映画評「真夜中のパーティー」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1970年アメリカ映画 監督ウィリアム・フリードキン
ネタバレあり
1960年代末にアメリカで反響を呼んだというオフ・ブロードウェイ舞台劇の映画化で、原作者のマート・クローリーが脚色と製作を兼ねている。しかし、二年後に日本で劇場公開されるに至ったのは監督をしたウィリアム・フリードキンの次回作で事前の評判が高かった「フレンチ・コネクション」が二週間後に公開待機中だったからであろう。この映画が公開された時評論家の間で結構話題になったのを憶えている。
ある夏の夜、ニューヨーク、7人のホモだちがレナード・フレイの誕生パーティーの為に集まるが、主催者的なケネス・ネルスンが妙に高圧的に他のメンバーを見下すように扱い、電話ゲームをしようと言い出す。愛する男性に電話を掛け、名を名乗ったうえで「愛している」と告白したら勝ちという、当時の社会環境から言えばいじめゲームみたいなもので、この現場にストレートと思われるピーター・ホワイトが偶然居合わせてしまったことから、激しいやり取りが応酬される口論の場と化す。
同性愛を最初に扱ったアメリカ映画はテネシー・ウィリアムズの映画化「去年の夏突然に」(1959年)と一部で言われているが、僕の記憶する限り間接的すぎてとても“扱っている”とは言えない。
1960年代になり映画においても徐々にその存在自体は大分明確に示されるようになったとは言え、原作の戯曲が書かれた60年代末でも実社会でホモであることを自他ともに認める人はごく一握りだったと思われ、この映画版を見ると、彼らの意識下にある劣等感といったネガティヴな感情が葛藤場面を経て浮かび上がってくる。
そうした自らの負の感情に一番苦しんでいるのが実は高圧的な態度を取ってストレートになろうとしているように見えるネルスンで、しなを作っているクリフ・ゴーマンなどは社会的差別はともかく自らの感情を克服しているように見える。隠そうとするほど反比例的に辛くなるのは、ホモに限らず、世の常であります。
ネルスン氏としてはストレートに見えるホワイトが妙に旧友に拘っているのを見て同性愛者ではないかと勘繰って自分の仲間に入れようとする思惑により彼に電話をけしかける終幕近い一幕は実に鮮やかでヒヤヒヤさせられる。彼が廻すダイヤルとメンバーたちの顔を次々に切り替えるカット割りが効果を発揮した好場面で、敢えて言うならここが映画的ハイライトであろう。
舞台劇の映画化「摩天楼を夢みて」が(1991年)気に入った人にはお薦め。男性同士の絡みがないのでホモ映画が苦手な人もそれほど抵抗なく見られると思う。70年代に見た時は☆☆☆★相当(採点方式は今でも個人用とブログ用で違う)だったが、当時よりぐっと興味深く見られたので☆☆☆☆と致します(ホモ映画苦手な僕としては珍しい高採点)。
僕も“ホモ”・サピエンスです。
1970年アメリカ映画 監督ウィリアム・フリードキン
ネタバレあり
1960年代末にアメリカで反響を呼んだというオフ・ブロードウェイ舞台劇の映画化で、原作者のマート・クローリーが脚色と製作を兼ねている。しかし、二年後に日本で劇場公開されるに至ったのは監督をしたウィリアム・フリードキンの次回作で事前の評判が高かった「フレンチ・コネクション」が二週間後に公開待機中だったからであろう。この映画が公開された時評論家の間で結構話題になったのを憶えている。
ある夏の夜、ニューヨーク、7人のホモだちがレナード・フレイの誕生パーティーの為に集まるが、主催者的なケネス・ネルスンが妙に高圧的に他のメンバーを見下すように扱い、電話ゲームをしようと言い出す。愛する男性に電話を掛け、名を名乗ったうえで「愛している」と告白したら勝ちという、当時の社会環境から言えばいじめゲームみたいなもので、この現場にストレートと思われるピーター・ホワイトが偶然居合わせてしまったことから、激しいやり取りが応酬される口論の場と化す。
同性愛を最初に扱ったアメリカ映画はテネシー・ウィリアムズの映画化「去年の夏突然に」(1959年)と一部で言われているが、僕の記憶する限り間接的すぎてとても“扱っている”とは言えない。
1960年代になり映画においても徐々にその存在自体は大分明確に示されるようになったとは言え、原作の戯曲が書かれた60年代末でも実社会でホモであることを自他ともに認める人はごく一握りだったと思われ、この映画版を見ると、彼らの意識下にある劣等感といったネガティヴな感情が葛藤場面を経て浮かび上がってくる。
そうした自らの負の感情に一番苦しんでいるのが実は高圧的な態度を取ってストレートになろうとしているように見えるネルスンで、しなを作っているクリフ・ゴーマンなどは社会的差別はともかく自らの感情を克服しているように見える。隠そうとするほど反比例的に辛くなるのは、ホモに限らず、世の常であります。
ネルスン氏としてはストレートに見えるホワイトが妙に旧友に拘っているのを見て同性愛者ではないかと勘繰って自分の仲間に入れようとする思惑により彼に電話をけしかける終幕近い一幕は実に鮮やかでヒヤヒヤさせられる。彼が廻すダイヤルとメンバーたちの顔を次々に切り替えるカット割りが効果を発揮した好場面で、敢えて言うならここが映画的ハイライトであろう。
舞台劇の映画化「摩天楼を夢みて」が(1991年)気に入った人にはお薦め。男性同士の絡みがないのでホモ映画が苦手な人もそれほど抵抗なく見られると思う。70年代に見た時は☆☆☆★相当(採点方式は今でも個人用とブログ用で違う)だったが、当時よりぐっと興味深く見られたので☆☆☆☆と致します(ホモ映画苦手な僕としては珍しい高採点)。
僕も“ホモ”・サピエンスです。
この記事へのコメント
ストレートとしては、どうも同姓を好きになる感覚はわかりかねますが・・・・
映画としては高い評価をいたします。
>ホモルーデンス
例の兄貴の友人がごっそりくれた書籍の中、ホイジンガが著した「ホモ・ルーデンス」という本がありましたが、貰ったのが小学生を卒業した頃なので、手頃そうなSF小説は読みましたが、この本は結局読まず今に至ります。
最近は図書館から文学だけでなく色々な本を借りてきますから、この類の本にも興味津津、いずれ読んでみようかとは思っています。
中学時代くらいまでは異様に他人に依存する性格だったので、決まった親しい友人と行動を共にすることが多く、その為に憶えたての言葉を使いたい中学生らしく“ホモ疑惑”が持ち上がりましたが、友情以外のものは何も感じなかったのが実際。
癪に障ったのは、ある女の子が僕の初恋の女子生徒の隣で「ホモ」という言葉を吐いたこと。決していじめやそういった類の発言ではなかったのですが、そうでなくても村下孝蔵の名曲「初恋」よろしく告白できずに悩んでいる頃でしたので、ちょっとね。
自分のコピーを産む為に自然から性欲なるものが授けられた通り、男性の僕は、やはり女性が良いです(笑)。