映画評「戦火の馬」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2011年アメリカ映画 監督スティーヴン・スピルバーグ
ネタバレあり
スティーヴン・スピルバーグの監督最新作は、最新技術を駆使したCGアニメ映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」と打って変わり全ての面で実にクラシックな実写映画である。
第一次大戦前夜の英国、貧乏な小作農夫ピーター・ミュランがなけなしの金で農耕に適さないサラブレッドを買う。細君のエミリー・ワトスンは面白くないが、17歳くらいの息子ジェレミー・アーヴァインは母親を見返してやろうとジョーイと名付けた馬を徐々に馴らし、石だらけの畑を耕すまでに至る。
折しも英国がドイツと戦争を開始、父親はジョーイを軍隊に売り払う。馬に寄り添いたい少年の出征志願は年齢故に退けられ、馬は英軍からドイツ軍へ、ドイツ軍からフランス人農家へ、そして再びドイツ軍へ渡った後、両軍が対峙する中間地帯を走りぬけた末に有刺鉄線にからまって身動きが取れなくなってしまう。
前半から中盤にかけて「ウィンチェスター銃'73」(1950年)や「黄色いロールスロイス」(1966年)のように馬を狂言回しにして人々をリレー的に描いて行く作品かという印象を与えるが、遂に出征を果たしたアーヴァイン君が再び登場するところで後半の凡その筋道が見えて来る。
この中間地帯で思わぬ形で英軍と独軍が協力し合うのは実話を謳っている「戦場のアリア」を思い出させる。あの作品では猫が両軍兵士に可愛がられ、それに加えて歌が一夜だけの奇跡を引き起こす。恐らく第一次大戦まではまだ白兵戦の名残りがあった為こうした風景も実際にあっただろうと想像される。
原作がマイケル・モーパーゴの児童小説なのでファンタジー的扱いであり、背景が1910年代であることからお話はオーソドックスになっているが、印象に残るのはそのオーソドックスさより、演出のクラシックぶりである。
馬が中間地帯を疾駆する場面はさすがに昨今の映画という印象が強いが、序盤少年が馬を馴らしていく場面は「わが谷は緑なりき」(1941年)のジョン・フォードか、「子鹿物語」(1946年)のクラレンス・ブラウンか、「シェーン」(1953年)のジョージ・スティーヴンズかというタッチを見せるのである。ある人が言うようにモノクロ時代のデーヴィッド・リーンの感覚もあるかもしれない。クレーンの使い方などオーソドックスというよりクラシックである。そして夕陽の中を馬に乗って少年が復員するラスト・シーンは「風と共に去りぬ」(1939年)を見るが如し。
SF映画を撮るやんちゃなスピルバーグも良いが、映画ファンとして別の面を大いに披露している本作は実に愛すべき作品と言いたい。
この一作に限らず、監督としてのスピルバーグは元々オーソドックスな映画観を維持している人で、「激突!」(1972年)のラスト・シーン以外スローモーションを用いた記憶がないし、細切れショットもジャンプ・カットも場面を繋ぐ捨てショットも使わない。ショットの扱いにおいて良い意味で化石に近い人なのである。
ドイツ人同士でも英語をしゃべっているドイツ人がイギリス人に「英語が上手い」と言われてもねえ。アメリカの観客は余程字幕が嫌いなんだねえ。
2011年アメリカ映画 監督スティーヴン・スピルバーグ
ネタバレあり
スティーヴン・スピルバーグの監督最新作は、最新技術を駆使したCGアニメ映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」と打って変わり全ての面で実にクラシックな実写映画である。
第一次大戦前夜の英国、貧乏な小作農夫ピーター・ミュランがなけなしの金で農耕に適さないサラブレッドを買う。細君のエミリー・ワトスンは面白くないが、17歳くらいの息子ジェレミー・アーヴァインは母親を見返してやろうとジョーイと名付けた馬を徐々に馴らし、石だらけの畑を耕すまでに至る。
折しも英国がドイツと戦争を開始、父親はジョーイを軍隊に売り払う。馬に寄り添いたい少年の出征志願は年齢故に退けられ、馬は英軍からドイツ軍へ、ドイツ軍からフランス人農家へ、そして再びドイツ軍へ渡った後、両軍が対峙する中間地帯を走りぬけた末に有刺鉄線にからまって身動きが取れなくなってしまう。
前半から中盤にかけて「ウィンチェスター銃'73」(1950年)や「黄色いロールスロイス」(1966年)のように馬を狂言回しにして人々をリレー的に描いて行く作品かという印象を与えるが、遂に出征を果たしたアーヴァイン君が再び登場するところで後半の凡その筋道が見えて来る。
この中間地帯で思わぬ形で英軍と独軍が協力し合うのは実話を謳っている「戦場のアリア」を思い出させる。あの作品では猫が両軍兵士に可愛がられ、それに加えて歌が一夜だけの奇跡を引き起こす。恐らく第一次大戦まではまだ白兵戦の名残りがあった為こうした風景も実際にあっただろうと想像される。
原作がマイケル・モーパーゴの児童小説なのでファンタジー的扱いであり、背景が1910年代であることからお話はオーソドックスになっているが、印象に残るのはそのオーソドックスさより、演出のクラシックぶりである。
馬が中間地帯を疾駆する場面はさすがに昨今の映画という印象が強いが、序盤少年が馬を馴らしていく場面は「わが谷は緑なりき」(1941年)のジョン・フォードか、「子鹿物語」(1946年)のクラレンス・ブラウンか、「シェーン」(1953年)のジョージ・スティーヴンズかというタッチを見せるのである。ある人が言うようにモノクロ時代のデーヴィッド・リーンの感覚もあるかもしれない。クレーンの使い方などオーソドックスというよりクラシックである。そして夕陽の中を馬に乗って少年が復員するラスト・シーンは「風と共に去りぬ」(1939年)を見るが如し。
SF映画を撮るやんちゃなスピルバーグも良いが、映画ファンとして別の面を大いに披露している本作は実に愛すべき作品と言いたい。
この一作に限らず、監督としてのスピルバーグは元々オーソドックスな映画観を維持している人で、「激突!」(1972年)のラスト・シーン以外スローモーションを用いた記憶がないし、細切れショットもジャンプ・カットも場面を繋ぐ捨てショットも使わない。ショットの扱いにおいて良い意味で化石に近い人なのである。
ドイツ人同士でも英語をしゃべっているドイツ人がイギリス人に「英語が上手い」と言われてもねえ。アメリカの観客は余程字幕が嫌いなんだねえ。
この記事へのコメント
この映画、原作が児童文学だったそうで、それもスピルバーグには合っていたと思います。どぎつい描写は出てきませんが、ドイツの少年兵やエミリーとおじいさんを描くことで戦争の酷さをよく表していました。
>カーティス・ハンソン
そうかもしれません。
>トリュフォー
彼は、若い時自分が貶したフランス映画の古典的資質を持っていて、後年自覚出来て(特にデュヴィヴィエに対する批判を半ば撤回したようです)古典に回帰していったと勝手に思っているわけですが、彼の作る映画は若い時から自身の意見に反して、古典を自分流に再構築したような、瑞々しさとクラシックさが併存しているんですよね。
大人になったトリュフォーは、スピルバーグに自分と同じ資質を感じたのではないでしょうか。だから、「未知との遭遇」に出演した・・・?
この二人の天才が撮影中にどんな話をしたものか、知りたいものです。
>エミリーとおじいさん
彼女はどうして亡くなったんでしょうね。
『スターウォーズ』や『タンタンの冒険』など大衆小説的な映画で稼いでおいては、純文学的な地味な映画に注ぎ込む・・・・・
両方の作品を作れるところが、天才の所以なのでしょうが・・・
『戦火の馬』・・・DVDを買ってしまいましたよ(^^ゞ
「インディ・ジョーンズ」シリーズを作っていた頃から、スピルバーグは実にオーソドックスな人だなと感じていたので、世間がジェットコースター・ムービーとか言って新しいタイプとして歓迎したのには違和感がありましたね。
このシリーズには「ガンガ・ディン」といった戦前の冒険映画から借用した部分もかなりあり、本当に映画好きなんだなあと膝を叩いて観たものです。
しかし、本作みたいに全編がクラシックというのはさすがにこれまでの彼のフィルモグラフィーの例になく、ごく一部を除いて全く昔の映画を観ているようでした。
>DVD
おおっ!
僕は自作ブルーレイということになりました^^
ボンビーなものでTT