2012年06月28日 報告 6月27日午後11時42分父が闘病の末逝去いたしました。ここ2年ほど病院と施設の往復でしたが、残念ながら遂に力尽きました。満79歳、享年80歳でございました。 つきましては数日ほどブログを休ませて戴きます。ご了承ください。
十瑠 2012年06月28日 22:33 今日は一日年老いた父と過ごしたところでした。二人で老人ホームに入っている母に面会に行ったりなどしながら・・。奥様と再び天国でめぐり逢われる事をお祈り申し上げます。合掌
オカピー 2012年07月03日 21:42 皆様、お悔やみ・慰めのお言葉有難うございます。とりあえず一通り終わり、コメントバックくらいはできる状態になりました。仲の良かった夫婦だったからでしょうか、二人とも死因となった病気で1年違いの4月1日に最初に通院し、1年違いの4月4日に入院しました。これを思うと、母に呼ばれて逝ったのでしょう。僕が大いに心配した肺炎が無事に治り、これで大丈夫かと思ったところ、一向に熱が下がらず尿路感染から敗血症になったことが判明、それが心臓に大きな負担を与え、およそ三カ月の苦闘の末に心臓が停止致しました。2009年11月から動けなくなったことが色々な病気を招いて、この2年ほどは本人も辛い思いを致しました。内臓は基本的に丈夫で、4月になるまで本人は大変ながらまだ何年も生きると思っていたのですが・・・。
オカピー 2012年07月08日 22:27 イエローストーンさんお悔やみの言葉有難うございます。母ほど予想できないものではなかったのでショックは少ないものの、もう会えないと思うと面会に行っていた時のことすら喜びに感じられます。施設にいて元気な時に言っておきたかった言葉は遂に言えませんでした。それを言うと、もうお別れみたいに思われるのが嫌だったので・・・
kimion20002000 2012年07月16日 01:30 しばらく映画評を書いていないので、こちらにも足が運ばず、お父様の訃報を知らないままでした。遅れながら、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
オカピー 2012年07月17日 09:51 kimion20002000さんお悔やみの言葉、有難うございます。二年以上の闘病とは言え、死に至る病(感染症)を発症したのは4月1日。施設の情報共有化の問題と当日診て貰った医師の不注意が原因でした。母の時も与えるべき薬を与えなかったと思われるふしがあって、きちんと対応していれば共に死ななくても済んだのに些か残念であると同時に、全て含めて運命なのかなという諦観もあります。
この記事へのコメント
お弔いの諸事等で体調崩されませんように。
奥様と再び天国でめぐり逢われる事をお祈り申し上げます。
合掌
体調を崩されませんように。
謹んで心からお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。
とりあえず一通り終わり、コメントバックくらいはできる状態になりました。
仲の良かった夫婦だったからでしょうか、二人とも死因となった病気で1年違いの4月1日に最初に通院し、1年違いの4月4日に入院しました。
これを思うと、母に呼ばれて逝ったのでしょう。
僕が大いに心配した肺炎が無事に治り、これで大丈夫かと思ったところ、一向に熱が下がらず尿路感染から敗血症になったことが判明、それが心臓に大きな負担を与え、およそ三カ月の苦闘の末に心臓が停止致しました。
2009年11月から動けなくなったことが色々な病気を招いて、この2年ほどは本人も辛い思いを致しました。内臓は基本的に丈夫で、4月になるまで本人は大変ながらまだ何年も生きると思っていたのですが・・・。
遅ればせながら、
御尊父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
お悔やみの言葉有難うございます。
母ほど予想できないものではなかったのでショックは少ないものの、もう会えないと思うと面会に行っていた時のことすら喜びに感じられます。
施設にいて元気な時に言っておきたかった言葉は遂に言えませんでした。それを言うと、もうお別れみたいに思われるのが嫌だったので・・・
遅れながら、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
お悔やみの言葉、有難うございます。
二年以上の闘病とは言え、死に至る病(感染症)を発症したのは4月1日。施設の情報共有化の問題と当日診て貰った医師の不注意が原因でした。
母の時も与えるべき薬を与えなかったと思われるふしがあって、きちんと対応していれば共に死ななくても済んだのに些か残念であると同時に、全て含めて運命なのかなという諦観もあります。