映画評「ニンゲン合格」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1998年日本映画 監督・黒沢清
ネタバレあり

黒沢清の旧作。彼の作品故にどう理解したものか悩むところが多いが、色々考えた末にたどり着いたのは、そのまま見た目通りに理解して良いのかもしれないということである。

14歳の時に交通事故に遭って昏睡状態に陥った若者・豊が10年ぶりに目を覚ます(西島秀俊)が、迎えに来たのは家族ではなく一家の土地に釣り堀を作って廃品処理の傍ら経営している父親の知人の藤森(役所広司)で、若者と一緒に過ごすうちに不法投棄の疑いを掛けられているらしい彼は行方をくらます。
 父親(菅田俊)は変な宗教に染まって家に居つかず、やっと探し当てた母親(りりぃ)が暫し同居してくれる。そんなある日、藤森がいた時代にも訪れた妹(麻生久美子)も自分は“めざわり”と謙虚な恋人(哀川翔)と再び現れ、彼ら三人に手伝って貰い念願のポニー牧場を再開する。
 父親がアフリカの海難事故で九死に一生を得たと判ると家族は再び離散、牧場も事故の加害者(大杉漣)に逆恨みされて破壊尽くされる。そこへ再び現れた藤森と引っ越しする最中にスクラップの冷蔵庫が崩れて下敷きになり「僕は存在した?」と藤森に確認して死んでしまう。

恐怖映画でも頗る哲学的に作る黒沢監督のことだから深読みしたくなり、幕切れへの唐突なショットの繋ぎを見ると、昏睡中の彼が見た夢のようにも理解できるが、僕はとりあえずそのまま理解することにした。つまり、家族を集めようとすると集まらず、邪魔にしようとすると集まって来る。それでも主人公は家族全員が一堂に会することを夢見る。そしてその夢が実現するのは主人公が死んだ為に発生する葬儀においてである、という皮肉にして残酷な幕切れに至る。

我が家のように両親が昭和一桁生まれ(以前)の家ではここまで互いに没交渉的な家族は余りないかもしれないが、両親がその後の、特に戦後生まれである場合こういう親和力の薄い家族は寧ろ納得させられるところがある。映画が平成時代の家族をただ寓意的に描いたものとは言い切れない凄味がある。

他方、家族だけを描いているわけでもなさそうであり、街角で偶然出会ったニューヨークで歌うことを目指している歌手志願・洞口依子と主人公とのほんの僅かに描かれる交流が案外重要なのではないかと思える。彼は彼女が歌う酒場に出掛けているし、その机にニューヨークの写真の絵葉書が残されている。彼は何とはなしに家族の再建を考える一方で、甘い恋を夢見ていたのではあるまいか。何故なら彼は14歳の精神年齢に過ぎないのだから。その青臭い感じを作品の底流に忍ばせ、最後のワン・ショットで鮮やかに顕在化させたと思うのだが、如何?

僕の推測が正しいかどうかはともかく黒沢監督はやはり曲者と言うべし。

“清”のほうも“世界のクロサワ”になれますか。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2013年06月11日 03:42
でしょうね。
人間、ひとつのことだけを考えているわけではないですからね。

世界のクロサワ・・・・・なれるといいですね。

最近、深夜というか早朝のテレビで映画が復活してきましたね。
いまもトミー・リー・ジョンズ氏のアカデミー賞受賞作品の『告発のとき』をやっております。
先日は『シンドバット虎の目大冒険』をやっておりましたし・・・
映画フアンとしてはうれしいですが、深夜ネタがきれたか?経費がなくなったか?
オカピー
2013年06月11日 11:09
ねこのひげさん、こんにちは。

TV局主体の無個性な軟弱映画ばかりが目立つ今日、強烈な個性を持ち、なおかつそこそこヒットする可能性のある映画を作る黒澤ではないほうの黒沢監督には頑張って貰いたいもの。
彼の作った「CURE」くらい心理的に怖い映画はなく、僕はこの映画以来色々批判も加えながら応援しているわけです。

有料映画もWOWOW一つでは昔の映画を色々とは見られないので、カットがあっても深夜映画やテレビ東京が昼間やっている番組は貴重ですね。
NHK-BSが昔ほど貴重な作品をやってくれないし、同じ年の再放送が多くて放映本数の割にいま一つの感があります。

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