映画評「ヘヴンズ ストーリー」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2010年日本映画 監督・瀬々敬久
ネタバレあり
何と278分という長尺の一般ドラマである。疑問だらけだった「感染列島」において脚本は自分で書かないほうが良いだろうと述べた瀬々敬久の監督作品で、本作は佐藤有紀脚本の映画化。前述作と比べれば“天”と地くらい差がある。但し、一人合点も目立つ。
両親と姉を殺されて祖父(柄本明)に引き取られた8歳の少女サト(本多叶奈)は、犯人が自殺してしまった為、同じように妻と娘を少年ミツオ(忍成修吾)に理由もなく殺されたトモキ(長谷川朝晴)が「法律が許しても、僕がこの手で犯人を殺す」と言うのをTVで観て彼を英雄視する。
8年後バンドをやっていた女性タエ(菜葉菜)と結婚して娘を儲けて幸福に暮していたトモキの前に16歳になったサト(寉岡萌希)が現われ、彼を復讐に駆り立てて行き、彼の幸福は瓦解する。
一方、ミツオは出所前に若年性アルツハイマーを患った人形作家・響子(浜崎ハコ)と養子縁組をし、出所後仕事をしながら徐々に記憶を失っていく響子を甲斐甲斐しく世話をし、かつて栄えた鉱山の町の廃墟となった団地で新しい生活を築こうとするが、そこにサトとトモキが現われ、結果的に響子だけが死ぬ。敵前逃亡したトモキを響子を失ったミツオは追い掛け、かくして被害者と加害者の関係が逆転、遂に対決することになった二人は共倒れしてしまう。
その後サトは生前母が残した手紙を偶然発見、そこに書かれた場所へ行くと死んだ家族が現われる。
というのが骨格となるお話で、その他に、警察官の癖に殺人の代行をやって大金を稼いでいるカイジマ(村上淳)やその息子ハルキ(栗原堅一)、そのカイジマからある事情で毎月賠償金を払って貰っているカナ(江口のりこ)のエピソードがある。彼らは大筋には絡まないが、部分的に大筋の登場人物と絡み合い、多岐に渡っている本作のテーマ群の中で善悪の混沌、生と死を強調する役目を負って登場する。
特にカナは、他の人物が死に大きく関わる中で唯一死んでいく者に代わるべき“生”を担うわけで、「これから生れてくる者にも覚えておいてほしい」というミツオの言動と呼応する。この言葉は病気を自覚した響子にも何か影響を与え、彼女はミツオを養子にするのだが、共感のようにも打算のようにも思える。
善悪、生死、赦しは最終的には神の問題に行き着く。サトが家族と会う場所は一時的に神に許された天国であろうし、家族と会うことで彼女は遂に全てを赦すことになるのであろう。
仏と違って神は残酷である。多くの場合神は人の営みを眺めるのに終始、人を助けはしない。作者がそう思って作ったか確信は持てないが、本作はそのことを薄ぼんやり解らせる作品である。
278分という長さに関して言えば、カイジマに絡むエピソードがバランス的に大きすぎる感じがする。そして、泣いたり叫んだりする部分をもう少し減らせば秀作と言える出来映えになったはずだ。
2010年日本映画 監督・瀬々敬久
ネタバレあり
何と278分という長尺の一般ドラマである。疑問だらけだった「感染列島」において脚本は自分で書かないほうが良いだろうと述べた瀬々敬久の監督作品で、本作は佐藤有紀脚本の映画化。前述作と比べれば“天”と地くらい差がある。但し、一人合点も目立つ。
両親と姉を殺されて祖父(柄本明)に引き取られた8歳の少女サト(本多叶奈)は、犯人が自殺してしまった為、同じように妻と娘を少年ミツオ(忍成修吾)に理由もなく殺されたトモキ(長谷川朝晴)が「法律が許しても、僕がこの手で犯人を殺す」と言うのをTVで観て彼を英雄視する。
8年後バンドをやっていた女性タエ(菜葉菜)と結婚して娘を儲けて幸福に暮していたトモキの前に16歳になったサト(寉岡萌希)が現われ、彼を復讐に駆り立てて行き、彼の幸福は瓦解する。
一方、ミツオは出所前に若年性アルツハイマーを患った人形作家・響子(浜崎ハコ)と養子縁組をし、出所後仕事をしながら徐々に記憶を失っていく響子を甲斐甲斐しく世話をし、かつて栄えた鉱山の町の廃墟となった団地で新しい生活を築こうとするが、そこにサトとトモキが現われ、結果的に響子だけが死ぬ。敵前逃亡したトモキを響子を失ったミツオは追い掛け、かくして被害者と加害者の関係が逆転、遂に対決することになった二人は共倒れしてしまう。
その後サトは生前母が残した手紙を偶然発見、そこに書かれた場所へ行くと死んだ家族が現われる。
というのが骨格となるお話で、その他に、警察官の癖に殺人の代行をやって大金を稼いでいるカイジマ(村上淳)やその息子ハルキ(栗原堅一)、そのカイジマからある事情で毎月賠償金を払って貰っているカナ(江口のりこ)のエピソードがある。彼らは大筋には絡まないが、部分的に大筋の登場人物と絡み合い、多岐に渡っている本作のテーマ群の中で善悪の混沌、生と死を強調する役目を負って登場する。
特にカナは、他の人物が死に大きく関わる中で唯一死んでいく者に代わるべき“生”を担うわけで、「これから生れてくる者にも覚えておいてほしい」というミツオの言動と呼応する。この言葉は病気を自覚した響子にも何か影響を与え、彼女はミツオを養子にするのだが、共感のようにも打算のようにも思える。
善悪、生死、赦しは最終的には神の問題に行き着く。サトが家族と会う場所は一時的に神に許された天国であろうし、家族と会うことで彼女は遂に全てを赦すことになるのであろう。
仏と違って神は残酷である。多くの場合神は人の営みを眺めるのに終始、人を助けはしない。作者がそう思って作ったか確信は持てないが、本作はそのことを薄ぼんやり解らせる作品である。
278分という長さに関して言えば、カイジマに絡むエピソードがバランス的に大きすぎる感じがする。そして、泣いたり叫んだりする部分をもう少し減らせば秀作と言える出来映えになったはずだ。
この記事へのコメント
『戦争と平和』のような壮大なドラマならわかりますけどね。
日本の神々というのは荒ぶる神々で、日本の信仰というのは、それを抑えるために祈るものでしたからね。
新宗教であるキリスト教や仏教のように恵みをあたえるものではないですからね。
日本人の心の中に無意識にそういう概念があるので作品に出ると思います。
欧米人の場合は、キリスト教的概念が作品に出てきますけどね。
内容的に本作とオーヴァーラップする部分もある「ユリイカ」も3時間37分と長かったですが、長めの作品二本分ですからねえ、参りました。
「ベン・ハー」よりも「風と共に去りぬ」よりも長いんですからねえ。
「戦争と平和」ソ連版、「人間の条件」「戦争と人間」などは一応別作品として扱われていますから、まだ良いんですが。
思うに、日本人にとって、神=自然ですから。宮崎駿の映画なんかそういう観念がよく現れていますね。