映画評「戦火のナージャ」
☆☆★(5点/10点満点中)
2010年ロシア映画 監督ニキータ・ミハルコフ
ネタバレあり
ニキータ・ミハルコフが「太陽に灼かれて」の16年ぶりの続編として作ったのが本作だが、「太陽に灼かれて」を観た人でも、まして観ていない人には何のことだが殆ど解らないのではないか。時系列が行ったり来たりするのはとにかく、これほど乱雑でとりとめなく何を言いたいのかよく解らない作品をミハルコフが作るとは、どちらかと言えばご贔屓にしている僕にはちょっと信じ難く残念な思いがする。
1943年、KGB幹部ドミートリ(オリェグ・メンシコフ)が政治犯として捕えて処刑されたはずの元陸軍大佐の師団長コトフ(ニキータ・ミハルコフ)がドイツ軍に襲撃された混乱に乗じて刑務所から脱走したことを知り、調査で面会する人々の回想により今や一平卒として戦線を移動している師団長の様子と、彼に密かに育てられて従軍看護婦になったコトフの娘ナージャ(ナージャ・ミハルコヴァ)が生きていると知った父を探し出すべく各地を転々とする様子とが、並行して描かれている。
かく時系列を整理すればそれほど解りにくいお話ではない。寧ろ時系列の異なる各エピソードが夫々に強烈過ぎてとりとめない印象を強くし、テーマをぼかしてしまっているのである。
戦場で描かれる描写はリアリズムに則って酸鼻を極め、アメリカのホラー映画が可愛らしく見えるくらいだ。もがれた手足などはまだ良い方で、戦車に押しつぶされキャタピラーでぐちゃぐちゃになった死体を延々と撮り続ける。幸いなのは、却って原形を全く留めてないが故にそれが人間であったと思わせないことである。幸いとは言ったもののここまでリアルに戦場を再現しないといけないものか僕には大いに疑問である。
ナージャ側では寧ろ心理的に重苦しくなる残忍な描写が多い。例えば、彼女が乗っていた赤十字の船がドイツ軍にからかわれた挙句に撃沈されたり、彼女の為にドイツ兵を殺した一人の村人の代わりに納屋に押し込められた他の村人たちが焼殺されるエピソード、等々。
赤十字船のエピソードでは彼女が共産党の否定する宗教(ロシア正教)により洗礼を受け、村のエピソードでは自分が父を探す為に生かされたのであると無理矢理に解釈する、という展開上そして理解の上でも重要と思われる要素が織り込まれている。ミハルコフが運命をキリスト教的に捉え、それを強調して作劇していることが伺われるのである。それは以下の描写からも強く感じられる。
機雷につかまって漂流している彼女を救わなかった船舶は彼女が陸地へ着いた後その機雷により爆破される。その船は共産党が大事にしている公文書を運んでいたのである。スターリンの像も顔だけになって落ちてくる。ミハルコフの共産党への憎悪が感じられはしないだろうか。少なくともスターリンは大嫌いなのにちがいない。しかるに、その描写は寧ろユーモアに溢れ、途中の酸鼻を極める描写とは全くトーンが違ってどうにも落ち着かない。また、ドイツ軍の落した不発弾は父コトフの命をも救う。
かくして父娘が再会を信じて彷徨するお話と理解できる次第だが、ナージャが瀕死の兵士に裸体を見せる幕切れは繋ぎ的で明らかに第三作を意識した訳の解らないものであり、低評価に大いに貢献することになる。
個人的にはなかなか興味深い作品と思いつつも、ここまで無手勝流ではさすがに誉める気になれない。
各紙の紹介では父親に揃えてナージャ・ミハルコフになっていますが、ロシア語の規則に則って、僕はナージャ・ミハルコヴァ(ミハルコワ)とします。
2010年ロシア映画 監督ニキータ・ミハルコフ
ネタバレあり
ニキータ・ミハルコフが「太陽に灼かれて」の16年ぶりの続編として作ったのが本作だが、「太陽に灼かれて」を観た人でも、まして観ていない人には何のことだが殆ど解らないのではないか。時系列が行ったり来たりするのはとにかく、これほど乱雑でとりとめなく何を言いたいのかよく解らない作品をミハルコフが作るとは、どちらかと言えばご贔屓にしている僕にはちょっと信じ難く残念な思いがする。
1943年、KGB幹部ドミートリ(オリェグ・メンシコフ)が政治犯として捕えて処刑されたはずの元陸軍大佐の師団長コトフ(ニキータ・ミハルコフ)がドイツ軍に襲撃された混乱に乗じて刑務所から脱走したことを知り、調査で面会する人々の回想により今や一平卒として戦線を移動している師団長の様子と、彼に密かに育てられて従軍看護婦になったコトフの娘ナージャ(ナージャ・ミハルコヴァ)が生きていると知った父を探し出すべく各地を転々とする様子とが、並行して描かれている。
かく時系列を整理すればそれほど解りにくいお話ではない。寧ろ時系列の異なる各エピソードが夫々に強烈過ぎてとりとめない印象を強くし、テーマをぼかしてしまっているのである。
戦場で描かれる描写はリアリズムに則って酸鼻を極め、アメリカのホラー映画が可愛らしく見えるくらいだ。もがれた手足などはまだ良い方で、戦車に押しつぶされキャタピラーでぐちゃぐちゃになった死体を延々と撮り続ける。幸いなのは、却って原形を全く留めてないが故にそれが人間であったと思わせないことである。幸いとは言ったもののここまでリアルに戦場を再現しないといけないものか僕には大いに疑問である。
ナージャ側では寧ろ心理的に重苦しくなる残忍な描写が多い。例えば、彼女が乗っていた赤十字の船がドイツ軍にからかわれた挙句に撃沈されたり、彼女の為にドイツ兵を殺した一人の村人の代わりに納屋に押し込められた他の村人たちが焼殺されるエピソード、等々。
赤十字船のエピソードでは彼女が共産党の否定する宗教(ロシア正教)により洗礼を受け、村のエピソードでは自分が父を探す為に生かされたのであると無理矢理に解釈する、という展開上そして理解の上でも重要と思われる要素が織り込まれている。ミハルコフが運命をキリスト教的に捉え、それを強調して作劇していることが伺われるのである。それは以下の描写からも強く感じられる。
機雷につかまって漂流している彼女を救わなかった船舶は彼女が陸地へ着いた後その機雷により爆破される。その船は共産党が大事にしている公文書を運んでいたのである。スターリンの像も顔だけになって落ちてくる。ミハルコフの共産党への憎悪が感じられはしないだろうか。少なくともスターリンは大嫌いなのにちがいない。しかるに、その描写は寧ろユーモアに溢れ、途中の酸鼻を極める描写とは全くトーンが違ってどうにも落ち着かない。また、ドイツ軍の落した不発弾は父コトフの命をも救う。
かくして父娘が再会を信じて彷徨するお話と理解できる次第だが、ナージャが瀕死の兵士に裸体を見せる幕切れは繋ぎ的で明らかに第三作を意識した訳の解らないものであり、低評価に大いに貢献することになる。
個人的にはなかなか興味深い作品と思いつつも、ここまで無手勝流ではさすがに誉める気になれない。
各紙の紹介では父親に揃えてナージャ・ミハルコフになっていますが、ロシア語の規則に則って、僕はナージャ・ミハルコヴァ(ミハルコワ)とします。
この記事へのコメント
ソビエトがロシアになったら、映画もダメになったのかな・・・・
抑圧されているほうがいい作品ができるようで・・・・・
グチャグチャ・・・スピルバーグも、『プライベートライアン』のノルマンディーで腸がはみ出るシーンを描いておりましたが、リアルに描けばいいというものではないでありますな。
シリーズ化なんてハリウッドかよ!!でありますな~
ソ連には戦前セルゲイ・M・エイゼンシュテインとかフセヴォロド・プドフキン、戦後ではセルゲイ・ポンダルチュク、グリゴーリ・コージンツェフといった素晴らしい監督がいました。
エイゼンシュテインは言うまでもなくモンタージュ理論を元にもの凄い映像言語を開発したわけですが、彼の作品は革命をテーマにプロパガンダ臭いのが多いのが些か残念でした。勿論北朝鮮のそれらとは違って断然芸術性が高いですけどね。高いから却って勿体ないという印象も強くなります。
日本で紹介されたソ連映画はもろ国民に向けて作られたようなものはありませんで、見応えのあるものが多かったです。
ミハルコフは僕がロシア語を一生懸命勉強していたソ連末期に現れた作家で、初期の頃は作家で言えばチェーホフ流の良い味の作品が多かったんですが、本作は「太陽に灼かれて」と併せて考えますと、どうも「戦争と平和」を意識したところがあります。大作ですし。
>ぐちゃぐちゃ
映画におけるリアリズムということはそういうことではないと思いますんですが。
>シリーズ化
ここまで作ったのなら最後まで見せてほしいであります。16年ぶりなので本人はその気はなかったのでしょうが、諸事情があったのでしょう(笑)。