映画評「アナザー・プラネット」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2011年アメリカ映画 監督マイク・ケーヒル
ネタバレあり

新人のスタッフ、キャストによる派手さのない内容につき日本では未公開に終わったが、注目して良いSF風ドラマである。

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もう一つの地球が発見されたと聞いて空を見上げた為17歳にしてMITに合格した秀才少女ブリット・マーリングが運転中の車を音楽教授ウィリアム・メイポーザーの車に衝突させ、彼の妻子を事故死させてしまう。
 四年後出所した彼女は高校の掃除婦になると共に、謝罪しに教授の家を訪れるが、真相を言えずに掃除の無料お試しと称して彼の家に入る。仕事ぶりが気に入った彼は毎週頼むことにするうち、心の隙間を彼女で埋めようと思うまでになる。
 が、彼女が事故の加害者と知って遠ざけ、彼女はやっと手に入れたもう一つの地球に行ける切符を後に残して去る。鏡であったもう一つの地球が現れた瞬間からこちらの地球とシンクロしなくなったという説を知り、彼をして家族が生きている可能性に賭けてみさせるのである。四か月後彼が出発して間もなく、彼女の前に違う服装をしたもう一人の彼女が現れる。

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パラレル・ワールドが誰の目にも具体的に見えるという発想が新鮮で、地球から地球を見るという情景が誠に美しく何故か心に沁みる。SF的に若しくは論理的には二人の同じ人物が遭遇した時にどういうことが起きるか些か疑問を覚えるのであるが、同一人物であって同一人物でない為にタイムスリップもののそれ程は気にならない。

純粋に償いと赦しを描いたドラマと思えば、幕切れにもう一人の彼女が現れるのは彼の赦しを意味するものであろうか。個人的には彼女が償いの為に彼に可能性を与える切符を残した時に彼は赦したと思うが、向うの地球で事故がなかった場合彼女はこちらの地球に来ようとは思わない筈だから、彼が家族と再会させてくれたお礼として、事故を起こさずに前途洋々の人生を生きている彼女をこちらに送ってくれたと解釈するのが一番整合性がある。

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科学的によく検討された内容とは思えないが、ドラマとしてはきちんと作られていて、しかも後味が良く癒される。加害者と被害者の関係を逆にすれば同工異曲と言って良い「ラビットホール」より単純にして深遠かもしれない。

ヒロイン役のブリット・マーリングはいかにも利発そうな美人というだけでなく、監督と共同で脚本を書いていて実際にも才女と言うべし。

向うの地球では、類人猿は類人猿のままだったでしょう^^

この記事へのコメント

ねこのひげ
2012年11月11日 06:30
太陽の真反対側に、もひとつの地球があるというSF小説は、昔から、よくありますが、最近の科学では、ないということが証明されてしまいましたけどね。
重力場の観察などから、ないそうで・・・・むしろ冥王星のはるかかなたとか垂直方向ならありそうだそうですけどね。
何百年周期で公転している可能性ならあるそうですが・・・・
話としては、地味ながら、よい映画でありました。

類人猿は類人猿のままでしょうね。
ただ、白人が黒人のように黒くなるのは3000年ぐらいの時間があればなるそうですけどね・・・・日焼けではなくであります。
オカピー
2012年11月11日 23:06
ねこのひげさん、こんにちは。

本作は純SFとは言えないのかもしれませんが、映画はともかく、SF小説には哲学的なものが少なくないですから、これはこれで良いなと思いました。
着想の元は、やはり“たられば”で、そこから発展させたらSF的になったということでしょうね。

>3000年
まあそんなところでしょう。
オオカミが犬になるのに何十年もかからなかったみたいですよね。
オオカミを家で飼い始めると、耳をそばだてる必要がなくなり、次の世代では早くも耳がたれ始めると聞きました。
2014年02月13日 13:52
ブリット・マーリング主演で今「ザ・イースト」
公開中なんですが、私の紹介でシュエットさん
(今はmachiさん。あ、バラしちゃった。笑)が
早速ご覧になりとても手応えをお感じになったとか。
ブリット・マーリングつながりでプロフェッサーの
本作レヴュー、machiさんへの返信欄に入れさせて
いただきました。事後承認のカタチとなりましたが
ご了承願えますでしょうか?

かなり印象に残っている本作、再見の希望もあるのに
どうしてコメントさしあげてないんでしょう、不思議。
オカピー
2014年02月13日 20:19
vivajijiさん、こんにちは。

>了承
却って有難いくらいです<(_ _)>

>machiさん
最近よくコメント欄でよく見かけるようになりましたが、
シュエットさんでしたか^^

嫌われてしまったんではないでしょうかねえ(笑)
確か2012年の春先まではお見えになっていたのですが、父親が死ぬ前から来られなくなりました。父親の逝去に際しても何のコメントがなく残念に思ったものです。
コメントは元気がもらえるので本当に有難いのです。

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