映画評「テイク・シェルター」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2011年アメリカ映画 監督ジェフ・ニコルズ
ネタバレあり
CG普及で似たりよったりの作品ばかりになったアメリカ映画も、そうした画一的な作りから一線を画しているインディペンデント系列にはまだまだ面白いものが多い。それを証明するかのような作品である。
最初に雷の夢を、やがて犬や妻から襲われる夢を見るようになった土木会社の中間管理職マイケル・シャノンは、母親が30年ほど前に統合失調症(精神分裂病と言っていた頃だろう)を発症した為自分のそうではないかと危惧するがなかなか良い医者に当たらず、その間にも悪夢や幻視・幻聴が続いた為に不安が病的に募っていき、幼い娘トヴァ・スチュワートの難聴を直す費用までつぎ込んで現在持っているシェルターに加え別のシェルターを作り始め、多額の出費について妻ジェシカ・チャスティンになじられる。
しかも会社の建設機械を無断で使ったのが発覚して会社を首になった為一般の支出は勿論娘の手術費用にも問題が出てくる。それでもなかなか理解力のある細君は彼をしっかりと支えようと努め、シェルターは実際の大嵐の時に役に立つ。
ところが・・・というお話である。
観客は、彼が母親のような病気なのか、或いは何かのお告げを受けたのか、という二者の間でサスペンスを感じながら観続けることになり細君の努力で病的な不安を少し克服できたと思った直後にどんでん返し的な幕切れが待っている。
僕は家族を失う不安と闘う父親の姿をアングルを付けて心理サスペンス風に描いた家族ドラマとして手応えを感じていたから、正直に言えばラスト・シークエンスに関して些かの疑問を呈したい。そうした純娯楽映画的な幕切れを見せなくても、妻子を守ろうと必死になる父親の姿(不安)を描き十分鑑賞に値する秀作と思えるのである。
同時に、だから価値が落ちたかと言えば絶対的にそうであるとも言い切れない感じがする。シェルターから離れた後に嵐の発生を見るところで映画は終了するが、嵐が襲うことを予感させることで妻子を守る役目を懸命に果たしてきた父親の勘を裏付けする幕切れとも考えられるからである。
一方、少なからぬ人が幕切れは現実であると理解する僕とは別の解釈をしている。確かにこれが夫か妻若しくはその両方の夢である可能性については否定しきれないものの、全編夢では誠につまらない映画ということになる。しかし、最後をどう理解しようとも、人は何かを失うことに非常な恐怖を覚える生き物であるという本作の主張は認められなければならない筈である。
日本初紹介(長編第二作)の若手監督ジェフ・ニコルズとしては脚本も担当して頑張っている。次回作で将来性がある程度掴めるかもしれない。
この二年間僕が感じていた不安も他人(ひと)から見れば、滑稽だったらしい。過去系になったのはその不安の元がなくなったと確認されたから。しかし、違う、もっと漠然とした不安が持ち上がって来た。やれやれ。
2011年アメリカ映画 監督ジェフ・ニコルズ
ネタバレあり
CG普及で似たりよったりの作品ばかりになったアメリカ映画も、そうした画一的な作りから一線を画しているインディペンデント系列にはまだまだ面白いものが多い。それを証明するかのような作品である。
最初に雷の夢を、やがて犬や妻から襲われる夢を見るようになった土木会社の中間管理職マイケル・シャノンは、母親が30年ほど前に統合失調症(精神分裂病と言っていた頃だろう)を発症した為自分のそうではないかと危惧するがなかなか良い医者に当たらず、その間にも悪夢や幻視・幻聴が続いた為に不安が病的に募っていき、幼い娘トヴァ・スチュワートの難聴を直す費用までつぎ込んで現在持っているシェルターに加え別のシェルターを作り始め、多額の出費について妻ジェシカ・チャスティンになじられる。
しかも会社の建設機械を無断で使ったのが発覚して会社を首になった為一般の支出は勿論娘の手術費用にも問題が出てくる。それでもなかなか理解力のある細君は彼をしっかりと支えようと努め、シェルターは実際の大嵐の時に役に立つ。
ところが・・・というお話である。
観客は、彼が母親のような病気なのか、或いは何かのお告げを受けたのか、という二者の間でサスペンスを感じながら観続けることになり細君の努力で病的な不安を少し克服できたと思った直後にどんでん返し的な幕切れが待っている。
僕は家族を失う不安と闘う父親の姿をアングルを付けて心理サスペンス風に描いた家族ドラマとして手応えを感じていたから、正直に言えばラスト・シークエンスに関して些かの疑問を呈したい。そうした純娯楽映画的な幕切れを見せなくても、妻子を守ろうと必死になる父親の姿(不安)を描き十分鑑賞に値する秀作と思えるのである。
同時に、だから価値が落ちたかと言えば絶対的にそうであるとも言い切れない感じがする。シェルターから離れた後に嵐の発生を見るところで映画は終了するが、嵐が襲うことを予感させることで妻子を守る役目を懸命に果たしてきた父親の勘を裏付けする幕切れとも考えられるからである。
一方、少なからぬ人が幕切れは現実であると理解する僕とは別の解釈をしている。確かにこれが夫か妻若しくはその両方の夢である可能性については否定しきれないものの、全編夢では誠につまらない映画ということになる。しかし、最後をどう理解しようとも、人は何かを失うことに非常な恐怖を覚える生き物であるという本作の主張は認められなければならない筈である。
日本初紹介(長編第二作)の若手監督ジェフ・ニコルズとしては脚本も担当して頑張っている。次回作で将来性がある程度掴めるかもしれない。
この二年間僕が感じていた不安も他人(ひと)から見れば、滑稽だったらしい。過去系になったのはその不安の元がなくなったと確認されたから。しかし、違う、もっと漠然とした不安が持ち上がって来た。やれやれ。
この記事へのコメント
現実に起きているほうがサスペンスで、シェルターから出てきたら・・・
>ノアの箱舟
言及される方が多いですね。
幕切れについては、やはり現実でのどんでん返しと思ったほうが、すっきりするのですが。