映画評「ワイルド・エンジェル」

☆☆★(5点/10点満点中)
1966年アメリカ映画 監督ロジャー・コーマン
ネタバレあり

ニューシネマを語る時欠かせない「イージー・ライダー」(1969年)を生み出す要因の一つになったと言える意味においてロジャー・コーマンを語る時重要な作品であり、全編ロケ敢行や暴力シーンといった辺りにニューシネマ時代の胚胎を感じさせるものが多分にあるとは言え、作品自体はそう大したものではない。特にお話が極めて弱体である。

西海岸でオートバイを飛ばし、保守的な考えに尽く反発して自由に生きるのを生きがいにしている暴走族の面々が、メンバーのブルース・ダーンのオートバイがメキシコ人に奪われたのを知り、取り返しに出かけて乱闘になる。警官が駆け付けた為に離散するが、白バイに乗って逃げたダーンが警官に撃たれて重体に陥る。
 リーダーのピーター・フォンダに率いられた面々が警官の監視する中、病院から彼を奪還するが、点滴で辛うじて持っていた故にダーンは当然死んでしまう。今度は彼の埋葬に出かけた教会で説教を垂れる牧師を縛り上げて暴れ回り、保守的な民衆との闘いに発展する。しかし、フォンダは自分の生き方に空しさと嫌気がさし、警官がやって来る現場に残る。

奪われたバイクやメンバーを奪還して大騒ぎというパターンを繰り返す構成は知恵がなさすぎるが、フォンダの恋人ナンシー・シナトラを使って監視の隙を作りダーンを奪還する場面はそれなりにサスペンスフルに作られて一応楽しめる。しかし、それとお話の完成度は全く別で、退院=刑務所行きは確実とは言え、生死を彷徨っている重傷者を病院から奪い返す、即ち生死より刑務所行きの方が大きな問題と考えるメンバーの阿呆さ加減に開いた口が塞がらない。

ダーンの葬式での馬鹿騒ぎも非常識な連中とは言え余りに非常識。さすがにフォンダは親しいダーンが死んだ後思うところがあるようで、大騒ぎを繰り返すことに空しさを感じた様子が伺える一方、後から駆けつけた教会でメンバーを扇動するような言動を放つ。矛盾と言い切れるか躊躇するものの、物語の始まりからお話の為のお話になっている感は否めない。為に最後にフォンダが独り残る場面が全くピンと来ず、コーマン映画らしからぬ気取りに感じられる。

結果としてこういう馬鹿な連中がいることだけが印象に残り、彼らが反体制的・反権力的になる社会的背景が全く見えて来ずつまらない。

モデルとなったのはカリフォルニアを拠点に活動するヘルズ・エンジェルズという暴走族で、マーロン・ブランドーが主演した「乱暴者(あばれもの)」(1953年)もこやつらがモデルらしい。

俳優の顔触れはそこそこだが、歌手ナンシー・シナトラは病院以外では上手く使えていない。恐らく演技力の問題であろう。それよりダーンの実際の妻ダイアン・ラッドが事実上の妻を演じてまずます。二人の娘ローラ・ダーンよりふっくらしているが、そっくりでございます。

前に挙げた作品とはナンシー繋がりなのよ。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2013年04月28日 05:55
ピーター・フォンダはなぜかこういうB級映画ばかりに出演してますね。
せっかくの名前が泣くというか・・・・
B級映画が好きなんですかね?
オカピー
2013年04月28日 19:40
ねこのひげさん、こんにちは。

>ピーター・フォンダ
昔読んだインタビュー記事が少し記憶にありますが、父親への反発が相当あったらしいですよ。
だから、反保守的な安っぽい映画が多かったのでしょう。

姉さんのジェーンも父親とは上手く行っていなかったようです。だからこそ、初めて父娘共演した「黄昏」に、物語が実際に重なり、じーんとしてしまったんですよねえ。

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