映画評「ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2011年アメリカ映画 監督マーティン・スコセッシ
ネタバレあり
僕はビートルズ・ファンであるが、ジョージ・ハリスンの熱心なファンではなかった。ポールやジョンのレコードはせっせと買ったが、ジョージは解散後最初の大作「オール・シングズ・マスト・パス」(3枚組LPで6000円くらいしたかな)と最後のスタジオ録音LP(CD)二枚を買っただけで、その間は抜けている。勿論別の手段で曲は全て聴いていたが、お金を出すのを惜しんだのであった(恥)。
ジョンは1975年まで音楽活動をした後5年の主夫業を経て復帰した80年にご存知の通り射殺される。商業的には一番積極的に活動しているポールは「パイプス・オブ・ピース」以降は僕を納得させるLPを作れていない。リンゴは自分で曲を作れないので解散直後推測された程度の活躍。
ジョージはどうかと言えば、80年代以降に限って言えばポールより明らかに良い仕事をしていると言っても良いだろう。本作は「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」を作ったマーティン・スコセッシがジョージのLPタイトルでもある「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」(意味は“物質世界に暮して”といったところですかな)に焦点に当てる形で彼の音楽人生と人生観を綴った3時間28分の長編ドキュメンタリー。
第一部は無論ビートルズ時代のお話が中心で、公式デビュー前一時メンバーだった画家志願スチュアート・サトクリフの恋人だったドイツ人女流写真家アストリッド・キルヒヘルの話が興味深い。ジョージがテーマと言いながらどうしてもジョンとポールの比重が大きくなってしまうのがこの時代ながら、第三のビートルとしての重要性が感じられる逸話が他のドキュメンタリーより多く紹介される。
ポールは「ギターはジョージが一番上手かった」というが、僕はポール本人だと思う。ジョンは四弦のバンジョーしか弾けなかったので三人が出会った頃はギターは素人であった。
大いに売れてから「ヘルプ」までジョージが表に現れることは殆どなかった。作曲は軽いラブソング"Don't Bother Me"一曲しかないし、歌も上手ではなかったのでエコーを相当使って誤魔化している。
3年後の「ラバー・ソウル」における"If I Needed Someone"、「リボルバー」における"Taxman"辺りになると作曲のコツを得たようで、ビートルズ・ファンの中にも重要な曲に数える人が少なくない。
時代的にこの辺りでLSDに洗礼を受ける。本人を含めた関係者の話ではパーティーでこっそり飲ませられたようである。しかし、彼らは薬ではなく、永続性を求めて、物質世界(マテリアル・ワールド)に対する精神世界を探る道を歩むことになる。ジョンはすぐにインド宗教から離反し"Sexy Sady"で賢者マハリシ・ヨギを「とんだインチキ野郎だ」と批判しているが、ジョージは後年まで精神世界に留まり瞑想を重視する。インドのシタール奏者ラヴィ・シャンカールと知り合うのはこれより前だったかもしれないが、ジョージが独自の繊細なギターを弾くようになっていくのは60年代半ばにシタール演奏を学んだのが背景にあるような気がする。
所謂「ホワイト・アルバム」における"While My Guitar Gently Weeps"はエリック・クラプトンがリード・ギターを弾いている為ギター・ファンにも評価の高い曲になっているが、他のメンバーも力が入っていて音が分厚く、トータルで隠れた名曲の多い同アルバム最高の曲ではあるまいか?
第二部では彼の幅広い交友関係が特に印象付けられる。
瞑想即ち精神世界に入りながらも比較的コンスタントに作品を発表していくジョージが、同時に「モンティ・パイソン」の連中がキリスト教を風刺する内容であるとしてEMIから映画資本提供を拒否された時に資本提供を決め、映画会社を設立して「ライフ・オブ・ブライアン」(1979年)を完成させ、その映画会社が作った代表作がテリー・ギリアムが監督した快作「バンデットQ」(1981年)である。
妻パティ・ボイドを親友クラプトンに奪われた後メキシコ系アメリカ人のオリヴィアと再婚して出来た息子がダーニで、死後発表された遺作「ブレインウォッシュト」を元ELOのジェフ・リンと共同プロデュースしていた。
オリヴィアは1999年に暴漢が自宅で彼を襲った事件を生々しく紹介、息子はこの事件が病死を早めた可能性が高いと言っていたり、脳腫瘍の娘を抱えたリンゴの回想もじーんとさせる。レーサーのジャッキー・スチュアートと深い付き合いがあったというのも面白い。
基本的に時系列に沿って語られてはいるが、取捨選択が交友関係というテーマに沿って大胆に行なわれている為80年代は一気に飛ぶので、熱烈なファンには逆に不満が残る可能性がある。
いずれにしても、大変興味深く出来ている。ビートルズとジョージ・ハリスンのファンでなくても70年代までのロックに興味がある方なら必見。
2011年アメリカ映画 監督マーティン・スコセッシ
ネタバレあり
僕はビートルズ・ファンであるが、ジョージ・ハリスンの熱心なファンではなかった。ポールやジョンのレコードはせっせと買ったが、ジョージは解散後最初の大作「オール・シングズ・マスト・パス」(3枚組LPで6000円くらいしたかな)と最後のスタジオ録音LP(CD)二枚を買っただけで、その間は抜けている。勿論別の手段で曲は全て聴いていたが、お金を出すのを惜しんだのであった(恥)。
ジョンは1975年まで音楽活動をした後5年の主夫業を経て復帰した80年にご存知の通り射殺される。商業的には一番積極的に活動しているポールは「パイプス・オブ・ピース」以降は僕を納得させるLPを作れていない。リンゴは自分で曲を作れないので解散直後推測された程度の活躍。
ジョージはどうかと言えば、80年代以降に限って言えばポールより明らかに良い仕事をしていると言っても良いだろう。本作は「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」を作ったマーティン・スコセッシがジョージのLPタイトルでもある「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」(意味は“物質世界に暮して”といったところですかな)に焦点に当てる形で彼の音楽人生と人生観を綴った3時間28分の長編ドキュメンタリー。
第一部は無論ビートルズ時代のお話が中心で、公式デビュー前一時メンバーだった画家志願スチュアート・サトクリフの恋人だったドイツ人女流写真家アストリッド・キルヒヘルの話が興味深い。ジョージがテーマと言いながらどうしてもジョンとポールの比重が大きくなってしまうのがこの時代ながら、第三のビートルとしての重要性が感じられる逸話が他のドキュメンタリーより多く紹介される。
ポールは「ギターはジョージが一番上手かった」というが、僕はポール本人だと思う。ジョンは四弦のバンジョーしか弾けなかったので三人が出会った頃はギターは素人であった。
大いに売れてから「ヘルプ」までジョージが表に現れることは殆どなかった。作曲は軽いラブソング"Don't Bother Me"一曲しかないし、歌も上手ではなかったのでエコーを相当使って誤魔化している。
3年後の「ラバー・ソウル」における"If I Needed Someone"、「リボルバー」における"Taxman"辺りになると作曲のコツを得たようで、ビートルズ・ファンの中にも重要な曲に数える人が少なくない。
時代的にこの辺りでLSDに洗礼を受ける。本人を含めた関係者の話ではパーティーでこっそり飲ませられたようである。しかし、彼らは薬ではなく、永続性を求めて、物質世界(マテリアル・ワールド)に対する精神世界を探る道を歩むことになる。ジョンはすぐにインド宗教から離反し"Sexy Sady"で賢者マハリシ・ヨギを「とんだインチキ野郎だ」と批判しているが、ジョージは後年まで精神世界に留まり瞑想を重視する。インドのシタール奏者ラヴィ・シャンカールと知り合うのはこれより前だったかもしれないが、ジョージが独自の繊細なギターを弾くようになっていくのは60年代半ばにシタール演奏を学んだのが背景にあるような気がする。
所謂「ホワイト・アルバム」における"While My Guitar Gently Weeps"はエリック・クラプトンがリード・ギターを弾いている為ギター・ファンにも評価の高い曲になっているが、他のメンバーも力が入っていて音が分厚く、トータルで隠れた名曲の多い同アルバム最高の曲ではあるまいか?
第二部では彼の幅広い交友関係が特に印象付けられる。
瞑想即ち精神世界に入りながらも比較的コンスタントに作品を発表していくジョージが、同時に「モンティ・パイソン」の連中がキリスト教を風刺する内容であるとしてEMIから映画資本提供を拒否された時に資本提供を決め、映画会社を設立して「ライフ・オブ・ブライアン」(1979年)を完成させ、その映画会社が作った代表作がテリー・ギリアムが監督した快作「バンデットQ」(1981年)である。
妻パティ・ボイドを親友クラプトンに奪われた後メキシコ系アメリカ人のオリヴィアと再婚して出来た息子がダーニで、死後発表された遺作「ブレインウォッシュト」を元ELOのジェフ・リンと共同プロデュースしていた。
オリヴィアは1999年に暴漢が自宅で彼を襲った事件を生々しく紹介、息子はこの事件が病死を早めた可能性が高いと言っていたり、脳腫瘍の娘を抱えたリンゴの回想もじーんとさせる。レーサーのジャッキー・スチュアートと深い付き合いがあったというのも面白い。
基本的に時系列に沿って語られてはいるが、取捨選択が交友関係というテーマに沿って大胆に行なわれている為80年代は一気に飛ぶので、熱烈なファンには逆に不満が残る可能性がある。
いずれにしても、大変興味深く出来ている。ビートルズとジョージ・ハリスンのファンでなくても70年代までのロックに興味がある方なら必見。
この記事へのコメント
ライブ会場の混乱、ヘルスエンジャルスに仕切らせた失敗・・・拳銃を取り出した奴をナイフで刺した映像が映っていて、ミック・ジャガーが歌うのをやめて止めてもおさまらない混乱・・・・
ロックの黎明期の混乱ぶりがよくわかりますな。
渋谷あたりでライブをやっている連中は、このあたりの影響を色濃く残しているのがよくわかりますね。
こんな早朝になんだろうな?と思っていたら、レッド・ツェッペリンのライブ映画が公開されるそうで、ジミーペイジが来日して会見してました。
これに引っ掛けていたわけか・・・であります。
「ギミー・シェルター」にそんな場面がありましたっけ。
忘れてしまいました。
僕が一番好きなローリング・ストーンズはこの頃で、「ギミー・シェルター」も格好良い。A面が「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」でした。
>レッド・ツェッペリン
若い人はツェッペリンをどう思っているか知らないけれど、50代・60代のじいさん連中が観に行くんでしょうなあ。
奥田民生がパロッている曲が面白いですよ。タイトルは「2500」で、井上陽水とユニットを組んだ最初のアルバムに入っています。あのアルバム、殆ど何かの曲から戴いて、僕としては実においしいLP(CD)でした。
『ギミー・シェルター』で、拳銃を振り回して刺された男は、けっきょくその場で死んでいるのが確認されて、その映像を観たミックはショックを受けてました。
その映像がはいたままのライブ映像のDVDが売られるというのも・・・・日本では無理なような・・・
奥田氏の場合は、メロディーを似せないから結構気がつかない例が多いと思います。
「2500」も僕も突然「もしやツェッペリン?」と思ったくらいで、何と言うのかなあ、ツェッペリンでも「4」の数曲から曲想を戴いている感じで、そっくりというわけではないです。でも面白い、こういうのが。
同じLP「ショッピング」に入っていてキョンキョンにも提供した「月ひとしずく」は、それこそジョージ・ハリスンの曲想(多分「マイ・スイート・ロード」を中心に)を戴いてますよ。ギターも明らかに似せている。彼はどうもジョージのギターが好きで、「イージュー★ライダー」という曲もジョージっぽいところがあります。
それから、パフィーに提供した「アジアの純真」も自分たちのバージョンは全然違いますが、パフィー・バージョンでは思い切り編曲がELOですもんね。
>『ギミー・シェルター』
ひぇー、そんな強烈な場面がありましたか。結構適当に見ていたのですなあ^^;
>「パイプス・オブ・ピース」
同感です!ぼくもこのアルバムまでしか買っていませんよ。「ソー・バッド」とかなかなかの名曲だと思います。
ジョージの曲って、後期になると重要な「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」も出てきますし、個人的には「ジョンとヨーコのバラード」のB面「オールド・ブラウン・シュー」が好きで、今でも時々ドーナツ盤を聴きます。
話は変わりますが、なんかブログのカウンターも見れなくなってますし、異常に重たいし、不具合だらけでストレスを感じますね。早く正常化させて欲しいものです。
ではまた!
>「オールド・ブラウン・シュー」
中学生の頃は変な曲だなあと思っていたのですが、大学くらいから突然あの変則的なベースが気に入って、それ以来好きな曲になっています。ちょっと歌いにくいのが玉に瑕ですけどね(笑)。
>カウンター
今、繋がりを良くする為にカウンターを切り離しているらしいのですが、困るんですよネエ。
当方少ないなりに楽しみにしているところもあるので。
>カウンター
最初、事情が分かっていなくて、一番新しい記事の閲覧が0になっていたときにはちょっとショックでしたよ(笑)
おかしいなあと思い、確認していくとテーマの更新も14日で止まっていましたし、カウンター自体も動いていませんし、訳が分かりませんでした。
運営側の報告も18日までですし、メールでの連絡も何もありませんし、見通しも立たないと不安ですし、きちんと応対して欲しいですね。
ではまた!
報告に対して暴言に近い文句を言っている連中の態度は失礼と言うか、困ったものだと思いますが、とにかく早く正常に戻って欲しいという心境は同じです。