映画評「僕たちは世界を変えることができない。But we wanna build a school」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2011年日本映画 監督・深作健太
ネタバレあり
Webryの規定により、タイトルが長すぎて全部表記できない。因みに、この後に"in Cambodia."と続く。
2005年医大二年生の向井理が日常に物足りなさを覚えていた或る日、郵便局で見つけたパンフレットに惹かれ、カンボジアに学校を作ろうと思い、必要な150万円を捻出する為に大学の友達である柄本佑と窪田正孝を仲間に引き込み、合コンで知り合ったとっぽい松坂桃李のアイデアでイベント・サークルを立ち上げるが、バックアップをしてくれたIT企業(ライブドアがモデル)社長が逮捕された辺りから目的の曖昧さが露呈して資金も集まらず、松坂のノルマ策が反感を買って内部亀裂を生じてしまう。
そこで彼らはとにかくカンボジアへ行って現状を観て廻ることにするが、ポルポトによるキリング・フィールドの惨状、その後遺症である地雷原に住宅があること、貧困・教育不足によるエイズの蔓延を目の当たりにして言葉を無くす一方で、出国前萎んだやる気が一気に膨れ上がる。
後は推して知るべしの内容で、当時大学生だった葉田甲太が体験を基に書いた原作を深作健太が映像化している。
物があふれすぎていて目標もなく日々を過ごしている若者が多い世相を反映した辺りが興味深いが、日本の部分は意外にさりげない扱いでこれまで観た深作ジュニアの演出では一番好感が持てる。
カンボジアの部分は素人のカンボジア人を使っていることもあって、即興演出が取られている模様。即興演出は余り買える手法とは思わないが、この映画における即興演出は実に良い。こういう素人を混じえてロケ場面で使われてこそ初めてこの手法が生きると思われ、本当のガイドがポルポト政権時代少年だった時の経験を語って涙を流し、それを向井が慰める場面が実にすばらしい。演技設定を用意した上ではなく、ガイドは言うまでもなく、向井の反応が本当の本物だからだ。
その彼が言う「誰かのために何かをする喜びというのは、きっと自分のために何かをする喜びよりも強い」という台詞は、恐らく、真理である。“喜び”の代わりに“幸福”を使えば母の予期せぬ死の後呆然とした日々のうちに読んだ「怒りの葡萄」の一節から思い付いた僕の幸福論と殆ど同じである。ただ、我が幸福論は相手からほぼ同じようにして貰った場合にのみ真の意味で成り立つという違いがある。いずれにしても、人間は他人の為に生きているのだと最近僕は思っているので、この言葉は大いに頷けるのである。
向井理が好演。この人、緒形拳のような俳優になる可能性があるのではあるまいか?
人間、ひとりぼっちでは、何の役にも立たない。by John Steinbeck
2011年日本映画 監督・深作健太
ネタバレあり
Webryの規定により、タイトルが長すぎて全部表記できない。因みに、この後に"in Cambodia."と続く。
2005年医大二年生の向井理が日常に物足りなさを覚えていた或る日、郵便局で見つけたパンフレットに惹かれ、カンボジアに学校を作ろうと思い、必要な150万円を捻出する為に大学の友達である柄本佑と窪田正孝を仲間に引き込み、合コンで知り合ったとっぽい松坂桃李のアイデアでイベント・サークルを立ち上げるが、バックアップをしてくれたIT企業(ライブドアがモデル)社長が逮捕された辺りから目的の曖昧さが露呈して資金も集まらず、松坂のノルマ策が反感を買って内部亀裂を生じてしまう。
そこで彼らはとにかくカンボジアへ行って現状を観て廻ることにするが、ポルポトによるキリング・フィールドの惨状、その後遺症である地雷原に住宅があること、貧困・教育不足によるエイズの蔓延を目の当たりにして言葉を無くす一方で、出国前萎んだやる気が一気に膨れ上がる。
後は推して知るべしの内容で、当時大学生だった葉田甲太が体験を基に書いた原作を深作健太が映像化している。
物があふれすぎていて目標もなく日々を過ごしている若者が多い世相を反映した辺りが興味深いが、日本の部分は意外にさりげない扱いでこれまで観た深作ジュニアの演出では一番好感が持てる。
カンボジアの部分は素人のカンボジア人を使っていることもあって、即興演出が取られている模様。即興演出は余り買える手法とは思わないが、この映画における即興演出は実に良い。こういう素人を混じえてロケ場面で使われてこそ初めてこの手法が生きると思われ、本当のガイドがポルポト政権時代少年だった時の経験を語って涙を流し、それを向井が慰める場面が実にすばらしい。演技設定を用意した上ではなく、ガイドは言うまでもなく、向井の反応が本当の本物だからだ。
その彼が言う「誰かのために何かをする喜びというのは、きっと自分のために何かをする喜びよりも強い」という台詞は、恐らく、真理である。“喜び”の代わりに“幸福”を使えば母の予期せぬ死の後呆然とした日々のうちに読んだ「怒りの葡萄」の一節から思い付いた僕の幸福論と殆ど同じである。ただ、我が幸福論は相手からほぼ同じようにして貰った場合にのみ真の意味で成り立つという違いがある。いずれにしても、人間は他人の為に生きているのだと最近僕は思っているので、この言葉は大いに頷けるのである。
向井理が好演。この人、緒形拳のような俳優になる可能性があるのではあるまいか?
人間、ひとりぼっちでは、何の役にも立たない。by John Steinbeck
この記事へのコメント
人のためにすることが自分も救うことになっているようですな。
行動してみることが大切なようです。
学校の先生も生徒に教えられることがあるのでしょうね。
当方は救われっぱなしですTT
僕の部下だった方々、頼りない上司で御免なさい<(_ _)>