映画評「十三人の刺客」(1963年版)
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1963年日本映画 監督・工藤栄一
ネタバレあり
東映の時代劇は既に当時のお年寄り向けに作られていた印象が強く殆ど観ていないのだが、時代劇が衰退に入り始める1960年前後から新感覚のシャープな時代劇も幾つか作られた。本作もその一つだが、それでも僕は敬遠して何度もTVで放映されてきたのに観なかった。今回観たのは三池崇史のリメイクがなかなか良かったからで、違いなどを確認しながら観た。
徳川十二代将軍・家慶の異母弟の明石藩主・松平斉韶(なりつぐ=菅貫太郎)の悪逆非道の暴君ぶりに堪忍袋の緒を切った老中・土井利一(丹波哲郎)が、御目付・島田新三衛門(片岡千恵蔵)に暗殺の命を下す。島田は甥の新六郎(里見浩太郎)を筆頭に腕に覚えのある侍11人を集めて暗殺部隊を構成、参勤交代の行程を読んで綿密な計画を立て、途上の宿場町を買い取りそこで暗殺を敢行することにし、町の郷士・木賀小弥太(山城新吾)を加えた総勢13名で、敵軍に立ち向かうことになる。
というお話は木賀の扱いが違うくらいで大体同じ。リメイクで敵の人数が数値として具体的に現れていたのは、ゲームが定着した平成の人々に向けた脚色であったと思われる。
さて、本作脚本を書いた池上金男には一つの目的の為に結束する侍というモチーフにおいて「七人の侍」(1954年)が頭にあったにちがいない。「用心棒」(1961年)「椿三十郎」(1962年)がヒットした為その西部劇的ムードも加えてこの作品を書いたのだろう。ただ「七人の侍」が群像劇的要素が強かったのに比べると、本作では十三人の総体を一つの人格のように扱っている雰囲気があるので、ドラマ性や人物造形の面白さを期待するとぐっと淡白に感じられる筈である。脚本の行間から、或は、当時まだ若手だった工藤栄一監督のタッチから虚無主義的な匂いが漂っているのもヒューマニズムに立脚した「七人の侍」とは違う。
リメイクと比べても、ロングショットの多さが余計に淡白な印象をもたらす。逆に、「七人の侍」の性格描写が煩く感じられるムキには好感を抱く方もいらっしゃるだろう。
どちらが良いというわけではない。「七人の侍」と本作とでは見せ方において狙いが違う。狙いが的外れではなく、かつ、その目論見通りに作られていれば、程度こそ違え、見る人が見れば楽しめるのである。
小泉さんの頃だったろうか、選挙で刺客を“しきゃく”と発音する議員が多いのが気になった。必ずしも間違いではないが、“しかく”と言わないと“まる”は付けられない。本当はせきかくと読むらしい。
1963年日本映画 監督・工藤栄一
ネタバレあり
東映の時代劇は既に当時のお年寄り向けに作られていた印象が強く殆ど観ていないのだが、時代劇が衰退に入り始める1960年前後から新感覚のシャープな時代劇も幾つか作られた。本作もその一つだが、それでも僕は敬遠して何度もTVで放映されてきたのに観なかった。今回観たのは三池崇史のリメイクがなかなか良かったからで、違いなどを確認しながら観た。
徳川十二代将軍・家慶の異母弟の明石藩主・松平斉韶(なりつぐ=菅貫太郎)の悪逆非道の暴君ぶりに堪忍袋の緒を切った老中・土井利一(丹波哲郎)が、御目付・島田新三衛門(片岡千恵蔵)に暗殺の命を下す。島田は甥の新六郎(里見浩太郎)を筆頭に腕に覚えのある侍11人を集めて暗殺部隊を構成、参勤交代の行程を読んで綿密な計画を立て、途上の宿場町を買い取りそこで暗殺を敢行することにし、町の郷士・木賀小弥太(山城新吾)を加えた総勢13名で、敵軍に立ち向かうことになる。
というお話は木賀の扱いが違うくらいで大体同じ。リメイクで敵の人数が数値として具体的に現れていたのは、ゲームが定着した平成の人々に向けた脚色であったと思われる。
さて、本作脚本を書いた池上金男には一つの目的の為に結束する侍というモチーフにおいて「七人の侍」(1954年)が頭にあったにちがいない。「用心棒」(1961年)「椿三十郎」(1962年)がヒットした為その西部劇的ムードも加えてこの作品を書いたのだろう。ただ「七人の侍」が群像劇的要素が強かったのに比べると、本作では十三人の総体を一つの人格のように扱っている雰囲気があるので、ドラマ性や人物造形の面白さを期待するとぐっと淡白に感じられる筈である。脚本の行間から、或は、当時まだ若手だった工藤栄一監督のタッチから虚無主義的な匂いが漂っているのもヒューマニズムに立脚した「七人の侍」とは違う。
リメイクと比べても、ロングショットの多さが余計に淡白な印象をもたらす。逆に、「七人の侍」の性格描写が煩く感じられるムキには好感を抱く方もいらっしゃるだろう。
どちらが良いというわけではない。「七人の侍」と本作とでは見せ方において狙いが違う。狙いが的外れではなく、かつ、その目論見通りに作られていれば、程度こそ違え、見る人が見れば楽しめるのである。
小泉さんの頃だったろうか、選挙で刺客を“しきゃく”と発音する議員が多いのが気になった。必ずしも間違いではないが、“しかく”と言わないと“まる”は付けられない。本当はせきかくと読むらしい。
この記事へのコメント
そして「目論見通り」。
まさにおっしゃる通りでございましたね。
台詞うんぬん等、私のこだわりは脇に置きましても
この書き手、監督さんのあれは色なんでしょうし。
文字そのものに無関心な人々多し。
若者は酷いほどですが往々にして私の知るところ
学歴や年齢関係なく。これに気づいた時の
落胆は未だ沸いてないお風呂に入った感。^^;
人生はこれだけじゃないけれど一旦こだわると
やたらこだわるわが狭量さが時に疎ましくもあり。(^ ^);
ちなみに「三池崇志」は崇史と覚えて
おりましたが、違いましたっけ?^^
「七人の侍」含め男が男であったあの時代の
邦画はやはり理屈抜きでいいですよ~
女の私から観てもほれぼれします。^^
東映時代劇末期のこの辺りの作品になりますと、映像もシャープで、殿様映画の面影薄く結構なお手前、てな印象がありました。
本作が虚無的なのは、恐らく、安保闘争後の空気を引きずっているのだと勝手に思っていますが、その結果昔の時代劇と違って良い意味でゲーム感覚の部分が出始めたとの印象もありました。
>文字
衆議院議員さん所謂代議士は殆どが一流大学出ているし、政治家は歴史小説などお好きでしょうにね、何故“刺客”の一般的読み方を御存じないのか不思議。
>三池崇志
ご指摘有難うございます<(_ _)>
パソコンで“崇史”がなかなか出て来ないのでいつも手間かけて出しておるですが、今回チェックし忘れました^^;
早速直しました。
>男が男であったあの時代
経済成長の時代で、何だかんだ言って男性に自信があったのかもしれませんね。
時代劇俳優も1990年頃には絶滅危惧種になりまして、まともにできそうな方は現在70代以上でしょうか。
まあ、そういう時代ははるかかなたになったということでしょうね。
>『七人の侍』
仲代達矢ではないでしょうか?
結局、通行するだけの役がついて、これがデビュー作になったと思います。
アメリカの西部劇も日本の時代劇とほぼ同じ状況ですが、時代劇の方が所作や言葉遣いが現代劇と違う度合いが大きいと思われますので難しいでしょうね。
このままいくと時代劇が作れなくなることを危惧したとのことです。
良いことですね。
しかし、先生は年寄りばかりじゃないですか?(笑)
宿場町の激闘は凄かったです!工藤栄一監督は平面図を描いて、どこが「松平斉韶を誘い込む場所か?どこが抜け道か?刺客がそれぞれ待ち構えているのはどこか?」と細かい計画を立てたのでしょう。
斉韶側のエース(凄腕)内田良平に刺客側が一人一人斬られる場面は「戦力が勿体ない!」と思わせる演出でした。斬られる刺客も捨て駒として必要だったのか?(悲しい・・・)そのおかげで斉韶を追い詰める事が出来たのか?
戦い終了の合図。ホッとした西村晃が相手側の準エースに追われて逃げまくって結局斬られてしまうのも皮肉なもんです。
>裏切りの荒野
フランコ・ネロ主演ですよね?一度見たいです。
>しかし、最近またアメリカで差別語扱いになりかけているような気がします。
複雑ですね・・・。
>そろそろかな(笑)
知人で長い映画を1日に30分ずつ見る人もいます(苦笑)。
>宿場町の激闘は凄かったです!
若者が観る作品がなかなか作れなかった東映が、東宝や大映の作風を取り入れて、脱皮していますね。こういうのであれば観る気になります。
>知人で長い映画を1日に30分ずつ見る人もいます(苦笑)。
ブログに書くという制約がなければそれでも良いですが、それだと毎日一本上げられない。ごく稀に、3時間の映画と1時間半くらいの映画を抱き合わせ、二日に2本を観るということをすることもあります。その場合は先に短いのを観ておくと好都合(一日に2本を書くのは辛いので)。
長渕剛原案・主演の『ウォータームーン』の監督も工藤栄一。撮影中に長渕といろいろトラブル。またその頃、松田優作の訃報があり長渕の反対を押し切って葬儀に参列したとか。
>ミュージカルというのはどこの国でも大衆映画として親しまれた
ビートルズの映画「A hard day’s night」も見方によってはミュージカルです。
>ビートルズ・ファンがビートルズの新譜を聴くような楽しみ
そういう楽しみ方もあるのでしょう。ビートルズのDNAです。
>工藤栄一監督作品「ヨコハマBJブルース」(松田優作が原案&主演)を見ました。
ライブラリーにありますけど、まだ観ていません。昔観た可能性もあるのですが、とにかく本数を観ているので不確かです。
>長渕剛原案・主演の『ウォータームーン』の監督も工藤栄一。
これは存在も知らないですねえ。
工藤監督について、ぽつりぽつりと見るせいで、僕は定見を持っていないんですよ。
>「A hard day’s night」も見方によってはミュージカルです。
日本で言う、ミュージカルも「ハード・デイズ・ナイト」のような音楽映画も、英語ではmusicalですね。当然と言えば当然。
双葉師匠は、「ハード・デイズ・ナイト」のような作品をサウンド編と称して紹介していました。