映画評「瞳の奥の秘密」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2009年アルゼンチン=スペイン映画 監督フアン・ホセ・カンパネラ
ネタバレあり
スペインとの合作とは言え、先月の「アルゼンチンタンゴ」に続いてまたアルゼンチン映画だが、シリーズとリメイクと類似作品でお茶を濁しているハリウッド映画に見習って貰いたいような洒落た作品である。
定年で裁判所を退職したリカルド・ダリンが、25年前に関わった美人教師殺人事件を素材にした一種の恋愛小説を書こうと思い立ち、久しぶりに上司で今は女性検事となっているソレダ・ビジャミルを訪れる。
1974年若い女性教師が殺される事件が起きる。ダリンらはパーティーの写真でいつも被害者を見ている男ハビエル・コディーノが犯人である可能性が高いと注目する一方、ダリンは悲嘆にくれながらも駅で犯人探しを続ける夫パブロ・ラゴに強い印象を覚える。
コディーノはソレダの陽動作戦に嵌って自白して逮捕されるが、終身刑で服役中かと思いきや政府の転覆(ペロン大統領の死去、ビデラ将軍のクーデター)による恩赦で釈放されて新政府に都合のよい人間として雇われていることが判明すると同時に、こちらが軍事政権に不都合な人間として命を狙われていることを知り、首都から離れて暮らすことになる。
というのが事実に則り彼が小説に書いてきた内容というわけで、現在と過去の交通整理がきちんとは行なわれずぎこちないところもある(これは小説だから全てが客観的事実ではない、と読むこともできる。すると却って興味は増す)が、お話への興味を失くすほどではない。寧ろ、近年の作品としては上等の部類と言いたいくらい。
やがてお話が現在の一本に絞られ、ダリンは25年ぶりに被害者の夫ラゴを訪れ、“言わぬが花”の秘密を知るが、彼の愛情の深さに感銘したダリンは遂に愛を告白する為にソレダの許に駆けつける。
被害者の夫が妻の為に取った行動に勇気を貰って、主人公が相手に感じ取られながらも秘めていることになっている愛を告白するまでの一種の恋愛ドラマを、愛の要素が沈潜するサスペンスとの内容に絡めながら進行させたのが洒落っ気の所以で、特に、壊れてAが打てないタイプライターで打った"temor"(怖い)に手で"a"を加えると"te amor"(愛している)になる言葉遊びで上手く締めてくれるのがゴキゲン。
フアン・ホセ・カンパネラなる人物は脚本まで共同で書いて、なかなかやります。
そして、またアメリカがリメイクを作る(かも)。
2009年アルゼンチン=スペイン映画 監督フアン・ホセ・カンパネラ
ネタバレあり
スペインとの合作とは言え、先月の「アルゼンチンタンゴ」に続いてまたアルゼンチン映画だが、シリーズとリメイクと類似作品でお茶を濁しているハリウッド映画に見習って貰いたいような洒落た作品である。
定年で裁判所を退職したリカルド・ダリンが、25年前に関わった美人教師殺人事件を素材にした一種の恋愛小説を書こうと思い立ち、久しぶりに上司で今は女性検事となっているソレダ・ビジャミルを訪れる。
1974年若い女性教師が殺される事件が起きる。ダリンらはパーティーの写真でいつも被害者を見ている男ハビエル・コディーノが犯人である可能性が高いと注目する一方、ダリンは悲嘆にくれながらも駅で犯人探しを続ける夫パブロ・ラゴに強い印象を覚える。
コディーノはソレダの陽動作戦に嵌って自白して逮捕されるが、終身刑で服役中かと思いきや政府の転覆(ペロン大統領の死去、ビデラ将軍のクーデター)による恩赦で釈放されて新政府に都合のよい人間として雇われていることが判明すると同時に、こちらが軍事政権に不都合な人間として命を狙われていることを知り、首都から離れて暮らすことになる。
というのが事実に則り彼が小説に書いてきた内容というわけで、現在と過去の交通整理がきちんとは行なわれずぎこちないところもある(これは小説だから全てが客観的事実ではない、と読むこともできる。すると却って興味は増す)が、お話への興味を失くすほどではない。寧ろ、近年の作品としては上等の部類と言いたいくらい。
やがてお話が現在の一本に絞られ、ダリンは25年ぶりに被害者の夫ラゴを訪れ、“言わぬが花”の秘密を知るが、彼の愛情の深さに感銘したダリンは遂に愛を告白する為にソレダの許に駆けつける。
被害者の夫が妻の為に取った行動に勇気を貰って、主人公が相手に感じ取られながらも秘めていることになっている愛を告白するまでの一種の恋愛ドラマを、愛の要素が沈潜するサスペンスとの内容に絡めながら進行させたのが洒落っ気の所以で、特に、壊れてAが打てないタイプライターで打った"temor"(怖い)に手で"a"を加えると"te amor"(愛している)になる言葉遊びで上手く締めてくれるのがゴキゲン。
フアン・ホセ・カンパネラなる人物は脚本まで共同で書いて、なかなかやります。
そして、またアメリカがリメイクを作る(かも)。
この記事へのコメント
『瞳の中の秘密』となっていますが『瞳の奥の秘密』ですよね。
もし何か意味があっての事でしたら大変失礼しました。^^;
単純な間違いです。
体調不良で、注意力散漫のようです。
ご指摘有難うございました<(_ _)>
洒落ていましたねぇ。
映画を見終わったあと、余韻に浸れました。
役者もみんなよかったなぁ。
全員が結果を知っている八百長試合を見せられているようで・・・・
映画は、どんなに技術が進んでも、手作り感というものが、大事なような気がします。
『スターウォーズ』など、監督自らが、あっち直しこっち直ししているようですし、『猿の惑星』もまた作られました。
最初の衝撃というか感動が傷つくからやめて欲しいです。(--〆)
体調に触るような映画だと嫌だなあと思いつつ見始めましたが、全くそんなこともなく楽しめました。殺人が絡むのは仕方がないですねえ^^;
アルゼンチンの役者なんて全く知りませんが、良かったですねえ。南米では映画を作っているのはブラジルとアルゼンチンくらいで、特にアルゼンチンはそれほど数は作られていないでしょうに「オフィシャル・ストーリー」とか立派な作品を作りますね。
何年か前に僕はある人に「2020年頃には“映画”はなくなっているのでは」と申したことがあるのですが、ハリウッド映画の何割かは僕にはもう“映画”ではなくなっています。
コンピューターで絵を作り、コンピューターで編集では緊張感も薄いです。フィルムで撮り、手作業で編集した時代の、緊張感をもって作られた映画がやはり本物ですよ。
アクションも実際の人間がやっていますから、観客に緊張感が伝わって来る。
最近は美しい風景も実写かどうか考える始末で、実写だったら撮影監督を誉めたいけど、CGが絡んでいるのではないかと素直に誉めることもできない。
CGの技術自体を否定する気はありませんけど、作者がどうも怠慢になっている気がする。
それとは少し違う話ですが、そもそもNGを笑いにすること自体が昔は考えられなかったですね。
恐かったぞ~、黒澤明は(笑)。
>『スター・ウォーズ』
確か第3作は大きな改変があったようで、今観られるのは僕らがリアルタイムで見たのとは違うようですね。
>『猿の惑星』
僕は最初の一本だけで良いと思っているのにその後4本も作られ、21世紀つまらないリメイクが作られ、また“新作”ですか。
全く芸がないったたありゃしない。
マイペースで流してくださいよ~。
劇場鑑賞して、先日再鑑賞しました。さらにさらに二人の胸の奥の言葉が伝わってくる。主人公の秘めた思い。殺人事件の犯人探しと被害者の夫、そしてアルゼンチンの階級社会。死刑制度。これらを織り込みながら主軸はぶれていない。上手いですよねぇ。この監督の作品で日本未公開の「華麗なる詐欺師たち」を先日CSで観ました。こちらもなかなかに上手い。面白かった。ソダーバーグとジョージ・クルーニーがほれ込んでハリウッド・リメイクしたそうだけど、リメイク版は以前、これもCSで観たことあるけど、ほとんど覚えてないから面白くなかったんでしょう。欧米先進諸国は社会が熟れすぎて鈍感になってきていて、なに作ればいいのかさえ見えないのじゃないかな?
でもつくりが上手い。
主人公の一人はリカルド・ダリン。彼はなかなかに芸達者。
先日、台湾に旅行したとき機内で読もうと買った池波正太郎さんのエッセイ集で、最近のテレビドラマはやっつけ仕事が多いことについて書かれたものがありました。
…そんな中でNHKの「事件記者」などはやはり見応えがあると。それは俳優にしても、脚本にしても、演出にしても一つのドラマに(年期>をいれているのと同じことになるからだろう。
演出家の多くはカメラワークとか、前衛的な音響効果とか、そんなものにおぼれてしまって、そんなことにうき身をやつすことが<新しい>のだと思っているようだ……
39年に書かれたというのも驚きで、最近の映画がまさにそうだなぁって思いながら読んでいました。
池波正太郎も映画好き、とりわけフランス映画好き、ジャン・ギャバンが大好きな方だったんですね。
お邪魔しました(ペコリ)
町山智浩氏風に言うと、特にハリウッドは製品しか生めなくなっている。今の人はそれでも満足でも何十年も昔から観ている人はそんな誤魔化しの作品は通じない。
それは池波正太郎さんが仰ることに通じると思います。僕はまだ彼の映画に関する文章をまともに読んだことがないのですが、一部だけ読んでも映画が好きだったことが解りました。カメラワークは観客に効果的に解りやすくためにあるのであって、自分の満足の為にあるのではありませんよ。だから凡庸であって良いわけはありませんが、そこを理解していない作者・評者が多いのでは?