映画評「陰謀の代償 N.Y.コンフィデンシャル」
☆☆★(5点/10点満点中)
2010年アメリカ映画 監督ディート・モンティエル
ネタバレあり
世間的には全く話題にならず、実際物語として相当いい加減で上出来とは言いかねるものの、映画的ムードには捨てがたいものがある。監督は初めて観るディート・モンティエルで、製作時45歳ながら、長編3作目だから若手と言うべし。
14歳の時に犯罪の巣窟クイーンズ・ボロの公営団地内で黒人麻薬中毒者を恐怖で殺し、それをネタに脅迫した不良白人を過失致死させた少年(ジェイク・チェリー)が30歳の青年チャニング・テータムになり、殉職した父親と同じ警官に転職、何故かかつて自分が住んでいたクイーンズに配属される。
やがて事件を暴露するという手紙がジュリエット・ビノシュが経営する新聞に投書された為、妻子との平和の生活を崩されることを恐れる30歳の新米刑事は事件を知っている竹馬の友たる黒人デコート・スナイプスを疑って彼を殺したものか動揺する。
16年前相棒の息子(テータムのことなり)が起こした二事件を隠蔽した老刑事アル・パチーノや署長になる念願のあるレイ・リオッタは、テータムに任せたものの埒が明かないのでジュリエットを部下に暗殺させた後、スナイプスをも抹殺しようとするが、友への信頼を復活させたテータムが駆けつけ、結局リオッタを射殺したスナイプスをパチーノが射殺したところで幕切れ。
少年時代貧しく治安の悪い場所での生活の辛さを嫌という程味わった主人公にしてみれば念願の家族との平和な生活を維持できることになってまずはめでたしめでたしなのだが、観ている我々は余りすっきりしない。結局平凡だが幸福な生活を求めた主人公が公的には事件を伏せたままそして親友を不本意な形で失った形で本当に心安らかになるだろうかという問題が第一にあり、作者の狙いがはっきりしない。すっきりしなさを狙いにしているなら良いが、全体の構成からそんな気配は一向に伺えないので、設計がまずいということになる。
ハッピーエンド若しくはビターエンドではない終わり方をするなら主人公にとって別の終わり方がふさわしいだろう。主人公が自分の幸福が第一で、罪悪感など全く持っていなかったのならこれでも通るが、彼の妻ケイティ・ホームズの指摘を持ち出すまでもなく彼が警官になった理由もよく解らず、「今の生活を崩されてなるものか」という以外彼の心情は殆ど解らない。
舞台は2002年、9・11の1年後という設定でこの事件が何か彼に影響を与えたと想像してみるものの、別の警官の「600人(の警官)が死んで1年しか経っていないのにもう警察の悪口だ」という愚痴くらいしか聞けない。
もっと解らないのが手紙の主の行動心理である。実は友人の妹が告発していたと判明するのだが、こんなことをすれば精神が弱くなっている自分の兄が悲惨な目に遭うことは火を見るより明らかだろう。自分を含めて誰の得にならないことをどうして行なったか全く解らず、結局はお話の為のお話になっている。
但し、冒頭で述べたように貧しい公営住宅が俯瞰すると確かに主人公の言うように城に見えたり、警察署内の点出、友情と疑惑の間で揺れる主人公の描写などちょっと滋味がある。
といったわけで、少年時代が重要な布石になっている話だけにもっと整合したお話になっていれば、刑事映画として「L.A.コンフィデンシャル」、それ以上に「ミスティック・リバー」に近づいたかもしれない。
一時はタケノコのように作られた刑事映画、マフィア映画が近年少ない。理由の一つはCGの普及でしょ。
2010年アメリカ映画 監督ディート・モンティエル
ネタバレあり
世間的には全く話題にならず、実際物語として相当いい加減で上出来とは言いかねるものの、映画的ムードには捨てがたいものがある。監督は初めて観るディート・モンティエルで、製作時45歳ながら、長編3作目だから若手と言うべし。
14歳の時に犯罪の巣窟クイーンズ・ボロの公営団地内で黒人麻薬中毒者を恐怖で殺し、それをネタに脅迫した不良白人を過失致死させた少年(ジェイク・チェリー)が30歳の青年チャニング・テータムになり、殉職した父親と同じ警官に転職、何故かかつて自分が住んでいたクイーンズに配属される。
やがて事件を暴露するという手紙がジュリエット・ビノシュが経営する新聞に投書された為、妻子との平和の生活を崩されることを恐れる30歳の新米刑事は事件を知っている竹馬の友たる黒人デコート・スナイプスを疑って彼を殺したものか動揺する。
16年前相棒の息子(テータムのことなり)が起こした二事件を隠蔽した老刑事アル・パチーノや署長になる念願のあるレイ・リオッタは、テータムに任せたものの埒が明かないのでジュリエットを部下に暗殺させた後、スナイプスをも抹殺しようとするが、友への信頼を復活させたテータムが駆けつけ、結局リオッタを射殺したスナイプスをパチーノが射殺したところで幕切れ。
少年時代貧しく治安の悪い場所での生活の辛さを嫌という程味わった主人公にしてみれば念願の家族との平和な生活を維持できることになってまずはめでたしめでたしなのだが、観ている我々は余りすっきりしない。結局平凡だが幸福な生活を求めた主人公が公的には事件を伏せたままそして親友を不本意な形で失った形で本当に心安らかになるだろうかという問題が第一にあり、作者の狙いがはっきりしない。すっきりしなさを狙いにしているなら良いが、全体の構成からそんな気配は一向に伺えないので、設計がまずいということになる。
ハッピーエンド若しくはビターエンドではない終わり方をするなら主人公にとって別の終わり方がふさわしいだろう。主人公が自分の幸福が第一で、罪悪感など全く持っていなかったのならこれでも通るが、彼の妻ケイティ・ホームズの指摘を持ち出すまでもなく彼が警官になった理由もよく解らず、「今の生活を崩されてなるものか」という以外彼の心情は殆ど解らない。
舞台は2002年、9・11の1年後という設定でこの事件が何か彼に影響を与えたと想像してみるものの、別の警官の「600人(の警官)が死んで1年しか経っていないのにもう警察の悪口だ」という愚痴くらいしか聞けない。
もっと解らないのが手紙の主の行動心理である。実は友人の妹が告発していたと判明するのだが、こんなことをすれば精神が弱くなっている自分の兄が悲惨な目に遭うことは火を見るより明らかだろう。自分を含めて誰の得にならないことをどうして行なったか全く解らず、結局はお話の為のお話になっている。
但し、冒頭で述べたように貧しい公営住宅が俯瞰すると確かに主人公の言うように城に見えたり、警察署内の点出、友情と疑惑の間で揺れる主人公の描写などちょっと滋味がある。
といったわけで、少年時代が重要な布石になっている話だけにもっと整合したお話になっていれば、刑事映画として「L.A.コンフィデンシャル」、それ以上に「ミスティック・リバー」に近づいたかもしれない。
一時はタケノコのように作られた刑事映画、マフィア映画が近年少ない。理由の一つはCGの普及でしょ。
この記事へのコメント
犯罪しか生きるすべがない町というところがアメリカにはあり、そこから抜け出すためには、警官になるしかなく、自分ンお幸せを守るためには親友さえも殺さざるを得ないような場所という話で、映画は、作り方の問題かな?
CG
『スノーホワイト』という映画が公開されますね。
わ~ぁ、まただよ。勘弁してくれ!という心境になる予告でありました。
まず、CGありきの映画のようです。
なるほど。
二か月ほど前に観た「ザ・タウン」もそんな場所(ボストン下町)がテーマで主人公はアイスホッケーに挫折した後そのまま犯罪者になっていました。
ねこのひげさんの解説を読みますと、小説の方が解りやすい感じですね。
本作は一言で言うと、原作に比べて説明不足なんでしょう。
>CGありき
かつてはCGをベースにした映画を批判すると、そういった類の作品がお好きな人から必ず反論を食らったものですが、CGが悪いのではなく、“CGありき”で作る為に物語がなっていない作品が多いからどうしても批判的にならざるを得なかったというのが実際ですよね。
やはりCGは目的ではなく、お話を語る為の手段でなくては・・・。