文学は読む気が起こりません。
大衆小説は映画化されることを想定して手を付けて来なかったですし、所謂純文学は読んでいても退屈しそうなので、これまた手に取ったことはありません。
だから、戦後(純)文学は井上靖や初期の三島由紀夫くらいしか読んだことがないです。僕らの時代、井上靖の自伝的小説は中学の教科書にも取り扱われ、大人気。本を読む人間なら一度は通る道という感じでしたなあ。

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