映画評「幸せへのキセキ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2011年アメリカ映画 監督キャメロン・クロウ
ネタバレあり
本来ライプニッツが用いた哲学用語なのに、いつの間にか(1970年代か?)小説・演劇・映画で想像したようにお話が進んで結着を見る時の批評用語になってしまった“予定調和”の権化のような映画である。だからこそ、逆に、この映画におけるキャメロン・クロウの演出はある程度評価しなければならない。僕がご贔屓にしている映画ブロガーの方はほぼ全員が好印象を持たれたようで、自分が誉められたように嬉しかった。
実話物で、自伝の原作を書いたベンジャミン・ミーを演じるのがマット・デーモンである。
突撃精神をもって自認するTV局コラムニストのデーモンが、妻を失った後遺症から立ち直れずに社を辞め、些か素行に問題のある息子コリン・フォードと娘マギー・エリザベス・ジョーンズを連れて、引っ越しを敢行する。が、娘と選んだその土地には動物園があった・・・というお話で、以降、動物園オウナーとして開園の為に東奔西走し、動物と触れ合ううちに、気持ちが吹っ切れて来る。老衰のトラを一緒に見守るうちにすねた息子との仲も元通りになる。勿論動物園の開園にもうまく漕ぎつける。
自己再生・家族再生の典型的なお話は、どなたも仰るように何ということはない。しかし、小細工を弄さず、鼻白むような大袈裟な表現にも走らないクロウのスタイルには、そうでないメジャー映画が大量にあることを考えると、きちんとした評価を与えなければならない。ありふれた映画だと一顧だにしない態度は取るべからず。
主人公と動物園スタッフのリーダー的存在スカーレット・ヨハンスンとの個人的描写はなくもがなであるが、妻が原因での落ち込みだけに主人公再生の象徴的事件になっている。
ニール・ヤングの「シナモン・ガール」などクロウらしい既成曲の選曲が渋くてヨロシイ。
ご指摘されている方も多いので今更ながら「キセキ」がカタカナになっているのはダブル・ミーニング(掛け言葉)だから。それが何を指すかは言わずもがなでしょう。
苦労(クロウ)なく作ったなんて言わないで。by 監督
2011年アメリカ映画 監督キャメロン・クロウ
ネタバレあり
本来ライプニッツが用いた哲学用語なのに、いつの間にか(1970年代か?)小説・演劇・映画で想像したようにお話が進んで結着を見る時の批評用語になってしまった“予定調和”の権化のような映画である。だからこそ、逆に、この映画におけるキャメロン・クロウの演出はある程度評価しなければならない。僕がご贔屓にしている映画ブロガーの方はほぼ全員が好印象を持たれたようで、自分が誉められたように嬉しかった。
実話物で、自伝の原作を書いたベンジャミン・ミーを演じるのがマット・デーモンである。
突撃精神をもって自認するTV局コラムニストのデーモンが、妻を失った後遺症から立ち直れずに社を辞め、些か素行に問題のある息子コリン・フォードと娘マギー・エリザベス・ジョーンズを連れて、引っ越しを敢行する。が、娘と選んだその土地には動物園があった・・・というお話で、以降、動物園オウナーとして開園の為に東奔西走し、動物と触れ合ううちに、気持ちが吹っ切れて来る。老衰のトラを一緒に見守るうちにすねた息子との仲も元通りになる。勿論動物園の開園にもうまく漕ぎつける。
自己再生・家族再生の典型的なお話は、どなたも仰るように何ということはない。しかし、小細工を弄さず、鼻白むような大袈裟な表現にも走らないクロウのスタイルには、そうでないメジャー映画が大量にあることを考えると、きちんとした評価を与えなければならない。ありふれた映画だと一顧だにしない態度は取るべからず。
主人公と動物園スタッフのリーダー的存在スカーレット・ヨハンスンとの個人的描写はなくもがなであるが、妻が原因での落ち込みだけに主人公再生の象徴的事件になっている。
ニール・ヤングの「シナモン・ガール」などクロウらしい既成曲の選曲が渋くてヨロシイ。
ご指摘されている方も多いので今更ながら「キセキ」がカタカナになっているのはダブル・ミーニング(掛け言葉)だから。それが何を指すかは言わずもがなでしょう。
苦労(クロウ)なく作ったなんて言わないで。by 監督
この記事へのコメント
そういえば湘南動物プロダクションの事務所が、自宅の隣町にありましたが、手狭になって成田の方に移動してしまい、最近白いライオンが生まれたとニュースになっていました。
>実話
「アンビリバボー」といった番組でやりそうなお話でしたね。
かの番組は映画化されて実際の事件やお話を先に見せることがあって、「なんだ、このお話かあ」と半分がっかりすることもしばしばありました。
最近見ていないんですが。
>白いライオン
レオじゃないですか!(笑)