映画評「未来を生きる君たちへ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2010年デンマーク=スウェーデン合作映画 監督スザンネ・ビア
ネタバレあり
日本初紹介の「しあわせな孤独」(2002年)に感心させられた女性監督スザンネ・ビアがアカデミー外国語映画賞を獲った話題作。
運命に翻弄される壮絶な悲劇「灼熱の魂」と争って受賞したと聞いたものだから大いに期待していたが、ほぼ同じテーマを求めながら名状しがたい壮絶さを持つ「灼熱の魂」に迫力で少々及ばない印象である。あの作品はとかく否定されがちな作為性が観客のエモーションという点で非常に良い効果をもたらしていたのが実際ではありながら、本作はぐっと現実的にして図式が解りやすく、9・11を受けて自国が取った行動に対する疑問を現時点で感じているアカデミー会員に受けたのであろう。
デンマーク、スウェーデン人医師アントン(ミカエル・バーシュブラント)の息子エリアス(マルクス・リゴード)は容姿を理由に同級生(シモン・モーゴード・ホルム)のいじめを受ける毎日。母親を癌で失ってから父(ウルリク・トムセン)と共に祖国へ戻ってきたクリスチャン(ウィリアム・ヨンク・ユエルス・ニルセン)が同情して加害者をひどく痛め付ける。クリスチャンは父親に「暴力は連鎖を生む」と窘められるが、いじめっ子君はそれ以来いじめなくなる。彼は母親の死に対する態度から父親に不信感を抱いている為自分のやったことの結果が正しいことに自信を深める。
いじめ事件は次の事件への布石である。
即ち、アントンが弟息子の喧嘩の仲裁に入った時相手の父親に理由も聞かれず殴打され、やり返さなかったことに対して、第三者のクリスチャンが怒り、偶然納屋で発見した祖父の爆薬を使って殴った男の車を爆破することを思い付く。誰もいないつもりでやったのに母娘が通りかかった為エリアスが止めに入り負傷してしまい、医師でもある彼の母親マリアン(トリーム・ディルホム)に追い返される。
この事件の前アントンはアフリカの難民キャンプで、賭けの為に妊婦を腹を裂くという残虐な行為を繰り返している現地のボスの傷を診てやったのに非人道的な言葉に怒って、周囲は全て敵であるキャンプの真ん中に投げ出す事件を起している。“相手を問わず命を救うのが医者”と言った彼が間接的な殺人を行なったのである。彼の事件と呼応するように少年たちの事件が起きるわけで、作者は序盤から色々な布石を上手に使って、感情を持つ動物である人間が暴力の連鎖を断ち切ることが如何に難しいか訴え、鑑賞者にどうしたらこれが解決できるのか命題を提示する。
ガンジーやトルストイが無抵抗主義や非暴力を訴えたが、歴史のダイナミズムの中ではそれが如何に無力であったか。パレスチナを巡るユダヤ人とアラブ人の争いを見ても、現実の世界では難しい。
本作において子供のいじめは仕返しによって止まった。個人のレベルではそういうこともあるのだろう。いじめの場合では相手の力を認めた結果であり、二家族をめぐる精神的暴力はやがて赦しに変わる。その意味では、人類が知恵を絞れば、民族或いは国家同士の復讐の連鎖も或いは止まるのではないかと思わせる余韻を残す。スザンネ・ベアは、それが実現する可能性を信じているというより、願いをこめて作ったのであろう。
ただ、僕としては、布石をしっかり置きすぎたのが逆効果で図式的に過ぎる印象を引き起こし、現時点では少々物足りなさを覚える。
戦争だけではない。毎日の新聞を読んでみても、人間というのは、底なしに醜い。
2010年デンマーク=スウェーデン合作映画 監督スザンネ・ビア
ネタバレあり
日本初紹介の「しあわせな孤独」(2002年)に感心させられた女性監督スザンネ・ビアがアカデミー外国語映画賞を獲った話題作。
運命に翻弄される壮絶な悲劇「灼熱の魂」と争って受賞したと聞いたものだから大いに期待していたが、ほぼ同じテーマを求めながら名状しがたい壮絶さを持つ「灼熱の魂」に迫力で少々及ばない印象である。あの作品はとかく否定されがちな作為性が観客のエモーションという点で非常に良い効果をもたらしていたのが実際ではありながら、本作はぐっと現実的にして図式が解りやすく、9・11を受けて自国が取った行動に対する疑問を現時点で感じているアカデミー会員に受けたのであろう。
デンマーク、スウェーデン人医師アントン(ミカエル・バーシュブラント)の息子エリアス(マルクス・リゴード)は容姿を理由に同級生(シモン・モーゴード・ホルム)のいじめを受ける毎日。母親を癌で失ってから父(ウルリク・トムセン)と共に祖国へ戻ってきたクリスチャン(ウィリアム・ヨンク・ユエルス・ニルセン)が同情して加害者をひどく痛め付ける。クリスチャンは父親に「暴力は連鎖を生む」と窘められるが、いじめっ子君はそれ以来いじめなくなる。彼は母親の死に対する態度から父親に不信感を抱いている為自分のやったことの結果が正しいことに自信を深める。
いじめ事件は次の事件への布石である。
即ち、アントンが弟息子の喧嘩の仲裁に入った時相手の父親に理由も聞かれず殴打され、やり返さなかったことに対して、第三者のクリスチャンが怒り、偶然納屋で発見した祖父の爆薬を使って殴った男の車を爆破することを思い付く。誰もいないつもりでやったのに母娘が通りかかった為エリアスが止めに入り負傷してしまい、医師でもある彼の母親マリアン(トリーム・ディルホム)に追い返される。
この事件の前アントンはアフリカの難民キャンプで、賭けの為に妊婦を腹を裂くという残虐な行為を繰り返している現地のボスの傷を診てやったのに非人道的な言葉に怒って、周囲は全て敵であるキャンプの真ん中に投げ出す事件を起している。“相手を問わず命を救うのが医者”と言った彼が間接的な殺人を行なったのである。彼の事件と呼応するように少年たちの事件が起きるわけで、作者は序盤から色々な布石を上手に使って、感情を持つ動物である人間が暴力の連鎖を断ち切ることが如何に難しいか訴え、鑑賞者にどうしたらこれが解決できるのか命題を提示する。
ガンジーやトルストイが無抵抗主義や非暴力を訴えたが、歴史のダイナミズムの中ではそれが如何に無力であったか。パレスチナを巡るユダヤ人とアラブ人の争いを見ても、現実の世界では難しい。
本作において子供のいじめは仕返しによって止まった。個人のレベルではそういうこともあるのだろう。いじめの場合では相手の力を認めた結果であり、二家族をめぐる精神的暴力はやがて赦しに変わる。その意味では、人類が知恵を絞れば、民族或いは国家同士の復讐の連鎖も或いは止まるのではないかと思わせる余韻を残す。スザンネ・ベアは、それが実現する可能性を信じているというより、願いをこめて作ったのであろう。
ただ、僕としては、布石をしっかり置きすぎたのが逆効果で図式的に過ぎる印象を引き起こし、現時点では少々物足りなさを覚える。
戦争だけではない。毎日の新聞を読んでみても、人間というのは、底なしに醜い。
この記事へのコメント
ささいなことからおおきなことまで、人間は醜いですな・・・・
福島の復興予算を官庁の耐震に使うとは・・・・・姑息というか・・・・・
人間に希望はあるのか?と思うときがありますな。
そりゃあ、若い人が子供を作りたくなくなるわけですな~
ウェブリブログも混乱が続いてます・・・コメントが掲載されるかな?と思いながら書いてます(>_<)
>復興予算
復興予算が必要とされる最大要因となった原発にも予算が回されると聞くに及んで、官僚の厚顔無恥は理解を超えますねえ。
彼らが今やっていることは、何十年か後にとんでもない形で返って来るのは間違いないですが、応報されるのが本人でないのが腹が立つ(怒)。
>ウェブリブログ
管理者が一生懸命やっているので、くだらない文句を言いませんが、カウンターが動かないのがつまりません。
意外な作品が多かったりするのが面白かったりするので。
今年中に全アクセス百万を達成する見込みだったのですが、余り長引くと目標達成できません。どうでも良いですが(笑)。