映画評「ツリー・オブ・ライフ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2011年アメリカ映画 監督テレンス・マリック
ネタバレあり
テレンス・マリックは1973年の「地獄の逃避行」から38年でたった五本の長編映画しか作っていない世界でも稀有な寡作作家である。ところが、何を思ったか、五作目たる本作を作った翌年(つまり本年)に六本目を発表、さらに2013年に三本の作品が完成予定である。一本は長編映画であることを確認できたものの、残る二本が長編映画であるかどうか定かではない。
ところで、本作は初めて観た時まるで理解できなかったので、珍しくも少し時間をおいてもう一回観た。大分解った気になったが、いざ文章を書こうとやる気になった日から色々と事件が発生して時間を取られて何日も書けずにいたら自信を失って元の木阿弥。結局二度目の鑑賞から二週間の月日が経った今頃、重い腰を起して記憶を辿って無謀にも書こうとしている。見当違いも承知で述べますので、そのつもりでご笑覧戴きたくお願い申し上げます。
とりあえず、分散して解りにくい物語のアウトラインから。
1950年代(とallcinemaには書いてある)、厳しい父親ブラッド・ピットと優しい母親ジェシカ・チャステイン、二人の弟たちと楽しい生活を過ごしている少年ハンター・マクラケンにとって辛いのはやはり父親の過剰な厳格さである。信心深い母親と違い、信仰心はあるがそれより実際的な生活力を重んずる父親は誰に対しても容赦がない。しかし、父親が厳格に息子たちに接してきたわけを、彼が長年貢献してきた会社から干された時に、若輩ながら少年も本能的に理解する。
凡そ半世紀経って大物実業家になった彼(ショーン・ペン)は父親の実務的な面を引き継いでいる。そんな彼が巨大の建物にいながら少年時代を回想している、という構成と思って間違いないのだろうが、それさえしかと解らない。
そういう意味では甚だ不親切な作劇であるものの、ただ、本作は観客に、一家族の幸福への考え方を通して、「何故人間はここにいるか」という宗教哲学的な思惟を働かせて貰おうというのが主旨のようであるから、そんな指摘は野暮として横に置いておきましょう。
本作が難解である、若しくは難解に思えるのは、序盤からこの一家がしきりに上方を見上げるショットを入れ、比較的早めに家族の描写に挟んで唐突に恐竜を、宇宙の星雲・星団のショット群を挿入するからである。
母親の信仰を表白する言葉と関連付ければ、創世記というところへ最低限のキリスト教の知識を持っている人なら誰もが行くであろうが、家族の情景と世界の創造との間でその関係性をどういうバランスで理解して良いのか、凡才のわが頭では些か難儀するわけであります。
題名はキリスト教徒なら誰もが知る“生命の樹”であるが、僕は「種の起源」でダーウィンが図示した、樹木と全く同じ形を成す進化の系統図のことをも指しているのではないか・・・と恐竜が出て来た時にふと思った。厳しい“自然選択”の結果ある一つの系統のトップに現在立っているのが人類である。当初から“自然選択”というダーウィンの説を神の創造に沿うと考えたキリスト教関係者は我々が思う以上に多く、キリスト教信仰と進化論とを一緒に扱うのは必ずしも矛盾ではない。人間の幸福を選ぶ時に為す選択も、天の配剤、自然選択なのだろうか。
以上は僕の勝手な妄想的解釈であり、何の裏打ちもなく、無視して結構でござる。
最後は時空を飛び越えて、ショーン・ペンの長男君が海岸で19歳で死んだ次男を含めて50年代の彼の家族や近所の人々と交錯する。彼にとって幸福は家族が全員揃っていたこの時代に尽きるということか。いずれにしても、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観た後本作について考えると、高いものが色々と出てくる本作もまた9・11が引き起こしたアメリカ国民の家族への思いが静かに流露している作品と思えてくる。
TVで観る僕が言うと顰蹙を買いそうだが、映像は壮観かつ美麗で、そこに映画的スペクタクルを発見するのもあながち間違いではないだろう。
本年最後の記事でした。来年も懲りずに続ける予定ですので、引き続きご愛顧のほどお願い申し上げます。
2011年アメリカ映画 監督テレンス・マリック
ネタバレあり
テレンス・マリックは1973年の「地獄の逃避行」から38年でたった五本の長編映画しか作っていない世界でも稀有な寡作作家である。ところが、何を思ったか、五作目たる本作を作った翌年(つまり本年)に六本目を発表、さらに2013年に三本の作品が完成予定である。一本は長編映画であることを確認できたものの、残る二本が長編映画であるかどうか定かではない。
ところで、本作は初めて観た時まるで理解できなかったので、珍しくも少し時間をおいてもう一回観た。大分解った気になったが、いざ文章を書こうとやる気になった日から色々と事件が発生して時間を取られて何日も書けずにいたら自信を失って元の木阿弥。結局二度目の鑑賞から二週間の月日が経った今頃、重い腰を起して記憶を辿って無謀にも書こうとしている。見当違いも承知で述べますので、そのつもりでご笑覧戴きたくお願い申し上げます。
とりあえず、分散して解りにくい物語のアウトラインから。
1950年代(とallcinemaには書いてある)、厳しい父親ブラッド・ピットと優しい母親ジェシカ・チャステイン、二人の弟たちと楽しい生活を過ごしている少年ハンター・マクラケンにとって辛いのはやはり父親の過剰な厳格さである。信心深い母親と違い、信仰心はあるがそれより実際的な生活力を重んずる父親は誰に対しても容赦がない。しかし、父親が厳格に息子たちに接してきたわけを、彼が長年貢献してきた会社から干された時に、若輩ながら少年も本能的に理解する。
凡そ半世紀経って大物実業家になった彼(ショーン・ペン)は父親の実務的な面を引き継いでいる。そんな彼が巨大の建物にいながら少年時代を回想している、という構成と思って間違いないのだろうが、それさえしかと解らない。
そういう意味では甚だ不親切な作劇であるものの、ただ、本作は観客に、一家族の幸福への考え方を通して、「何故人間はここにいるか」という宗教哲学的な思惟を働かせて貰おうというのが主旨のようであるから、そんな指摘は野暮として横に置いておきましょう。
本作が難解である、若しくは難解に思えるのは、序盤からこの一家がしきりに上方を見上げるショットを入れ、比較的早めに家族の描写に挟んで唐突に恐竜を、宇宙の星雲・星団のショット群を挿入するからである。
母親の信仰を表白する言葉と関連付ければ、創世記というところへ最低限のキリスト教の知識を持っている人なら誰もが行くであろうが、家族の情景と世界の創造との間でその関係性をどういうバランスで理解して良いのか、凡才のわが頭では些か難儀するわけであります。
題名はキリスト教徒なら誰もが知る“生命の樹”であるが、僕は「種の起源」でダーウィンが図示した、樹木と全く同じ形を成す進化の系統図のことをも指しているのではないか・・・と恐竜が出て来た時にふと思った。厳しい“自然選択”の結果ある一つの系統のトップに現在立っているのが人類である。当初から“自然選択”というダーウィンの説を神の創造に沿うと考えたキリスト教関係者は我々が思う以上に多く、キリスト教信仰と進化論とを一緒に扱うのは必ずしも矛盾ではない。人間の幸福を選ぶ時に為す選択も、天の配剤、自然選択なのだろうか。
以上は僕の勝手な妄想的解釈であり、何の裏打ちもなく、無視して結構でござる。
最後は時空を飛び越えて、ショーン・ペンの長男君が海岸で19歳で死んだ次男を含めて50年代の彼の家族や近所の人々と交錯する。彼にとって幸福は家族が全員揃っていたこの時代に尽きるということか。いずれにしても、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観た後本作について考えると、高いものが色々と出てくる本作もまた9・11が引き起こしたアメリカ国民の家族への思いが静かに流露している作品と思えてくる。
TVで観る僕が言うと顰蹙を買いそうだが、映像は壮観かつ美麗で、そこに映画的スペクタクルを発見するのもあながち間違いではないだろう。
本年最後の記事でした。来年も懲りずに続ける予定ですので、引き続きご愛顧のほどお願い申し上げます。
この記事へのコメント
なんか天国の光景が、ああ欧米人だなと思いましたね。
今年も終わり。
ついに今年は4作品しかアップしませんでした。
そのあたりのことをぶつぶつと(笑)
http://blog.goo.ne.jp/kimion20002000/e/f8bc41ad46b6c3647058b3ae55d38f67
来年はちょっとレヴューの仕方を考えて見ます(言うだけかな?)
2013年、僕は年男の還暦です。
これからもよろしゅうに!
全くの的外れでもないような気もします。
大真面目なハッタリ&マリック節宗教観映画とでも。
至極真っ当な映像に埋没できるか
始まって3分で即首ガクンか。
紅海を分けるが如く賛否は真っ二つに。
映画的感性がどの辺に向いているか
ちょいと試される問題作かもね。
来年も変わりなくどうぞよろしく。
幹の部分がキリスト教というところが、西洋文明の映画のあかしでありましょう。
壮大さは、映画館のスクリーンで見るにふさわしいであります。
壁一面がテレビというのが一般的という時代が来ませんかね・・・・・
ジジィになってくると出かけるのが億劫になってきます。
来年もよろしくお願いします
>還暦
兄と同じ年なので、よく憶えています。
映画論中心だったのが、映画評の中に自分のことを大量に記載するようになったのは、実はkimionさんの影響なんです。感謝です。
>レヴューの仕方
極端な話、本数をまとめて星の数だけでも記載してみたらいかがですか?
映画へのアプローチが結構違う印象があるのに、何故か星の数が同じことが多くて大変興味深いので、何か考えてほしいであります。
kimionさんにはそれでは物足りないかな。星の数と一行コメントだけでも良いんですけど(笑)
来年もよろしくお願い致します。
最後の日に来て戴いて、深謝でございます。
宗教、特にキリスト教に精通している人の少ない日本で本作が受ける要素は少ないでしょうね。
「2001年宇宙の旅」が当時余り理解されなくても現在評価されているのは、宗教でなく哲学だからなんでしょう。哲学の方が普遍的ですから。
>大真面目なハッタリ&マリック節宗教観映画とでも。
それでは、これからテレンス・ハッタリ・マリックと呼ぶことにしましょうか(笑)。
>紅海を分けるが如く
キリスト教が絡んだ映画だけに、うまい!
>映画的感性
そうですね。
マリックの一人合点と思いつつ、解らないなりにブルーレイに保存しておきました。
また、勉強したいと思います。
来年も変わりなくお願い申し上げます。
こちらからももう少し頻繁に遊びに行けるように頑張ります!
>『2001年宇宙の旅』
方向性では近い作品でしょうね。
しかし、内容は寧ろ逆で、『2001年』が「神は死んだ」とするニーチェ思想が基礎にあるとすれば、こちらは「神は生きている」という宗教観にあると僕は思います。
>ジジィになってくると
群馬県の大人は車で映画を観に行くわけですが、2時間を超える長い映画になるとかなりの確率で駐車料金が発生するので結構大変なんです。
先日の近所の人に頼まれてスピーカーのセッティングに行ったら、本当に壁いっぱいくらいあるTVがあって腰を抜かしました。
ということで(笑)、来年も宜しくお願い致します。