映画評「クレイマー、クレイマー」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1979年アメリカ映画 監督ロバート・ベントン
ネタバレあり
この映画が公開された頃はこの手の地味な映画でも十分話題作になったもので、貧乏学生の身分としては二番館に降りるまで待つことにしてお涙頂戴「チャンプ」との組み合わせで観たものだが、男性たる僕は現実を反映したこちらに断然涙を誘われた。
宣伝マンとして出世街道を驀進しようとしていたダスティン・ホフマンが妻メリル・ストリープから突然離婚を宣言され、7歳になる息子ジャスティン・ヘンリーを押し付けられ出て行かれてしまい、子供の世話に追われて仕事が不調に陥り首を言い渡されたところで、妻から親権を巡って裁判を起される。
仕事がなくては裁判に勝ち目がないので一日で仕事を探し当てるシークエンスにはこちらも思わず緊張してしまうが、結局裁判には負ける。が、メリルは引き取る日に彼のアパートにやってくるものの「息子の家はここだ」と言って引き取らないことを宣言、息子に逢いにだけ行く。
人間、大事な人と離れて初めて自分のことと相手のことが解る、というのは僕が最近実感したことであるが、本作のメリルも正にその通りの人生を歩む。ホフマンの父親にしても母親のやっていたことを理解するうちに息子との絆を深めていく。離婚が急増した70年代、アメリカ社会の変化を背景にそうした人間というものの姿が見えてくる。
恐らくそれが主題ではないが、21世紀の家族再生とは違う次元の人間再生劇をそこに観る。30年前に覚えた涙とは違う感動を覚えた。いずれにしても男女のどちらが何を担当しようが構わないが、これから結婚する人はそう簡単にその関係を変えない心構えをもって結婚しなさいと言いたくなる。
社会性に話を戻すと、本作には女性の社会進出が無縁ではない一方で、社会が情を持つ人間に厳しくなっていった時代の作品であることを痛感する。原告の弁護士がホフマンに問う、「あなたは幼稚園に行って仕事に失敗しましたね」と。どちらが親としてふさわしいか裁判をしている時に親としてふさわしい行為をしたことが親としての責任を放棄したと問われるのである。会社も法廷も親としての本来の情を判断材料にしないのでる。これほどの矛盾もないだろう。これが1960年代以前ならホフマン氏が勝つという展開になったにちがいない。
ロバート・ベントンは脚本家・監督として良い作品を幾つか作るが、この作品が監督としての出世作。「プレイス・イン・ザ・ハート」も素晴らしかった。
友人役のジェーン・アレクサンダーを含めた主演4人がいずれも好演。あの可愛かったジャスティン君も今年で40歳だそうです。
1979年アメリカ映画 監督ロバート・ベントン
ネタバレあり
この映画が公開された頃はこの手の地味な映画でも十分話題作になったもので、貧乏学生の身分としては二番館に降りるまで待つことにしてお涙頂戴「チャンプ」との組み合わせで観たものだが、男性たる僕は現実を反映したこちらに断然涙を誘われた。
宣伝マンとして出世街道を驀進しようとしていたダスティン・ホフマンが妻メリル・ストリープから突然離婚を宣言され、7歳になる息子ジャスティン・ヘンリーを押し付けられ出て行かれてしまい、子供の世話に追われて仕事が不調に陥り首を言い渡されたところで、妻から親権を巡って裁判を起される。
仕事がなくては裁判に勝ち目がないので一日で仕事を探し当てるシークエンスにはこちらも思わず緊張してしまうが、結局裁判には負ける。が、メリルは引き取る日に彼のアパートにやってくるものの「息子の家はここだ」と言って引き取らないことを宣言、息子に逢いにだけ行く。
人間、大事な人と離れて初めて自分のことと相手のことが解る、というのは僕が最近実感したことであるが、本作のメリルも正にその通りの人生を歩む。ホフマンの父親にしても母親のやっていたことを理解するうちに息子との絆を深めていく。離婚が急増した70年代、アメリカ社会の変化を背景にそうした人間というものの姿が見えてくる。
恐らくそれが主題ではないが、21世紀の家族再生とは違う次元の人間再生劇をそこに観る。30年前に覚えた涙とは違う感動を覚えた。いずれにしても男女のどちらが何を担当しようが構わないが、これから結婚する人はそう簡単にその関係を変えない心構えをもって結婚しなさいと言いたくなる。
社会性に話を戻すと、本作には女性の社会進出が無縁ではない一方で、社会が情を持つ人間に厳しくなっていった時代の作品であることを痛感する。原告の弁護士がホフマンに問う、「あなたは幼稚園に行って仕事に失敗しましたね」と。どちらが親としてふさわしいか裁判をしている時に親としてふさわしい行為をしたことが親としての責任を放棄したと問われるのである。会社も法廷も親としての本来の情を判断材料にしないのでる。これほどの矛盾もないだろう。これが1960年代以前ならホフマン氏が勝つという展開になったにちがいない。
ロバート・ベントンは脚本家・監督として良い作品を幾つか作るが、この作品が監督としての出世作。「プレイス・イン・ザ・ハート」も素晴らしかった。
友人役のジェーン・アレクサンダーを含めた主演4人がいずれも好演。あの可愛かったジャスティン君も今年で40歳だそうです。
この記事へのコメント
訴訟社会のアメリカに多い裁判映画ですが、確かにこの映画の一昔前なら、別の結果、別のオチが考えられますね。
それと、人間再生劇の受け取り方が当時と今では違っていたというのも同感ですね。
TBした記事も6年も前のもので、今見るとまた違う感想を持つかも知れんです。
そのままホフマン氏の勝ちでは洒落っ気が足りないので、一旦メリルの勝ちにして洒落た付帯条件を付けるような終り方になるのが昔風ですかね。
当時は男性の立場としてホフマン氏の立場になって涙を流したものですが、今回観たら女性側の立場もちょっと解った気がします。
同じ映画でも年齢、時代で印象・感想も変わりますね。
女性の家事労働を給料に直すと、いくらいくらという話がおきたのもこのころかな?
「結婚しない女」といった映画が作られたともこの頃で、日本でもキャリアウーマンという言葉が流行り出した頃ではないですかね。
今ではキャリアウーマン自体が差別用語らしくて、全く面倒臭い時代になりました。
数年前に再鑑賞して、まだまだ若かった公開当時はメリルずるいって思ったけど、いったん捨てたんなら潔くしろよって思ったけど、いろいろと人生を経験して観てみると、夫と妻のそれぞれの思いが深く見えてくる。そこに絆を感じ取れるかどうかなんですよね。人って子育てする中で親になっていく、大人になっていく…こんな当たり前のことが若い時は見えているようで見えていなかった。そんなことも思うクレイマークレイマー再鑑賞の記事をTBしますね。
結構有名な映画を避けてきたところがあるんですよ。
30年前に観た時に僕もヒロインに怒ったし、女性社会進出に反対なんて馬鹿なことも書いたけれど、そこに関しては大いに考えが変わりました。
今回は仰るように彼女の気持ちも解ってきました。ただ、家族全体の幸福を考える時、結婚する時に決めたことを簡単に変えるのは、特に子供にとっては不幸なので、十分考え抜いて欲しいなあと思いましたね。