映画評「ロスト・アイズ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2010年スペイン映画 監督ギエルム・モラレス
ネタバレあり
「枕草子」風に言えば、「惜しきもの。良い作になるべかるに、可能性をふいにしたる」といった作品である。
世界経済的にギリシャの次に我々を悩ましているスペインでは恐怖映画がちょっとしたブームらしく、そうした流行に乗って作られたらしい本作の可能性は、例外的な部分もあるものの、クラシックな作劇・作風に立脚した点にある。その方針たるや良し。しかるに、詰めが非常に甘くて実際にはそれほど誉めたくなる映画にならなかった。
視力を失った女性サラ(ベレン・ルエダ)が縊死した状態で発見され、警察は自死と断定するが、同じくいずれ失明する病気を持つ双子の妹フリア(ベレン二役)が夫イサク(ルイス・オマール)と調査を進めるうちに、姉が一人の男性と共に行動を共にしていること、角膜の移植手術を受けたことを知り、益々自死に否定的になる。
が、彼女に協力的な掃除人が風呂で感電死し、夫が謎の失踪を遂げた後やはり縊死した状態で発見されるに及び遂に移植手術を受け、2週間安静にしろという医師の話も無視して姉の家に帰り、日に数時間の介護人の世話を受ける最中予定より早く包帯を外した時気付いた真犯人の魔の手から必死に逃げる羽目になる。
盲人サスペンスには「暗くなるまで待って」という傑作があって、比較するのも愚かしいくらいだが、本作の終盤は完全に見えないとは言えないまでも電気を消して犯人に対抗しようとするヒロインの姿は同作のオードリー・へプバーンを彷彿とする。但し、本作の犯人は相手が盲目であることを条件に襲撃するので、かのオードリーの取った作戦は殆ど通用しない。
この辺り二番煎じにしなかったのは一応誉めたいところながら、夫を含めて怪しい行動を取る人物を数名配置しておきながら早めに消して行ってしまうのがミステリー的につまらない。
残り三分の一くらいのところで犯人が判っていよいよ上記の攻防戦になるのだが、その前提に大いに疑問があり、手術直後なのに病院から帰って一人で、しかも、事件のあった危険人物がうろちょろすると考えてしかるべき姉の家に戻るというヒロインの有りうべからざる心理と強引な設定に興醒める。
こういうお話なら犯人の候補として夫の訝しい行動の謎を最後まで残した上で彼を生存させ、ヒロインが家に帰るべき理由を作っておき、かつ真犯人が誰であるか解りにくくしておけば、定石的結末であったとしても、ミステリー・サスペンスとしてもっと楽しめたに違いない。
他方、徐々に視野が狭く暗くなって来るヒロインの主観ショットを多用したり、客観ショットでもロングショットを少なめにして色々と細工をするなど映像的工夫において近年のハリウッド・サスペンスの大半に優る。
だから、お話をぐっと単純化し、真犯人の心情やヒロインの夫への思いより(映画を難しく見たがる人に受けなくて良いから)クラシックなサスペンス醸成の面白さに重点を置いた方がジャンル映画として評価出来る可能性があったのである。
スペイン政府も経済面で映画界と同じくらい頑張ってくれれば有難い。実際映画界もその一翼を担っているのかもね。
2010年スペイン映画 監督ギエルム・モラレス
ネタバレあり
「枕草子」風に言えば、「惜しきもの。良い作になるべかるに、可能性をふいにしたる」といった作品である。
世界経済的にギリシャの次に我々を悩ましているスペインでは恐怖映画がちょっとしたブームらしく、そうした流行に乗って作られたらしい本作の可能性は、例外的な部分もあるものの、クラシックな作劇・作風に立脚した点にある。その方針たるや良し。しかるに、詰めが非常に甘くて実際にはそれほど誉めたくなる映画にならなかった。
視力を失った女性サラ(ベレン・ルエダ)が縊死した状態で発見され、警察は自死と断定するが、同じくいずれ失明する病気を持つ双子の妹フリア(ベレン二役)が夫イサク(ルイス・オマール)と調査を進めるうちに、姉が一人の男性と共に行動を共にしていること、角膜の移植手術を受けたことを知り、益々自死に否定的になる。
が、彼女に協力的な掃除人が風呂で感電死し、夫が謎の失踪を遂げた後やはり縊死した状態で発見されるに及び遂に移植手術を受け、2週間安静にしろという医師の話も無視して姉の家に帰り、日に数時間の介護人の世話を受ける最中予定より早く包帯を外した時気付いた真犯人の魔の手から必死に逃げる羽目になる。
盲人サスペンスには「暗くなるまで待って」という傑作があって、比較するのも愚かしいくらいだが、本作の終盤は完全に見えないとは言えないまでも電気を消して犯人に対抗しようとするヒロインの姿は同作のオードリー・へプバーンを彷彿とする。但し、本作の犯人は相手が盲目であることを条件に襲撃するので、かのオードリーの取った作戦は殆ど通用しない。
この辺り二番煎じにしなかったのは一応誉めたいところながら、夫を含めて怪しい行動を取る人物を数名配置しておきながら早めに消して行ってしまうのがミステリー的につまらない。
残り三分の一くらいのところで犯人が判っていよいよ上記の攻防戦になるのだが、その前提に大いに疑問があり、手術直後なのに病院から帰って一人で、しかも、事件のあった危険人物がうろちょろすると考えてしかるべき姉の家に戻るというヒロインの有りうべからざる心理と強引な設定に興醒める。
こういうお話なら犯人の候補として夫の訝しい行動の謎を最後まで残した上で彼を生存させ、ヒロインが家に帰るべき理由を作っておき、かつ真犯人が誰であるか解りにくくしておけば、定石的結末であったとしても、ミステリー・サスペンスとしてもっと楽しめたに違いない。
他方、徐々に視野が狭く暗くなって来るヒロインの主観ショットを多用したり、客観ショットでもロングショットを少なめにして色々と細工をするなど映像的工夫において近年のハリウッド・サスペンスの大半に優る。
だから、お話をぐっと単純化し、真犯人の心情やヒロインの夫への思いより(映画を難しく見たがる人に受けなくて良いから)クラシックなサスペンス醸成の面白さに重点を置いた方がジャンル映画として評価出来る可能性があったのである。
スペイン政府も経済面で映画界と同じくらい頑張ってくれれば有難い。実際映画界もその一翼を担っているのかもね。
この記事へのコメント
かっこつけようとするから面白くなくなる。
電気を消すんではなく、別の利点を作って観ている側を納得させたら見事だったんだけどね。
『ミスト』という映画のラストは、監督のアイデアだそうで、原作者のキングが「書いている最中に思いついていたら、こっちのラストにした」と言わしめたほどのラストでありました。
>単純にサスペンス
世間ではそういうのをB級と言うようですよ(笑)。
実際にはB級というのは低予算映画のことで、現在のB級映画はビデオ映画が担っている状態で、絶滅状態。
それはともかく、ドラマ性や性格描写がなかったりすると評価を下げるのが多くの批評家のスタンスであり、ブロガーでもそういう傾向がありますけど、実際にはそんなことはどうでも良く、どういう狙いで作りそれが効果的に出来ているかどうかを測るのが映画評と僕は思っています。
娯楽性優先の映画を、「ドラマ性が薄いが・・・」などと色々と言い訳をして誉める人がいますが、そんな言い訳は要らないんです。
ヒッチコック映画の殆どは中味はありません。シチュエーションの面白さと映像言語の的確な使い方だけで彼は後世に残る映画を作ったわけです。
1959年にあるお堅い日本の映画評論家が仰ったそうです、「クルーゾーの『スパイ』は後世に残るが、『北北西に進路を取れ』は残らないであろう」と。
実際はどうですか、クルーゾーの「スパイ」を今話題にする人がいるでしょうか? そういう意味では映画ファンは賢いと思いますし、ヒッチコックを誉め称えたことがヌーヴェルヴァーグ批評家陣の一番のファイン・プレーでありましょう。
>『ミスト』
未読なので原作との比較はできませんが、幕切れは良かったですね。
原作より上手く出来た作品も結構ありますが、原作ファンとやらが変更すると騒ぐことが多くて嫌になっちゃいます(笑)。