映画評「遥かなる山の呼び声」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1980年日本映画 監督・山田洋次
ネタバレあり
山田洋次が「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)の3年後に作った姉妹編とでも言うべき人情ドラマで、僕自身は30年ぶり二回目の鑑賞となり、結構忘れている部分があった。
題名から解るように彼が若い頃食い入って観たに違いない「シェーン」をモチーフにしている。
アラン・“シェーン”・ラッドの代わりに一軒の農家に突然現れるのが正体不明の高倉健で、恐がりながらも受け入れるのがジーン・アーサーに相当する倍賞千恵子である。当然彼女にはブランドン・デ・ワイルドたる吉岡秀隆君の息子がいる。ヴァン・ヘフリンたるご主人を故人にして、彼女がたった一人で酪農業を営んでいる現状に山田流の人情を徹底的に投入していくアイデアである。
高倉シェーンは男手として雇われて懸命に働き、主婦の不安を取り除いていくだけでなく、彼女にちょっかいを出そうとしたハナ肇とその兄弟をいとも簡単に倒して秀隆君のヒーローそして父親代わりの存在となって行く。
ここまでで本作後半の布石は全て揃っていて、特にハナ肇は単なるコメディリリーフに留まらず、全体に渡り誠に上手い使い方をされている。
一つは健さんの引き立て役であり、主婦は強引に迫ろうとする鼻息荒いハナとは対照的に黙々と働きストイックな態度を貫く健さんに次第に傾いて行く。酪農を一人で経営する心細さを補い孤独な人生を潤す大変頼りになる人間に見えるのである。彼女が大事な牛の命を獣医に託さざるを得なくなった雨の夜、彼女は思わず本音を健さんに告白する。
事が起きるのがいつも雨というのが作為的にすぎる印象もあるが、この雨の使い方に映画ならではの巧い味付けを強く感じると共に、演出の呼吸よろしきを得て主婦の女心が鮮やかに表現されている。倍賞千恵子も誠に心得た演技を披露して胸が熱くなる。
終盤彼の兄が登場して健さんの訳あり人生が説明され、バンエイ競馬に刑事二人が現れて作品は起承転結の転を迎え文字通り転調、彼が新たな旅に出ようとした矢先お迎えがやって来る。
ここにおいて彼女が息子に健さんへのお金を託するのは序盤の繰り返しながら、今度はロングショットでヒロインの視点から(感覚で)それを捉えている(上の画像参照)。彼女の彼への思いがそれだけ変っていることを如実に示しているわけで、映像言語、映画文法をよくわきまえている人が作った映画であることが解るシーン、ショットである。こういうのを見ると嬉しくなるねえ。
そして幕切れでハナ肇が気風の良い男ぶりを見せて、彼女と共に列車に乗り込み健さんに聞かせるように演技を披露、ちょっと目頭が熱くなった健さんに彼女がハンカチを刑事経由で渡す。ここでの呼吸も抜群で、同じ作り物ならこういう風に鮮やかに処理してくれれば、作為的だのわざとらしいだのといった文句も控えたくなるというもの。
こちらのシェーンは出所後必ず帰って来るのだ。
1980年日本映画 監督・山田洋次
ネタバレあり
山田洋次が「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)の3年後に作った姉妹編とでも言うべき人情ドラマで、僕自身は30年ぶり二回目の鑑賞となり、結構忘れている部分があった。
題名から解るように彼が若い頃食い入って観たに違いない「シェーン」をモチーフにしている。
アラン・“シェーン”・ラッドの代わりに一軒の農家に突然現れるのが正体不明の高倉健で、恐がりながらも受け入れるのがジーン・アーサーに相当する倍賞千恵子である。当然彼女にはブランドン・デ・ワイルドたる吉岡秀隆君の息子がいる。ヴァン・ヘフリンたるご主人を故人にして、彼女がたった一人で酪農業を営んでいる現状に山田流の人情を徹底的に投入していくアイデアである。
高倉シェーンは男手として雇われて懸命に働き、主婦の不安を取り除いていくだけでなく、彼女にちょっかいを出そうとしたハナ肇とその兄弟をいとも簡単に倒して秀隆君のヒーローそして父親代わりの存在となって行く。
ここまでで本作後半の布石は全て揃っていて、特にハナ肇は単なるコメディリリーフに留まらず、全体に渡り誠に上手い使い方をされている。
一つは健さんの引き立て役であり、主婦は強引に迫ろうとする鼻息荒いハナとは対照的に黙々と働きストイックな態度を貫く健さんに次第に傾いて行く。酪農を一人で経営する心細さを補い孤独な人生を潤す大変頼りになる人間に見えるのである。彼女が大事な牛の命を獣医に託さざるを得なくなった雨の夜、彼女は思わず本音を健さんに告白する。
事が起きるのがいつも雨というのが作為的にすぎる印象もあるが、この雨の使い方に映画ならではの巧い味付けを強く感じると共に、演出の呼吸よろしきを得て主婦の女心が鮮やかに表現されている。倍賞千恵子も誠に心得た演技を披露して胸が熱くなる。
終盤彼の兄が登場して健さんの訳あり人生が説明され、バンエイ競馬に刑事二人が現れて作品は起承転結の転を迎え文字通り転調、彼が新たな旅に出ようとした矢先お迎えがやって来る。
ここにおいて彼女が息子に健さんへのお金を託するのは序盤の繰り返しながら、今度はロングショットでヒロインの視点から(感覚で)それを捉えている(上の画像参照)。彼女の彼への思いがそれだけ変っていることを如実に示しているわけで、映像言語、映画文法をよくわきまえている人が作った映画であることが解るシーン、ショットである。こういうのを見ると嬉しくなるねえ。
そして幕切れでハナ肇が気風の良い男ぶりを見せて、彼女と共に列車に乗り込み健さんに聞かせるように演技を披露、ちょっと目頭が熱くなった健さんに彼女がハンカチを刑事経由で渡す。ここでの呼吸も抜群で、同じ作り物ならこういう風に鮮やかに処理してくれれば、作為的だのわざとらしいだのといった文句も控えたくなるというもの。
こちらのシェーンは出所後必ず帰って来るのだ。
この記事へのコメント
9点。素晴らしい。かなり嬉しいです。^^
最近の邦画界はどんどん製作されて
とても元気がよいそうなのですが
今量産されている内の幾作品が
後世に語られるのでしょうか。
例えば、本作のように人間的情緒の余韻に
何度も何度もひたれるような名画の類いが
果たしてあるのでしょうか。
拙宅では文章にてかなり興奮して語っておりますが、
本日の末尾画像(丁寧に分割なさってね~)とか
汽車内のシーンはそれこそ珠玉の演出と撮影ですね~
自分で読んでも懐かしい拙記事TBさせて頂きました。
勿論プロフェッサーもいらしてらっしゃいますが
なぜか私にしかられております。(^ ^)
5年ぶり、今度は盛大にTBなさって下さいね。
ゴダールみたいな破天荒な映画もまあ良いわけですが、ドラマはやはりきちんと映画文法に則って作って貰いたいですなあ。
本作など、下手な監督が作ったら恥ずかしくなってしまうかもしれません。
お金を渡す場面を二回入れ、それを全く違うアングルで撮ったこと。僕はこれも断然素晴らしい幕切れ以上に、ここが好きですねえ。
あそこを寄って撮ったらヒロインの心情が表現できませんよね。ヒロインのアップでも説明的になってつまらなくなってしまう。こういう風に作れば映画は行間から登場人物の感情がにじみ出て観客の心を打ち、繰り返し観るに耐える作品になるのでしょう。
>なぜか私にしかられております。(^ ^)
新米につき、人の家に土足で入り込むようなことを繰り返しており、何度か叱られて勉強させて戴きました<(_ _)>
ああ恥ずかしい。
さすがであります。
倍賞さんもよろしいです。
高倉健さん、81歳で、映画が公開されますな~『あなたへ』
たけしさんが、早朝、撮影場所の駅に降りたら、高倉健さんがひとりで迎えに来ていたのにはまいたそうであります。
父親も大分弱ってきたとは思っていましたが、さすがにこんなに早いとはビックリしました。
>しみじみとした
山田洋次監督は物語性の人と思われているふしがあるのですが、実はもの凄いテクニシャンで日本映画史上でも的確な映画文法をこなすという意味で三本の指に入る人だと思います。
>『あなたへ』
おおっ、付き合いの長い降旗康男監督の作品ですか。父親より一つ若い降旗さんもまだ現役。おやじにももう少し頑張ってもらいたかったなあ。
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
本作は、仰る通り「シェーン」ですよね。
そして、「黄色いハンカチ」は作品の構想が先にあり、山田監督が主役を演じられるだけの役者を探しぬいて、健さんならできるとキャスティングした。そして、その後、今度はその健さんを主役で撮りたいと企画した作品。
プロフェッサーの書かれている通り、山田監督はやはり巧いですよね。雨の効果といい、ショットといい。こういう映画、つまり余計な台詞が、心理や場面を説明するという愚行のない映画。これですよね。
そして、役者陣もいい。
そして、やはりあのラスト。
私も自身の記事で記述しておりますが、ハナの演技もいいですが、山田監督の凄ごさですね。
あの黄色いハンカチ。
“あの映画知ってるでしょ。(もしくは一緒にみたのかも)。
あの映画の奥さんのように、私もずっと貴方の帰りを待っています。”
これを、わざわざ台詞で言わない、これが秀逸なんですよ。
作為的だの、クサイだのという連中は話になりませんよ。
敢えて付け足すことのないコメントでございます。
「幸福の黄色いハンカチ」と本作、本当に上手いですねえ。映像で表現すべきことを全て表現し、なおかつそれ以上の効果を観客に与えています。
山田洋次という監督は邦画随一のテクニシャンだと僕は言い続けているのですが、お話の監督と思っている人が余りにも多いのが悔しいです。
佐々部清という監督にこの域に達して貰いたいのですが、ちょっと無理ですかなあ。