映画評「レンタネコ」

☆☆★(5点/10点満点中)
2012年日本映画 監督・荻上直子
ネタバレあり

荻上直子は「かもめ食堂」で初期の物足りなさを払拭した。アキ・カウリスマキと小津安二郎を折衷したような同作のムードは秀逸であったし、「めがね」も悪くなかった。のんびりムードは変わりないものの本作は映画的にこの二本は勿論、アメリカで作った「トイレット」にも残念ながら劣る。

妙齢の市川実日子は、猫が寄り集まって来る性質を生かして寂しい人々に猫を一律千円で貸し出している。夫と飼い猫に先立たれた老婦人・笹村礼子、単身赴任の中年サラリーマン光石研、客が殆どやって来ないレンタカーの受付嬢・山田真歩、そして小学校時代から虚言症で知られた泥棒の同級生・田中圭。

形式上オムニバス映画になっている本作の特徴は、殆ど同じで少しだけ違うことを何度も繰り返すことである。台詞や状況これなり。借りる方の台詞は同じで、彼女の受け答えも一部を除いて同じ、という具合。荻上女史としては反復による可笑しさを狙ったのだろうが、これが可笑しさではなくくどさに繋がったのは計算違いにちがいない。

その延長で、それぞれに抱えた寂しさという“心の穴”を、ゼリーの穴、靴下の穴、ドーナツの穴で象徴しているのは工夫であるが、やはりやり過ぎでもたれ、結果内容に比して長めの110分という上映時間になった。

ブログのトップページを初代飼い猫が飾っているように僕は断然ネコ派であり、タイトルに惹かれて観たものの、孤独の解消を永続的に猫に一任していると理解しなければならないとしたら、彼若しくは彼女は何代も猫を飼い替えて行かねばならない。孤独の抜本解決に程遠く、愛猫が死ぬ度に悲しみを味わわなければならない。ヒロインが自らの孤独を心理学でいう代償行動により紛らわしているのだとしたら、益々いけない・・・と思われる鑑賞者もいらっしゃるだろう。動物と飼い主の人間との寿命の差がベースにある犬童一心監督の「グーグーだって猫である」のほうが胸に迫るものがある。

荻上女史は同じ物を重ねるのが好きだということで本作ではっきりしました。今頃遅い? どうもすみません。因みに、本作で猫を借りる人は全員“吉○”という名前でした。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2013年04月17日 19:18
猫が死ぬともう飼うまいと思うのですがまた飼ってしまうのが猫好きのようで・・・・

『グーグーだって猫である』の原作者である大島弓子さんの作品群は、私小説的なとりとめのないのが特徴でありますね。
漫画はあまり読まないねこのひげも、学生時代に拝見して以来、大島弓子さの猫の出る作品だけは読んでおります。
オカピー
2013年04月17日 21:51
ねこのひげさん、こんにちは。

死んだ母親が埋める役で、先代が亡くなった時その時孫が泣いておりましたが、母が死んでも泣いていないので「猫が死んだ時に泣いて、祖母ちゃんの時泣かないのはどういうことだ?」と訊きましたら、「当時はガキだった」と答えやがった(笑)。憎いやつだ、まったく。

>『グーグー』
映画版を観る限り半自伝的な作品なようですから、どうしてもそうなるんでしょうね。
僕は、40数年前に姉が買っていた少女コミックを数年間読んでいた時期があります。殆ど「なかよし」と「りぼん」でした。個人的には「りぼん」のほうが好きだったな。
少年コミックも多少読みましたが、まともに読み通したものは一作もありません(笑)。

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