映画評「希望の国」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2012年日本映画 監督・園子温
ネタバレあり
園子温監督は「紀子の食卓」で初めて観た時面白がりつつ僕の好みではないと思ったが、多分に一般的になった「ヒミズ」を経て作られた本作は頗る取っつきやすい作品となっている。東日本大地震による原発事故で大いに苦しめられている福島県をモデルにした内容故で、暫くするとまた本来の気味悪い作品を作るだろうとは思う。
福島県ならぬ長島県、認知症の妻・大谷直子を抱え息子夫婦と酪農を営む夏八木勲の一家が、大地震発生による原発のメルトダウンにより理不尽な目に遭う。家の敷地内にバリアが張られ、彼の家はぎりぎり難を逃れるが、隣の家は半径20kmの警戒区域内に入った為強制退去させられる。実際はどうだったか知らないが、こうした甚だしい杓子定規を行政や官憲は行ないがちである。
これは本論への布石で、原発について不安を抱いていた老人は、息子夫婦(村上淳と神楽坂恵)を自主避難させると、役所による避難勧告を無視して居座り続け、国による強制退去を前にある決断を迫られる。一方、息子の妻は転居先で妊娠を知ると、放射能恐怖症にかかりその重装備を町民から笑われる。
自分の経験から言って、恐怖症や不安症はよく勉強する真面目タイプに襲いかかる。僕は母親が死んだ直後に施設に入所中の父親が入院した時に相続税についてHPで色々と調べるうちに病気になった。怖かったのは相続税ではなく、贈与税である。そもそも相続税を払うほどの資産はないのだが、折り悪く、前年菅政権が相続税を控除額を6割に下げることを言明、それが実現するとぎりぎりかかるくらいであったのだ。
いずれにしても、誰も彼女のことを笑うことはできない。現に転居したその町も思ったほど安全ではないことが判明する。そして、二人はまた転居することになるが、絶対に安全と思ったそこも高い放射能を示す。
この夫婦を巡るエピソードはアメリカ映画「テイク・シェルター」のお話の構図にそっくり。僅かに恐怖映画要素の多寡という差があるくらいである。
一家の隣家の馬鹿息子・清水優が恋人・梶原ひかりの両親を捜しに荒れた町を彷徨する。このカップルの挿話では、ビートルズのシングル・レコードを捜す幼い兄妹が印象的である。恐らく彼らは亡霊である。そこで死んだ人の亡霊ではなく、町そのもの、或いはもっと抽象的な人生の総体といったものの幽霊ではないかと思う。彼らは“一歩、一歩、と歩くんだよ”と着実な再生へのステップを示して突然消えてしまう(東日本大地震があった時、ビートルズのレコードも流れてしまったんだろうなあ、と何故か考えたことがある)。
かくして、三つのカップルは伴侶と慰め合って新たな人生に踏み出す。
ヒューマンである。しかし、安易なメロドラマではなく、「希望の国」というタイトルに現実の政治や行政への最大限の皮肉が込められ、今後の人生は全て自ら建設しなければならない、という幕切れは愛というオブラートでくるみながらかなり厳しい。
そこに絡めて言えば、電力重要は日本に原発が要らないことを示している。原発が必要と言う人は経済を理由にするが、自分の利益の為に必要という意味に置き換えられるおためごかしだ。日本の政治家が来年にでも電力の自由化に踏み切る勇気があれば、この国にはまだ未来がある。
再び映画でござる。場所を架空のものにしたのは、作劇に多様性を持たせる為であり、同時に普遍性をもたらす為であろう。しかし、老夫婦の選択には多少の不満を覚える。
実際の被災地をじっくり撮ったカメラは優秀。演技陣も好調で、中でも印象的な大谷直子の役名が智恵子なのは、精神を病んだ高村智恵子を意識したものだろうか?
現在、一部の日本人は"UP, UP"と浮かれているが、その実、日本はあっぷあっぷなのだ。
2012年日本映画 監督・園子温
ネタバレあり
園子温監督は「紀子の食卓」で初めて観た時面白がりつつ僕の好みではないと思ったが、多分に一般的になった「ヒミズ」を経て作られた本作は頗る取っつきやすい作品となっている。東日本大地震による原発事故で大いに苦しめられている福島県をモデルにした内容故で、暫くするとまた本来の気味悪い作品を作るだろうとは思う。
福島県ならぬ長島県、認知症の妻・大谷直子を抱え息子夫婦と酪農を営む夏八木勲の一家が、大地震発生による原発のメルトダウンにより理不尽な目に遭う。家の敷地内にバリアが張られ、彼の家はぎりぎり難を逃れるが、隣の家は半径20kmの警戒区域内に入った為強制退去させられる。実際はどうだったか知らないが、こうした甚だしい杓子定規を行政や官憲は行ないがちである。
これは本論への布石で、原発について不安を抱いていた老人は、息子夫婦(村上淳と神楽坂恵)を自主避難させると、役所による避難勧告を無視して居座り続け、国による強制退去を前にある決断を迫られる。一方、息子の妻は転居先で妊娠を知ると、放射能恐怖症にかかりその重装備を町民から笑われる。
自分の経験から言って、恐怖症や不安症はよく勉強する真面目タイプに襲いかかる。僕は母親が死んだ直後に施設に入所中の父親が入院した時に相続税についてHPで色々と調べるうちに病気になった。怖かったのは相続税ではなく、贈与税である。そもそも相続税を払うほどの資産はないのだが、折り悪く、前年菅政権が相続税を控除額を6割に下げることを言明、それが実現するとぎりぎりかかるくらいであったのだ。
いずれにしても、誰も彼女のことを笑うことはできない。現に転居したその町も思ったほど安全ではないことが判明する。そして、二人はまた転居することになるが、絶対に安全と思ったそこも高い放射能を示す。
この夫婦を巡るエピソードはアメリカ映画「テイク・シェルター」のお話の構図にそっくり。僅かに恐怖映画要素の多寡という差があるくらいである。
一家の隣家の馬鹿息子・清水優が恋人・梶原ひかりの両親を捜しに荒れた町を彷徨する。このカップルの挿話では、ビートルズのシングル・レコードを捜す幼い兄妹が印象的である。恐らく彼らは亡霊である。そこで死んだ人の亡霊ではなく、町そのもの、或いはもっと抽象的な人生の総体といったものの幽霊ではないかと思う。彼らは“一歩、一歩、と歩くんだよ”と着実な再生へのステップを示して突然消えてしまう(東日本大地震があった時、ビートルズのレコードも流れてしまったんだろうなあ、と何故か考えたことがある)。
かくして、三つのカップルは伴侶と慰め合って新たな人生に踏み出す。
ヒューマンである。しかし、安易なメロドラマではなく、「希望の国」というタイトルに現実の政治や行政への最大限の皮肉が込められ、今後の人生は全て自ら建設しなければならない、という幕切れは愛というオブラートでくるみながらかなり厳しい。
そこに絡めて言えば、電力重要は日本に原発が要らないことを示している。原発が必要と言う人は経済を理由にするが、自分の利益の為に必要という意味に置き換えられるおためごかしだ。日本の政治家が来年にでも電力の自由化に踏み切る勇気があれば、この国にはまだ未来がある。
再び映画でござる。場所を架空のものにしたのは、作劇に多様性を持たせる為であり、同時に普遍性をもたらす為であろう。しかし、老夫婦の選択には多少の不満を覚える。
実際の被災地をじっくり撮ったカメラは優秀。演技陣も好調で、中でも印象的な大谷直子の役名が智恵子なのは、精神を病んだ高村智恵子を意識したものだろうか?
現在、一部の日本人は"UP, UP"と浮かれているが、その実、日本はあっぷあっぷなのだ。
この記事へのコメント
絶望の国の反語でしょうな~
はいは~い、訂正で~す!
千兆円だと思います。えらい金額ですよ。
今のアベノミクスだけでは全然足りないです。電力の自由化、農協の解体、等必要なのではないでしょうか?