映画評「しあわせの雨傘」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2010年フランス映画 監督フランソワ・オゾン
ネタバレあり
ミステリーにしてミュージカルで、洒落た幕切れでゴキゲンになった「8人の女たち」を除くとやや苦手意識のあるフランソワ・オゾンの作品としては、前述作に近い軽喜劇的な持ち味があるが、そこまではゴキゲンになれない。
1977年、雨傘製造会社の前社長の令嬢ながら、秘書と浮気している現社長ファブリス・ルキーニの妻として飾り壺(原題)のような有閑主婦に落ち着いているカトリーヌ・ドヌーヴが、夫がストライキで従業員に監禁された末に心臓発作で入院した為、そのピンチヒッターに起用され、昔一度だけ情事に耽ったことのある共産主義者の市長ジェラール・ドパルデューに掛け合い、堂々と団交をまとめてしまう。
夫のいない隙に娘ジュディット・ゴドレーシュと息子ジェレミー・レニエを助手に会社経営の面白さに目覚めるものの、娘の裏切りに遭って結局会社は夫の元に還ってしまう。が、今度は女性の解放だと現市長を対抗馬に議員に出馬することにする。
低調な経済情勢に陥っていた1970年代後半を舞台に、労働問題や女性の自立といったテーマを、原作が舞台ということで洪水のような台詞で皮肉っぽく展開、配役陣の演技の応酬が楽しめ、最後にはカトリーヌの歌まで聴けるというおまけつきだが、三十余年前の社会を背景にドラマを作った狙いが些か解りにくい。
現在のフランスは旧植民地からの移民により労働問題を含めて複雑な様相を呈して、本作ではチュニジアへの進出という逆の表現が出て来る。ある意味対照的ある意味裏表の関係にあるわけだが、オゾンのことだからそういう直截な社会風刺の狙いは殆ど無かったと思う。その辺が曖昧で、素直に楽しめないところがある。
邦題は勿論「シェルブールの雨傘」を意識したもので、演技の応酬が楽しめるとは言ったものの、実質的にはカトリーヌの貫録で持っているようなところが多い。
2010年フランス映画 監督フランソワ・オゾン
ネタバレあり
ミステリーにしてミュージカルで、洒落た幕切れでゴキゲンになった「8人の女たち」を除くとやや苦手意識のあるフランソワ・オゾンの作品としては、前述作に近い軽喜劇的な持ち味があるが、そこまではゴキゲンになれない。
1977年、雨傘製造会社の前社長の令嬢ながら、秘書と浮気している現社長ファブリス・ルキーニの妻として飾り壺(原題)のような有閑主婦に落ち着いているカトリーヌ・ドヌーヴが、夫がストライキで従業員に監禁された末に心臓発作で入院した為、そのピンチヒッターに起用され、昔一度だけ情事に耽ったことのある共産主義者の市長ジェラール・ドパルデューに掛け合い、堂々と団交をまとめてしまう。
夫のいない隙に娘ジュディット・ゴドレーシュと息子ジェレミー・レニエを助手に会社経営の面白さに目覚めるものの、娘の裏切りに遭って結局会社は夫の元に還ってしまう。が、今度は女性の解放だと現市長を対抗馬に議員に出馬することにする。
低調な経済情勢に陥っていた1970年代後半を舞台に、労働問題や女性の自立といったテーマを、原作が舞台ということで洪水のような台詞で皮肉っぽく展開、配役陣の演技の応酬が楽しめ、最後にはカトリーヌの歌まで聴けるというおまけつきだが、三十余年前の社会を背景にドラマを作った狙いが些か解りにくい。
現在のフランスは旧植民地からの移民により労働問題を含めて複雑な様相を呈して、本作ではチュニジアへの進出という逆の表現が出て来る。ある意味対照的ある意味裏表の関係にあるわけだが、オゾンのことだからそういう直截な社会風刺の狙いは殆ど無かったと思う。その辺が曖昧で、素直に楽しめないところがある。
邦題は勿論「シェルブールの雨傘」を意識したもので、演技の応酬が楽しめるとは言ったものの、実質的にはカトリーヌの貫録で持っているようなところが多い。
この記事へのコメント
エンタティーメントとして楽しめというところでしょうか。
むかし、フランス人のおばあちゃんが、デパートで、フランス語のできる店員を相手に、まくし立てているのを見たことがありますが、まさに映画の1シーンのようで面白かったのを、観ていて思い出しました。
恐らく原作が70年代から人気が続いている軽喜劇なのじゃないかなと思っているんですが、オゾンにしても特に設定を変える必要を感じなかったのでしょう。
この間観た「おっぱいバレー」も、原作では設定が現代なのにわざわざ70年代に変えた理由が謎です(笑)