映画評「グスゴーブドリの伝記」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2012年日本映画 監督・杉井ギサブロー
ネタバレあり

宮沢賢治の映画化では「銀河鉄道の夜」で実績のある杉井ギサブローが彼の有名な童話を再び取り上げたアニメ。今回も登場人物は猫化されている。しかし、猫ではなくて、猫の形をした人間と理解しなければならない。

イーハトーブの森で両親と妹ネリと幸福に暮していた少年(グスコー)ブドリは、数年に渡る冷害により両親が出奔し、妹も何者かに誘拐され天涯孤独になる。てぐす工場で働かされた後森を出た彼は山師もどきの大百姓と親しくなって彼の水田の為に無償で働き、ここも冷害で食えなくなってやんわりと追い出されると、今度は町へ出て本でその著書を読んだことのあるクーボー博士の紹介で火山局で働くことになる。またまた冷害が訪れ、火山爆破による二酸化炭素温室効果で空気を温めることができないかと思案し、遂に火山のある島に向かう。

という骨子は原作とほぼ同じだが、主人公は妹と再会しない。宮沢自身の詩編「雨ニモマケズ」を通奏低音にしたいが故の改変である。つまり、死をもいとわない自己犠牲というテーマを強調する為に必要だったのではないか。
 妹を誘拐する男は、原作では人さらいと考えられるが、本作では死神と解釈できる。さもないと、再び現れてブドリをさらう(火山に連れて行く)幕切れと齟齬することになる。ブドリが最終的にどうなったかは原作でも本作でも解らないが、本作においては死神説を取って死んだと考えた方が良いだろう。

このように両義的な解釈が出来てしまうのは“最小限の表現”に作者が拘っているからで、説明不足と言われても仕方がない部分が散見されるものの、僕は行間を読ませる手法の範囲内であると考える。「銀河鉄道の夜」でもそうだったように登場人物の無表情が反作用の効果を生んでいることと通底し、興味深い。

家は別格として、てぐす工場でも農家でも火山局でも彼は自発的に働く。その精神は最後の行動に帰結し、作劇としては見事に首尾一貫しているものの、余りの自己犠牲はどうなのかという考えに至らないでもない。他方、主人公の自己犠牲精神や地熱に絡めた台詞などを考え併せると、脚色もした杉井監督は3・11特に原発問題への思いから本作を作った想像され、感慨を催させる。

若くして妹を失った宮沢賢治の生涯が原作より色濃く反映されている気がするね。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2013年08月29日 01:28
これは、『銀河鉄道の夜』のますむらひろしさんという漫画家が延々と書いてきた漫画のキャラクターをもとにしているんですよね~
人間のように二足歩行をしている猫というのに意味があるのかな?という部分はありますが、キャラクターが魅力的なんでしょうね。
オカピー
2013年08月29日 21:29
ねこのひげさん、こんにちは。

>ますむらひろしさん
ふむふむ、映画サイトに行きますと、確かにその名前があります^^
勉強になりました。

恐らく人間そのものでは童話的ファンタジー性がうまく表現できず、かと言って擬人化では意味がない、ということでしょうね。

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