映画評「ぼくを葬る」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2005年フランス映画 監督フランソワ・オゾン
ネタバレあり
“葬る”と書いて“おくる”と読ませる。
「まぼろし」「8人の女たち」「スイミング・プール」と好調だったフランソワ・オゾンが野心作「ふたりの5つの分かれ路」の後に発表した作品だが、WOWOWさんの都合で今頃になってしまった。
残された短い人生とどのように向き合って生きるか、というテーマは一昨日観た「クレアモントホテル」と同じだが、かの作品が80代の老婦人で、こちらが31歳の職業カメラマンという年齢差ではアプローチは全く違うことになる。
主人公メルヴィル・プポーは31歳にして末期癌のため余命数カ月と宣告され、絶望のうちに病気のことを語らないまま同性愛の恋人クリスチャン・センゲワルトと別れ、そうでなくても不仲な姉ルイーズ・アン=ヒッポーとの仲を悪化させ、ゲイの引け目か打ち解けられない両親にもすげない態度を取るしかない。田舎で暮らす祖母ジャンヌ・モローに素直に打ち明けられるのは彼女も高齢で余命の価値観を共有できるからである。
その後吹っ切れたように孤独の代償に自由を手に入れた彼は、一度は断った女性ヴァレリア・ブルーニ・テデスキからの代理夫の依頼を受け入れることになる。
良くある精子提供ではなく、実際に情交するのだが、ゲイ故に彼女の夫もそこに加わるという変化球である。絶望を乗り越えて自分の命を繋ごうという心理の変化が如実に表れる興味深いシーンで、海辺で死を待ち構える主人公の横顔を捉える幕切れと共に感銘を呼ぶものがあるが、同性愛(ホモ)描写が苦手な上に正直なところかかるフランス映画的な発想も余り気色良くは感じられず、僕にとっては厄介な映画群に属する。
但し、僕にその趣味はないが、プポーとセンゲワルトは正に美男子である。諸嬢は実に勿体ないと思うにちがいない。ただの老婦人として皺をさらけ出すジャンヌ・モローの女優根性にも頭が下がる。
2005年フランス映画 監督フランソワ・オゾン
ネタバレあり
“葬る”と書いて“おくる”と読ませる。
「まぼろし」「8人の女たち」「スイミング・プール」と好調だったフランソワ・オゾンが野心作「ふたりの5つの分かれ路」の後に発表した作品だが、WOWOWさんの都合で今頃になってしまった。
残された短い人生とどのように向き合って生きるか、というテーマは一昨日観た「クレアモントホテル」と同じだが、かの作品が80代の老婦人で、こちらが31歳の職業カメラマンという年齢差ではアプローチは全く違うことになる。
主人公メルヴィル・プポーは31歳にして末期癌のため余命数カ月と宣告され、絶望のうちに病気のことを語らないまま同性愛の恋人クリスチャン・センゲワルトと別れ、そうでなくても不仲な姉ルイーズ・アン=ヒッポーとの仲を悪化させ、ゲイの引け目か打ち解けられない両親にもすげない態度を取るしかない。田舎で暮らす祖母ジャンヌ・モローに素直に打ち明けられるのは彼女も高齢で余命の価値観を共有できるからである。
その後吹っ切れたように孤独の代償に自由を手に入れた彼は、一度は断った女性ヴァレリア・ブルーニ・テデスキからの代理夫の依頼を受け入れることになる。
良くある精子提供ではなく、実際に情交するのだが、ゲイ故に彼女の夫もそこに加わるという変化球である。絶望を乗り越えて自分の命を繋ごうという心理の変化が如実に表れる興味深いシーンで、海辺で死を待ち構える主人公の横顔を捉える幕切れと共に感銘を呼ぶものがあるが、同性愛(ホモ)描写が苦手な上に正直なところかかるフランス映画的な発想も余り気色良くは感じられず、僕にとっては厄介な映画群に属する。
但し、僕にその趣味はないが、プポーとセンゲワルトは正に美男子である。諸嬢は実に勿体ないと思うにちがいない。ただの老婦人として皺をさらけ出すジャンヌ・モローの女優根性にも頭が下がる。
この記事へのコメント
フランス映画というのは、時々わけがわからんときがありますが、フランス人も日本映画を観て、わけがわからない時があるんでしょうね。
中学の時に特定の男子生徒と仲良くしていたら、ホモ疑惑が生じたこともありますけど^^;
>フランス映画
感覚的にどうも理解しがたい、というのがハリウッドは勿論英国やイタリアの映画より多い気はしますね。
このあたりの評価は男と女の違いかしらねぇ。プポーのイケメンよかったわぁ(笑)
>同性愛(ホモ)描写が苦手な上に正直なところかかるフランス映画的な発想も余り気色良くは感じられず、僕にとっては厄介な映画群に属する。
私の知人にも、映画も音楽もマニアックなくらいの方だけど、彼は絶対にホモの映画は「ぼく、絶対にあきまへんね」って。「ブロークバック・マウンテン」も、だから見てないって。
コンパクトで多分良い映画なんだろうけど、苦手なものは苦手。
でも、ブルーレイにオゾンではなくて保存して(笑)、また観てみるつもりでございます。今年ではないかもしれませんが。
唯一「ブロークバック・マウンテン」だけは受け入れられました。自分でもよく解らないけど、あれは本当に良かったなあ。不思議ですねえ。
したわけではありません同性間の性的なことが苦手なのはそれでいいですが、同性愛への偏見から歪んだ見方をするのはやめてください
短い文章の中に色々な問題点が含まれているので、対応に苦慮します。
>偏見
まず、同性間の性的なことが苦手なのではなく、男性同士の性描写が苦手なのであります。女性同士ならOK。女性が好きなのでね。
次に、“自分の命を繋ごうと”という表現が何故に偏見なのか僕には一向に解りません。あなたのご意見では“同性愛者は絶対に自分の血を繋ごうとしないもの”であって、それに反する記述だから、偏見なのでしょうか?
僕は男性同士の性描写は苦手ですが、同性愛や同性愛者に所謂“偏見”は持っていませんよ。ジード、モーム、プルーストその他同性愛者の書いた小説を愛読しています。
同性愛者の細かい心情まで推し測れと言うなら、そこに小さな偏見の数々はあるでしょうけど、それなら、あなたは上の一節を材料に僕が「偏見を持っている」という偏見を持っていると言わざるを得ません。
“自分の命を繋ごうと”という表現が出てきたのは、僕が起承転結をベースに考えた読解力若しくは表現力若しくはその両方の問題であって、偏見とは何の関連はありません。単に才能の問題であります。
この一本の一節だけをもって、僕に対して“歪んだ見方をするのはやめてください”。
さらに、残念なのは、それではあの行為を行わせた彼の内的要求は何であったか、あなたが具体的に説明していないこと。その反証を示していないこと。
はっきり言って、彼の行為の背景をきちんと説明した映画評は一本もありません。つまり、誰にも解らないのですよ、正確なところが。
監督ですら想定していないのかもしれない。監督が100%自分が作った映画について解っていると思ったら大間違いです。
僕は誰も書かない内的要求を敢えて書いてみただけでございます。