映画評「灼熱の魂」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2010年カナダ=フランス合作映画 監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ
ネタバレあり
レバノン出身でカナダ在住の劇作家ワジ・ムアワッドの戯曲を映画化した作品、などと言っても全くピンと来ない。監督のドゥニ・ヴィルヌーヴも全く初めて観る。
「キャラメル」で紹介されたようにレバノンはイスラム教徒とキリスト教徒が共存する国家である。
カナダで初老の婦人ナワル(ルブナ・アザバル)が死に、双子の姉弟に変な遺言を残す。姉ジャンヌ(メリッサ・デゾルモ=プーラン)には父を、弟シモン(マキシム・ゴーデット)には兄を探し出して、各々に宛てた手紙を渡し、それが実行された後名前と墓碑銘を刻むことと記されていたのである。
ジャンヌは積極的に父(と兄)を探し出しにレバノンへ赴く。この時点で彼女は知らないが、およそ40年前にキリスト教徒の母親はイスラム教徒の男と結ばれて子供を授かり、その子供は孤児院に預けられる。母親は子供を探すが、両教徒の対立が激化して孤児院は焼かれ、子供が死んだかどうかも解らず、消息を辿る旅を続けるうちに彼女はテロリストになり、キリスト教系の政治指導者を暗殺してしまう。かくして彼女は囚人となり、拷問人にレイプされて子供を設ける。それがジャンヌが一葉の写真からやっと辿り着いた元刑務所で解ったことである。
彼女は探索に積極的になれない弟を呼び寄せると、二人は彼女の分娩を手伝った元看護婦から自分たちがその時の子供であることと知らされる。ここに至って兄探しにやる気になった弟がやっと探し出した拷問人の元上司から聴き出した話は“1+1=1”というあっと驚く結果である。それを聴いた姉はすぐにその意味を察知する。
姉が数学者であるという設置を上手く生かした部分であるが、皆さんは1+1=1の意味がお解りになりますか? 僕はそれ以上を言わずにおこうと思うが、要はallcinemaの最後の投稿者が記しているようにギリシャ悲劇「オイディプス王」の現代版悲劇である。
本作で誰が一番悲劇的であろうか? ギリシャ悲劇におけるオイディプス、即ち、最後に墓地を訪れる人物である。若い姉弟も名状しがたい苦悩の人生を味わわなければならないだろうが、かの人物は精神的にオイディプスのように自分の目を潰して乞食になるよりほかあるまい。
アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス、シェークスピア、コルネイユ、ラシーヌ、近松門左衛門、河竹黙阿弥等々、古今東西の天才が書いた優れた悲劇は多けれども、ソフォクレスの「オイディプス王」程運命を呪いたくなる悲劇は他にないだろう。それをもじった本作の運命の皮肉にも言葉を失わせるものがある。
しかし、この母親の強さはまた例外的なのである。(いつ書かれたのか定かではないが)彼女の遺言には、彼女が寧ろ呪われた運命に人生を達観する境地(予知?)を得たのではないか、そんなことを思わせるものがある。
神は、彼女の人生の終焉に真実を教え給うたのか、それとも彼女の達した境地を見て天国へ召されたのか。いずれにしても翻弄され続けた彼女の人生は、天の配剤により終りを告げる。大悲劇だが、ソフォクレスとは全く違う不可思議な後味を残す。そこにはいつまで経っても争い続ける人間の愚かさに対する悲しい現代的な視線がある。
ジャンヌはレバノンに着いて早々に上司が紹介した数学教授から、無神論の哲学者ディドロに対し数学者オイラーが意味のない公式を持ち出して「故に神は存在する」と言った逸話を紹介される。これもちょっとした伏線になっている気がする。
ドゥニ・ヴィルヌーヴの演出は堂々たるものである。ナワルとジャンヌが交互に出てくる構成も解りにくいようで、全く問題がなく、スムーズ。現時点において本年度監督賞のNo.1候補と言うべし。
ジョージ・ハリスン曰く、All Things Must Pass.と。
2010年カナダ=フランス合作映画 監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ
ネタバレあり
レバノン出身でカナダ在住の劇作家ワジ・ムアワッドの戯曲を映画化した作品、などと言っても全くピンと来ない。監督のドゥニ・ヴィルヌーヴも全く初めて観る。
「キャラメル」で紹介されたようにレバノンはイスラム教徒とキリスト教徒が共存する国家である。
カナダで初老の婦人ナワル(ルブナ・アザバル)が死に、双子の姉弟に変な遺言を残す。姉ジャンヌ(メリッサ・デゾルモ=プーラン)には父を、弟シモン(マキシム・ゴーデット)には兄を探し出して、各々に宛てた手紙を渡し、それが実行された後名前と墓碑銘を刻むことと記されていたのである。
ジャンヌは積極的に父(と兄)を探し出しにレバノンへ赴く。この時点で彼女は知らないが、およそ40年前にキリスト教徒の母親はイスラム教徒の男と結ばれて子供を授かり、その子供は孤児院に預けられる。母親は子供を探すが、両教徒の対立が激化して孤児院は焼かれ、子供が死んだかどうかも解らず、消息を辿る旅を続けるうちに彼女はテロリストになり、キリスト教系の政治指導者を暗殺してしまう。かくして彼女は囚人となり、拷問人にレイプされて子供を設ける。それがジャンヌが一葉の写真からやっと辿り着いた元刑務所で解ったことである。
彼女は探索に積極的になれない弟を呼び寄せると、二人は彼女の分娩を手伝った元看護婦から自分たちがその時の子供であることと知らされる。ここに至って兄探しにやる気になった弟がやっと探し出した拷問人の元上司から聴き出した話は“1+1=1”というあっと驚く結果である。それを聴いた姉はすぐにその意味を察知する。
姉が数学者であるという設置を上手く生かした部分であるが、皆さんは1+1=1の意味がお解りになりますか? 僕はそれ以上を言わずにおこうと思うが、要はallcinemaの最後の投稿者が記しているようにギリシャ悲劇「オイディプス王」の現代版悲劇である。
本作で誰が一番悲劇的であろうか? ギリシャ悲劇におけるオイディプス、即ち、最後に墓地を訪れる人物である。若い姉弟も名状しがたい苦悩の人生を味わわなければならないだろうが、かの人物は精神的にオイディプスのように自分の目を潰して乞食になるよりほかあるまい。
アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス、シェークスピア、コルネイユ、ラシーヌ、近松門左衛門、河竹黙阿弥等々、古今東西の天才が書いた優れた悲劇は多けれども、ソフォクレスの「オイディプス王」程運命を呪いたくなる悲劇は他にないだろう。それをもじった本作の運命の皮肉にも言葉を失わせるものがある。
しかし、この母親の強さはまた例外的なのである。(いつ書かれたのか定かではないが)彼女の遺言には、彼女が寧ろ呪われた運命に人生を達観する境地(予知?)を得たのではないか、そんなことを思わせるものがある。
神は、彼女の人生の終焉に真実を教え給うたのか、それとも彼女の達した境地を見て天国へ召されたのか。いずれにしても翻弄され続けた彼女の人生は、天の配剤により終りを告げる。大悲劇だが、ソフォクレスとは全く違う不可思議な後味を残す。そこにはいつまで経っても争い続ける人間の愚かさに対する悲しい現代的な視線がある。
ジャンヌはレバノンに着いて早々に上司が紹介した数学教授から、無神論の哲学者ディドロに対し数学者オイラーが意味のない公式を持ち出して「故に神は存在する」と言った逸話を紹介される。これもちょっとした伏線になっている気がする。
ドゥニ・ヴィルヌーヴの演出は堂々たるものである。ナワルとジャンヌが交互に出てくる構成も解りにくいようで、全く問題がなく、スムーズ。現時点において本年度監督賞のNo.1候補と言うべし。
ジョージ・ハリスン曰く、All Things Must Pass.と。
この記事へのコメント
観ればよかった(^^ゞ
オイディプスの悲劇というのは、現代でもけっこうあるようで、孤児院で別れた兄妹が夫婦になったあと、子供が出来た後に気が付くという事件が、最近、イギリスでありました。
しかし、ツタンカーメンのように兄と妹が夫婦になるという例もあったようで、これは、王家の純粋さを保つためだったそうです。
人間をやっているのが嫌になる可能性もありますけど、商業映画としてなかなか上手く構成されているなあ、と思いました。
しかし、衝撃的な内容です。