映画評「海炭市叙景」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2010年日本映画 監督・熊切和嘉
ネタバレあり
函館出身の小説家・佐藤泰志の同名短編集からの五篇をピックアップ、映画的味わいを出す為に登場人物間にゆるやかな関連性を持たせて再構成している。舞台は原作の1980年代末から2009年-2010年に変更になっているが、時代ムードは原作の設定に近い。
海炭市(かいたんし)は函館市をモデルにした架空の町で、造船所のリストラで失業した竹原ピストルと谷村美月の兄妹が、初日の出を観る為に山に登るが、料金が足りない為に一人でロープウェイで下りた妹は売店で歩いて降りてくる筈の兄をいつまでも待つ。
雌猫グレと暮している老婆・中里あきは市役所の若者がいくら説得しても開発の為の立ち退きに応じない。そんなある日、グレが姿を消す。
プラネタリウムの職員・小林薫は、夜の仕事に精を出している妻・南果歩が浮気をしているのではないかと疑心暗鬼になり、家庭が荒れる。
そのプラネタリウムをよく訪れる少年の父親・加瀬亮はガス屋を父親から引き継ぎ、浄水器を売り出そうとするもののなかなか上手く行かず先代になじられるので、そのストレスの矛先を後妻に向ける。彼女は少年をいじめる。
浄水器を本土から売りに来た地元出身の青年・三浦誠己はわだかまりのある市電運転手の父とは墓参ですれ違いまともに対峙しようとしないまま、竹原が死体で発見された頃同地を後にする。
腹ぼてになって現われたグレを迎えた老婆は「みんな産め」と言う。
不況による失業とその結果としての死、開発と孤立、家庭不和、ストレスによる家庭内暴力の連鎖といった社会の負の部分ばかりを映し出すタッチは観照的で、誠に厳しい。最近イタリア映画ばかり見ていたせいか、1940年代に沈んだイタリアをスクリーンに映し出したネオ・レアリズモ諸作品を思い起こさせる。
映し出される風景は冬という季節も手伝って登場人物の心情を反映するかのように暗く寒々としている。1990年41歳の若さで自害した原作者がアイデアを捻っていた頃函館は正に沈んでいたのかもしれない。
救いのなさに「勘弁してくれ」と言いたくなるところもあるが、自分が憂愁に沈んでいる時にこのような映画を観るとさらに落ち込むか、それとも共感して力を貰えるか、それは人によって違うだろう。
しかし、映画が終盤見せるように、市電に乗り合わせたり、その前を渡るなどして、人々はどこかですれ違い、何か影響し合っている。人と違って頼る者のない猫は産んだ子供を老婆に面倒みて貰える。本作は終盤失業した若者の死という悲劇を写しながら、同時に仄かに希望の光を照らし出しているような気がするのである。
監督はこれまた北海道出身の熊切和嘉で、写実的な厳しさの中に映画的な味わいを上手く醸成し、潤いを生み出している。初めて観る監督だが、ずっと気になっている旧作「ノン子36歳(家事手伝い)」が益々観たくなってきた。
確かに20年くらい前浄水器が流行ったねえ。僕も買った。お盆休みで帰省したら別タイプの浄水器があって驚いた。
2010年日本映画 監督・熊切和嘉
ネタバレあり
函館出身の小説家・佐藤泰志の同名短編集からの五篇をピックアップ、映画的味わいを出す為に登場人物間にゆるやかな関連性を持たせて再構成している。舞台は原作の1980年代末から2009年-2010年に変更になっているが、時代ムードは原作の設定に近い。
海炭市(かいたんし)は函館市をモデルにした架空の町で、造船所のリストラで失業した竹原ピストルと谷村美月の兄妹が、初日の出を観る為に山に登るが、料金が足りない為に一人でロープウェイで下りた妹は売店で歩いて降りてくる筈の兄をいつまでも待つ。
雌猫グレと暮している老婆・中里あきは市役所の若者がいくら説得しても開発の為の立ち退きに応じない。そんなある日、グレが姿を消す。
プラネタリウムの職員・小林薫は、夜の仕事に精を出している妻・南果歩が浮気をしているのではないかと疑心暗鬼になり、家庭が荒れる。
そのプラネタリウムをよく訪れる少年の父親・加瀬亮はガス屋を父親から引き継ぎ、浄水器を売り出そうとするもののなかなか上手く行かず先代になじられるので、そのストレスの矛先を後妻に向ける。彼女は少年をいじめる。
浄水器を本土から売りに来た地元出身の青年・三浦誠己はわだかまりのある市電運転手の父とは墓参ですれ違いまともに対峙しようとしないまま、竹原が死体で発見された頃同地を後にする。
腹ぼてになって現われたグレを迎えた老婆は「みんな産め」と言う。
不況による失業とその結果としての死、開発と孤立、家庭不和、ストレスによる家庭内暴力の連鎖といった社会の負の部分ばかりを映し出すタッチは観照的で、誠に厳しい。最近イタリア映画ばかり見ていたせいか、1940年代に沈んだイタリアをスクリーンに映し出したネオ・レアリズモ諸作品を思い起こさせる。
映し出される風景は冬という季節も手伝って登場人物の心情を反映するかのように暗く寒々としている。1990年41歳の若さで自害した原作者がアイデアを捻っていた頃函館は正に沈んでいたのかもしれない。
救いのなさに「勘弁してくれ」と言いたくなるところもあるが、自分が憂愁に沈んでいる時にこのような映画を観るとさらに落ち込むか、それとも共感して力を貰えるか、それは人によって違うだろう。
しかし、映画が終盤見せるように、市電に乗り合わせたり、その前を渡るなどして、人々はどこかですれ違い、何か影響し合っている。人と違って頼る者のない猫は産んだ子供を老婆に面倒みて貰える。本作は終盤失業した若者の死という悲劇を写しながら、同時に仄かに希望の光を照らし出しているような気がするのである。
監督はこれまた北海道出身の熊切和嘉で、写実的な厳しさの中に映画的な味わいを上手く醸成し、潤いを生み出している。初めて観る監督だが、ずっと気になっている旧作「ノン子36歳(家事手伝い)」が益々観たくなってきた。
確かに20年くらい前浄水器が流行ったねえ。僕も買った。お盆休みで帰省したら別タイプの浄水器があって驚いた。
この記事へのコメント
明日食うコメがない、という貧しさではなく、
根源的な人間の不信感、市井に暮らす人たちの
やりきれなさがよく出ていた映画と私は思いました。
ビンボーったらしい作品は苦手ですが、
最近邦画ではまず感じられなかったところの
日本映画の寡黙さの“饒舌”とはこれではないかと、
そんな感触も勝手に持ったりしましてね。
>根源的な
時代を超越した人間描出があったような気がしますね。
原作が書かれた四半世紀前と今のどちらでも通用するでしょう、この風景は。
>寡黙さの“饒舌”
なるほど、素敵な表現ですね。
降旗康男監督の映画に通じるものがあるかな?
あの人、やたらに冬が好きだし(笑)。
山に行くと、谷川の水など平気ですくって飲んでましたけどね。
むかし、九州の炭鉱が閉鎖になって北海道まで職を求めて家族で行くという映画がありました。
人間は不況や災害のたびに移動しているわけで、3・11の東日本大震災でも、かなりの人が移動したようで、近所にも福島から引っ越してきた人がいます。
今日、父の初彼岸で親戚が集まった時に、30年以上前に東京時代に飲んだ水のまずさについて話をしました。とにかく、この辺りの臭いのない水を飲んでいた僕には臭くて飲むに耐えない感じがしましたね。特にポットに残る臭いには閉口しました。
当時浄水器があったら欲しかったと思ったでしょう。
>北海道まで職を求めて家族で行く
山田洋次の「家族」ではないですか?
昨日たまたまNHKでやっていました。僕は昔何度か観ているし、ブルーレイに保存してあるので今回は観ませんでした。
あれは長崎から北海道まで渡る話なので、違うかもしれませんが。
熊切監督はデビュー時から注目していて、かなり過激な作風ばかりが有名でしたが、その中にも冷静な視点が根底にあり、派手な描写だけを売り物にするような偽物ではない雰囲気を持っていました。
今後も見守っていきたい監督の一人です。彼の興味が一作品ごとにあちこちに向いているみたいで、伸びていくクリエーターを見るのは楽しいですね。
ではまた!
allcinemaで調べた時にデビュー作が「鬼畜大宴会」というもの凄いタイトルだったので、意外に思いましたが、僕は本作までこの珍しい名前の監督を意識したことがなかったです。
本作は北海道出身の監督として任命されたが故に恐らくそれまでの作品とは違う作り方をしていると想像されますが、実に堂々たる作風で、今後の作品は勿論、用心棒さんが注目したきっかけになったにちがいないデビュー作やその他の旧作もチャンスがあれば観ていきたいと思います。
>デビュー作
彼を注目したきっかけになったのが大学卒業制作の『鬼畜大宴会』なんですけど、陰惨かつ豪快なスプラッター映画なのでほぼ確実にお気に召さないと思いますよ(笑)
内ゲバを徹底的に血飛沫とともに描いた問題作品で、たしか18禁だったはずです。
豆酢さんも書こうとしていたそうなんですけど、ぼくが記事に書いたからもういいやと思われたほどの怪作でした。
ではまた!
そういう意味では余り期待していないのですが、同じスプラッターでも「13金」のような単細胞的でなければ観てみる価値はあると思いますね^^
>豆酢さん
最近遊びに行けていませんTT
豆酢さんもご覧になったとは(@_@;)