映画評「ドッペルゲンガー」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2003年日本映画 監督・黒沢清
ネタバレあり
黒沢清はホラーというジャンル映画を通して人間心理を掘り下げていく作家だと思うが、時々一人合点な内容になって難渋になる傾向がある。
ドッペルゲンガーとは一言で言えば自身若しくは他人が分身を観る現象で、自分の分身を観た場合はその直後に死ぬというドイツの伝説がある。これをテーマにした最初の映画はハンス・ハインツ・ハーヴェルスの小説を1913年に映画化したドイツ映画「プラーグの大学生」である。その後1926年に再映画化されているが、こちらは僕も観ている。
医療器具開発メーカーの開発者・役所広司は自分の意志通りに動く人工人体を完成間際にしながらスランプに陥り、ある時自分と同じ姿の人物を観る。会社を首になった後、分身の彼は気真面目な本物と違って実に奔放、仕事を迅速に進める為に勝手に助手として若者ユースケ・サンタマリアを連れて来る。
本物は、なかなか有能な若者と、弟をドッペルゲンガー現象で失ったOL永作博美の協力を得て、遂に完成、新潟の会社に売り込みに行くが、そこで横領がばれて首になった同僚・柄本明と遭遇、サンタマリアを交えた三すくみで機械とお金の奪い合いになる。結局、彼は発明も社会への貢献もどうでも良くなって人工人体を放り出し、大金を持って永作嬢と高飛びをする。
本作においてドッペルゲンガーは二重人格と大差がないが、実体を持って対峙するところが決定的に違う。気真面目な本物は欲望を露骨に示す分身やサンタマリアや柄本と対峙するうちに、やがて分身の性格に侵食され、遂に欲望のままに生きる人間になる・・・というより閉じ込めていた欲望を解放して本来の自分を取り戻す、というお話と解釈できるだろう。
それをもって何を言いたかったのか僕には正確に解らないが、哲学的な深遠な部分はこの際放っておくとすれば、性悪説に基づいたお話と理解するのが妥当らしく、善の部分が徐々に悪に侵食される(戻っていく)過程を楽しんで観てください、ということではないですか、黒沢さん?
2003年日本映画 監督・黒沢清
ネタバレあり
黒沢清はホラーというジャンル映画を通して人間心理を掘り下げていく作家だと思うが、時々一人合点な内容になって難渋になる傾向がある。
ドッペルゲンガーとは一言で言えば自身若しくは他人が分身を観る現象で、自分の分身を観た場合はその直後に死ぬというドイツの伝説がある。これをテーマにした最初の映画はハンス・ハインツ・ハーヴェルスの小説を1913年に映画化したドイツ映画「プラーグの大学生」である。その後1926年に再映画化されているが、こちらは僕も観ている。
医療器具開発メーカーの開発者・役所広司は自分の意志通りに動く人工人体を完成間際にしながらスランプに陥り、ある時自分と同じ姿の人物を観る。会社を首になった後、分身の彼は気真面目な本物と違って実に奔放、仕事を迅速に進める為に勝手に助手として若者ユースケ・サンタマリアを連れて来る。
本物は、なかなか有能な若者と、弟をドッペルゲンガー現象で失ったOL永作博美の協力を得て、遂に完成、新潟の会社に売り込みに行くが、そこで横領がばれて首になった同僚・柄本明と遭遇、サンタマリアを交えた三すくみで機械とお金の奪い合いになる。結局、彼は発明も社会への貢献もどうでも良くなって人工人体を放り出し、大金を持って永作嬢と高飛びをする。
本作においてドッペルゲンガーは二重人格と大差がないが、実体を持って対峙するところが決定的に違う。気真面目な本物は欲望を露骨に示す分身やサンタマリアや柄本と対峙するうちに、やがて分身の性格に侵食され、遂に欲望のままに生きる人間になる・・・というより閉じ込めていた欲望を解放して本来の自分を取り戻す、というお話と解釈できるだろう。
それをもって何を言いたかったのか僕には正確に解らないが、哲学的な深遠な部分はこの際放っておくとすれば、性悪説に基づいたお話と理解するのが妥当らしく、善の部分が徐々に悪に侵食される(戻っていく)過程を楽しんで観てください、ということではないですか、黒沢さん?
この記事へのコメント
人工人体だけに絞ったほうが・・・・・
『23人のミリ癌』というベストセラーになった多重人格になった人の話しがありますが、後に、実は全部芝居だったと告白してます。
あおのあたりの経緯とかのほうが面白いですね。
「CURE」の類のない怖さには腰を抜かした、というか感心しましたが、他の映画はよく解らないですね。「叫」は解ったような気になっている(笑)。
>全部芝居
最近では「シェルター」というアメリカ映画が多重人格を扱っていましたが、最後はオカルトになり、多重人格とは関係ない映画になってしまいました。序盤は多重人格を代表する映画になりそうだったのに(笑)。