映画評「完全な遊戯」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1958年日本映画 監督・舛田利雄
ネタバレあり
石原慎太郎の同名小説が原作ということになっているが、一部の状況を戴いただけで殆ど別のお話である。かの小説はいかにも非道徳的なので当時の感覚では商業映画として見せるのが難しかったのだろうが、白坂依志夫の脚色(殆どオリジナル脚本と言うべし)はなかなか良く出来ている。
就職難の1950年代後半(今より良いべさ)、大学四年生の五人組が遊び金を何とか手に入れられないかと思案する。知恵袋というべき梅野泰靖が、競輪場とノミ屋のタイムラグを利用して電話作戦を敢行、結果を知った武藤章生が岡田真澄に手旗信号で知らせ、岡田がノミ屋に程近い化粧品店の電話に控える柳瀬志郎に伝言、それを暗号化したデート用語を使ってノミ屋に待機している梅野と小林旭に伝え、時間ぎりぎりに賭けて大儲けに成功。
ここまでが第一部といったところでなかなか面白いアイデアだが、台詞とレース結果(映像)が練習でも本番でも合っていない。これはどういうことですか。僕は作戦が失敗したのか思いましたぜ。
第二部と言うべきは、この詐欺をベースにした悲劇である。
ノミ屋を管理する葉山良二には梅野に渡す34万円が出来ず、20万円だけ何とか工面、残りの14万円は後日ということにして手を打とうとするが、早く大金を手にしたい梅野たちは彼の妹・芦川いづみを拉致・監禁してお金を強請る計画を立てる。小林がデートのお誘い役でそこへ現れた4人組に拉致されるという作戦だが、ここから歯車が狂い出す。
兄妹の母親は心臓が悪く、小林が世話をしている間葉山がお金を工面に精を出すがどうにも手がなく遂に集金を終えた銀行員からバッグを奪って約束を果たす。葉山が逮捕された時のことを考えて入金を確認する前に娘は解放されるが、母親の死体を目にした時監禁中に不良学生に輪姦されたショックで自殺してしまう。葉山は梅野を学校前で刺殺して自首する。残る三人は何もなかったような顔をしている。娘から好意を寄せられていた小林はこれにどうにも我慢がならず、就職が決まった直後思い切った行動を取る。
原作の学生たちは悪質千万であり遥かに救われない内容だが、ぐっと控え目にしたと思われる本作でも彼らの行為や態度は義憤にかられる。特に態度がいかん。こういう輩は徹底的に懲らしめないといけない。とは言うものの、極めて勧善懲悪的な幕切れは妥協的であり映画のトーンを壊している為、映画的には気に入らない。後味の悪さは必ずしも登場人物の非人道的な性格が生み出すとは限らず、実際の倫理問題と映画の感想は一致しないこともあるのである。
序盤の事件は本作公開の丁度一年前に紹介されたスタンリー・キューブリックの出世作「現金に体を張れ」(1956年)からインスピレーションを得たのではないかと思われる節(計画自体は全然違う)がある一方、幾つかの場面にゴダールやトリュフォーを感じさせるショットがある。これが何と言っても凄い。彼らの長編が日本に紹介されるのは本作の1年以上後のことだからである。中平康監督の「狂った果実」(1956年)ほど鮮明ではないが、日本(日活)映画がヌーヴェルヴァーグに先んじていたことが解る一編として見ておくのも良いと思う。
賞やベスト10にまった~く縁のなかった戦後の日活が世界に先んじていた映画界の面白さよ。
1958年日本映画 監督・舛田利雄
ネタバレあり
石原慎太郎の同名小説が原作ということになっているが、一部の状況を戴いただけで殆ど別のお話である。かの小説はいかにも非道徳的なので当時の感覚では商業映画として見せるのが難しかったのだろうが、白坂依志夫の脚色(殆どオリジナル脚本と言うべし)はなかなか良く出来ている。
就職難の1950年代後半(今より良いべさ)、大学四年生の五人組が遊び金を何とか手に入れられないかと思案する。知恵袋というべき梅野泰靖が、競輪場とノミ屋のタイムラグを利用して電話作戦を敢行、結果を知った武藤章生が岡田真澄に手旗信号で知らせ、岡田がノミ屋に程近い化粧品店の電話に控える柳瀬志郎に伝言、それを暗号化したデート用語を使ってノミ屋に待機している梅野と小林旭に伝え、時間ぎりぎりに賭けて大儲けに成功。
ここまでが第一部といったところでなかなか面白いアイデアだが、台詞とレース結果(映像)が練習でも本番でも合っていない。これはどういうことですか。僕は作戦が失敗したのか思いましたぜ。
第二部と言うべきは、この詐欺をベースにした悲劇である。
ノミ屋を管理する葉山良二には梅野に渡す34万円が出来ず、20万円だけ何とか工面、残りの14万円は後日ということにして手を打とうとするが、早く大金を手にしたい梅野たちは彼の妹・芦川いづみを拉致・監禁してお金を強請る計画を立てる。小林がデートのお誘い役でそこへ現れた4人組に拉致されるという作戦だが、ここから歯車が狂い出す。
兄妹の母親は心臓が悪く、小林が世話をしている間葉山がお金を工面に精を出すがどうにも手がなく遂に集金を終えた銀行員からバッグを奪って約束を果たす。葉山が逮捕された時のことを考えて入金を確認する前に娘は解放されるが、母親の死体を目にした時監禁中に不良学生に輪姦されたショックで自殺してしまう。葉山は梅野を学校前で刺殺して自首する。残る三人は何もなかったような顔をしている。娘から好意を寄せられていた小林はこれにどうにも我慢がならず、就職が決まった直後思い切った行動を取る。
原作の学生たちは悪質千万であり遥かに救われない内容だが、ぐっと控え目にしたと思われる本作でも彼らの行為や態度は義憤にかられる。特に態度がいかん。こういう輩は徹底的に懲らしめないといけない。とは言うものの、極めて勧善懲悪的な幕切れは妥協的であり映画のトーンを壊している為、映画的には気に入らない。後味の悪さは必ずしも登場人物の非人道的な性格が生み出すとは限らず、実際の倫理問題と映画の感想は一致しないこともあるのである。
序盤の事件は本作公開の丁度一年前に紹介されたスタンリー・キューブリックの出世作「現金に体を張れ」(1956年)からインスピレーションを得たのではないかと思われる節(計画自体は全然違う)がある一方、幾つかの場面にゴダールやトリュフォーを感じさせるショットがある。これが何と言っても凄い。彼らの長編が日本に紹介されるのは本作の1年以上後のことだからである。中平康監督の「狂った果実」(1956年)ほど鮮明ではないが、日本(日活)映画がヌーヴェルヴァーグに先んじていたことが解る一編として見ておくのも良いと思う。
賞やベスト10にまった~く縁のなかった戦後の日活が世界に先んじていた映画界の面白さよ。
この記事へのコメント
日本でなければ、中平、舛田、両監督も世界に名を知られるようになったかもしれませんね。
僕の分析は殆ど勘でありますが、当たっていることもあるようです(笑)。
日活なんて馬鹿にしておりましたので「狂った果実」を見たのは僅かに20年くらい前。お話はともかく、「感覚がまるでヌーヴェルヴァーグやんけ」と感心しました。
製作年度を何回確認してもトリュフォーやゴダールよりずっと先なので、良い意味で呆れてしまったのを覚えています。それ以来中平監督のファンであります。
で、トリュフォーは「狂った果実」を見て感嘆、影響を大いに受けた・・・というのは昨年wikipediaを見て初めて知りました。
つまり、間違いなく日本がヌーヴェルヴァーグ発祥の地なんですよ^^)v
60年代始め松竹ヌーヴェルヴァーグなんて言葉もできたのは、ある意味けしからんですぞ。大島渚、篠田正浩、吉田喜重の三名は、日活に頭を下げないといけないわけですから(笑)。
でも、相変わらず、中平康は一部篤志家の研究対象に過ぎないんですよね。残念。