映画評「質屋」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1964年アメリカ映画 監督シドニー・ルメット
ネタバレあり
「質屋」は秀作の多いシドニー・ルメットの監督作品の中でも3本の指に入る傑作であろうし、それどころか映画史の中でも屈指の名作ではないかと思う。僕はこの1964年製の作品にニューシネマの胚胎を感じるが、実際日本で公開されたのはニューシネマ元年とも言われる1968年である。
ニューヨークのスパニッシュ・ハーレムで質屋を営んでいる元大学教授ロッド・スタイガーは、戦時中にユダヤ人収容所で妻子を殺された為他人に対し心を閉ざし、お金のことしか考えないようにしている。助手に雇ったプエルトリコ出身の青年ジェイミー・サンチェスや社会福祉活動をしているジェラルディン・フィッツジェラルドが歩み寄って来ても、閉ざされた心はなかなか開かない。青年はお金に行き詰って以前から計画を立てていたチンピラたちを手引きするが、師匠と尊敬するスタイガーを守る為に銃弾に倒れ、元教授はそれを見てやっと人間らしい感情を取り戻す。
この作品で最も強烈な印象を残すのはフラッシュバックの使い方である。捕えられた時の情景や家畜車で収容所へ送られる苦い思い出が事あるごとに主人公の脳裏を過る。主人公にとってのフラッシュバックは、我々観客にとっては彼の過去を語る説明になる。最初はサブリミナル的なフラッシュバックが現在とクロスカッティングする度に徐々に長くなっていく箇所の感覚は今でも斬新である。
プロローグで彼の一家が捕えられる前の平和な情景をスローで詩情たっぷりに捉えた後、映画は余りに対照的な虚無的な情景の現在へと進む。詩的なプロローグと余りに散文的で汚らしい街並みと冷徹な主人公を捉える本体とのコントラストは強烈で若き日の僕は衝撃を受けた。
基本的にはナチスによるユダヤ人迫害後遺症を描いた大傑作と考えて良いが、その一方で、ユダヤ人がどういう民族で何故国を持てない民族になって行ったかをシニカルに語る作品として理解しても興味深い。青年の名前がヘズース(Jesus)で、彼が殺された後ユダヤ人たる主人公が手のひらを太い針で貫く幕切れが象徴的にそれを物語っている。町山智浩氏が仰るように、イエスを殺したのはユダヤ人ではないのだが、それがいつの時代でもユダヤ人が嫌われる悲劇の元である。
1964年アメリカ映画 監督シドニー・ルメット
ネタバレあり
「質屋」は秀作の多いシドニー・ルメットの監督作品の中でも3本の指に入る傑作であろうし、それどころか映画史の中でも屈指の名作ではないかと思う。僕はこの1964年製の作品にニューシネマの胚胎を感じるが、実際日本で公開されたのはニューシネマ元年とも言われる1968年である。
ニューヨークのスパニッシュ・ハーレムで質屋を営んでいる元大学教授ロッド・スタイガーは、戦時中にユダヤ人収容所で妻子を殺された為他人に対し心を閉ざし、お金のことしか考えないようにしている。助手に雇ったプエルトリコ出身の青年ジェイミー・サンチェスや社会福祉活動をしているジェラルディン・フィッツジェラルドが歩み寄って来ても、閉ざされた心はなかなか開かない。青年はお金に行き詰って以前から計画を立てていたチンピラたちを手引きするが、師匠と尊敬するスタイガーを守る為に銃弾に倒れ、元教授はそれを見てやっと人間らしい感情を取り戻す。
この作品で最も強烈な印象を残すのはフラッシュバックの使い方である。捕えられた時の情景や家畜車で収容所へ送られる苦い思い出が事あるごとに主人公の脳裏を過る。主人公にとってのフラッシュバックは、我々観客にとっては彼の過去を語る説明になる。最初はサブリミナル的なフラッシュバックが現在とクロスカッティングする度に徐々に長くなっていく箇所の感覚は今でも斬新である。
プロローグで彼の一家が捕えられる前の平和な情景をスローで詩情たっぷりに捉えた後、映画は余りに対照的な虚無的な情景の現在へと進む。詩的なプロローグと余りに散文的で汚らしい街並みと冷徹な主人公を捉える本体とのコントラストは強烈で若き日の僕は衝撃を受けた。
基本的にはナチスによるユダヤ人迫害後遺症を描いた大傑作と考えて良いが、その一方で、ユダヤ人がどういう民族で何故国を持てない民族になって行ったかをシニカルに語る作品として理解しても興味深い。青年の名前がヘズース(Jesus)で、彼が殺された後ユダヤ人たる主人公が手のひらを太い針で貫く幕切れが象徴的にそれを物語っている。町山智浩氏が仰るように、イエスを殺したのはユダヤ人ではないのだが、それがいつの時代でもユダヤ人が嫌われる悲劇の元である。
この記事へのコメント
この映画のフラッシュバックの使い方は、確かに衝撃的でしたね。
60年代半ばの映画で、決して表立った作品ではありませんが、映画的手法に目を見張るものがありました。
ユダヤ人の問題を扱った作品をたくさん観てきましたが、その中でも屈指の出来映えなのかなと思います。
ロッド・スタイガー熱演でしたね。『夜の大捜査線』での好演も、とても印象に 残ってます。
ねこのひげと同時代という意味では『セルピコ』『狼たちの午後』ですね。
『狼たちの午後』はタイトルに惹かれて観に行きましたが、狼が出てこなくて?で調べたら、原題が、英語でDOGDAY。盛夏のことで、直訳ではお客を呼べないと思ったんでしょうね。最後のオチにはビックリしました。
両方とも実話でしたね。
手法だけで語るのでは足りない作品ですが、フラッシュバックの使い方は鮮烈でしたね。
1964年製作ですから、もっと評価されても良い作品です。
>ユダヤ人の問題
直接ホロコーストに触れないアングルが優れていますね。
>ロッド・スタイガー
若い時の彼と、NYでの彼との落差に、メイクのおかげもあるとは言え、ビックリですよね。
「12人の怒れる男」は仰る通りルメットの代名詞でしょうね。
60年代の代表作は間違いなく本作。
70年代は「セルピコ」と「狼たちの午後」。どちらもアル・パチーノですね。懐かしいなあ。
80年代の「評決」。これも傑作でしょう。この辺りまでは映画館で観ました。
>DOGDAY
だから、僕は「狼たちの午後」と聞くと、(夏の)土用の丑の日からウナギを思い出すんですよ(笑)。
最近はもっぱらWOWOWでスルーした作品をみておりますが、言葉にしたいと思うところまでアドレナリンが沸いてこず、イーストウッドの「j・エドガー」を劇場鑑賞して、ようやくにブログアアップする気になったのが一昨日。
「質屋」。ホロコーストをテーマにした映画って山ほどつくられているけれど、本作のようにユダヤ人側からこんな切り口で描いた作品って、案外と本作ぐらい?
大學教授、いわゆる知識人だった主人公は、世間から心を閉ざしていたというより、自分自身から逃げていた…そんな風に受け止められた。
たしかに彼は被害者。愛する妻や子供をナチスに奪われた。そして彼はただそれを見ていただけだった。私はラストシーンから、彼がようやく人間らしい感情を取戻したというより、何もしなかった出来なかった怖気づいていた自分と、ようやく向き合った。それもまた人間らしい感情なのだろうけれど、彼の本当の苦しみはここから始まる…ちょっと穿った見方かしら?
穿った観方ではないと思います。
自分から逃避する最も効果的な手段が世間に対して心を閉ざすことだったのではないでしょうか?
自分と向き合えた結果が他人に心を開くことだったのでは?
その一方で、自分と向き合うことが、新たな苦しみの始まりであることは事実でありましょう。あの幕切れの悲壮な表情が単なる再生を物語っているわけはないですものね。
こんなアングルでホロコーストを扱った作品は後にも先にもないでしょう。それも見事な表現を伴っている。凄い映画でした。