映画評「半分の月がのぼる空」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2010年日本映画 監督・深川栄洋
ネタバレあり
2011年3月下旬に甥が本作のブルーレイ・ディスクを持ってきた。「時間ができたら観るね」と言った直後に母が急死した。その後甥に「今の叔父さんにはしんどいかも」と言われたので放置したのを、2年半に及ぶ封印を切って今日やっと観る。人が死ぬ映画を観て悪影響を受けるほどこたえてなかったと思うが、葬儀を終えてやや落ち着いた頃再鑑賞の「恍惚の人」を見始め、老人の伴侶が急死する場面に吐き気を覚えて鑑賞中止したこともあったから、何とも言えない。自分では、母と同じ年代の老婦人が母と同じように急死する場面であったからと分析しておるのですがね。
肝炎で入院中の高校生・池松壮亮が病院を勝手に抜け出した件で罰として、看護婦・濱田マリから、転院してきた同世代の少女・忽那汐里の相手をすることを命じられる。TVを取り上げられるのを恐れ、命令口調の相手の言うことを聞く。彼が病院を抜け出して彼女の父親との思い出のある小山に連れて行ったり、文化祭に赴けば彼女が舞台で主役を演じたり、二人は新密度を増していくが、やがて彼の退院する日が訪れる。
というお話に、元心臓外科医で現在は内科医を務める大泉洋が絡んでくる。心臓を病む汐里ちゃんはある先生に手術して貰いたくて転院してきたという設定である。大泉は「内科医だから」と手術を拒み続ける。
映画はこの二つの場面を直接繋いでいるので、最終的に大泉医師が彼女の手術を引き受けるお話になって行くのかと思いきやそうならない。尤もそれでは面白くも何ともないので、さもありなん。
汐里ちゃんの手術を断る先生が西岡徳馬と判って、鈍い僕にも、この後の場面を見ずともさすがに「ははぁ」とピンと来た。二つの場面は時系列が少なくとも10年以上違うのである。
そう言えば、池松君汐里ちゃんの時間軸の中で「看護婦」という今では使用を回避される傾向のある言葉が出てきたように記憶する。僕の記憶が正しいとすれば、これが一つヒントになり得る。
お話自体は、韓国難病映画に多少節度を持たせた程度で、病院を抜け出したりする部分に相当疑問符が付くなど、やや弱体である印象が否めないので、映画としてはこのトリックがハイライトであると考えられる。しかし、池松君と大泉氏が同一人物という配役にはどうもトリック看破防止の為の意図的過ぎるあざとさを感じるので、そこに重点を置きすぎると本作の真価を見失う。
低く評価しているように述べたものの、実は青春映画としての部分にちょっと魅力があるのである。終盤、大泉氏と池松君が一体化することで観客はハッと思わされて感銘を受ける可能性が高いが、本当はその後現在の彼の思いが過去に逆流することで若い時代の二人の気持ちが真に光り輝くことに思いを馳せるべきなのである。
“幸福”の定義を問いかける「銀河鉄道の夜」の本、“生命”の象徴たる“上弦の月”を小道具として上手く作っている為、ありふれたお話ながらそこそこ楽しめる作品になっている。
僕も年を取ったと思う。男女間の思いより国の行く末が気になって仕方がない。
2010年日本映画 監督・深川栄洋
ネタバレあり
2011年3月下旬に甥が本作のブルーレイ・ディスクを持ってきた。「時間ができたら観るね」と言った直後に母が急死した。その後甥に「今の叔父さんにはしんどいかも」と言われたので放置したのを、2年半に及ぶ封印を切って今日やっと観る。人が死ぬ映画を観て悪影響を受けるほどこたえてなかったと思うが、葬儀を終えてやや落ち着いた頃再鑑賞の「恍惚の人」を見始め、老人の伴侶が急死する場面に吐き気を覚えて鑑賞中止したこともあったから、何とも言えない。自分では、母と同じ年代の老婦人が母と同じように急死する場面であったからと分析しておるのですがね。
肝炎で入院中の高校生・池松壮亮が病院を勝手に抜け出した件で罰として、看護婦・濱田マリから、転院してきた同世代の少女・忽那汐里の相手をすることを命じられる。TVを取り上げられるのを恐れ、命令口調の相手の言うことを聞く。彼が病院を抜け出して彼女の父親との思い出のある小山に連れて行ったり、文化祭に赴けば彼女が舞台で主役を演じたり、二人は新密度を増していくが、やがて彼の退院する日が訪れる。
というお話に、元心臓外科医で現在は内科医を務める大泉洋が絡んでくる。心臓を病む汐里ちゃんはある先生に手術して貰いたくて転院してきたという設定である。大泉は「内科医だから」と手術を拒み続ける。
映画はこの二つの場面を直接繋いでいるので、最終的に大泉医師が彼女の手術を引き受けるお話になって行くのかと思いきやそうならない。尤もそれでは面白くも何ともないので、さもありなん。
汐里ちゃんの手術を断る先生が西岡徳馬と判って、鈍い僕にも、この後の場面を見ずともさすがに「ははぁ」とピンと来た。二つの場面は時系列が少なくとも10年以上違うのである。
そう言えば、池松君汐里ちゃんの時間軸の中で「看護婦」という今では使用を回避される傾向のある言葉が出てきたように記憶する。僕の記憶が正しいとすれば、これが一つヒントになり得る。
お話自体は、韓国難病映画に多少節度を持たせた程度で、病院を抜け出したりする部分に相当疑問符が付くなど、やや弱体である印象が否めないので、映画としてはこのトリックがハイライトであると考えられる。しかし、池松君と大泉氏が同一人物という配役にはどうもトリック看破防止の為の意図的過ぎるあざとさを感じるので、そこに重点を置きすぎると本作の真価を見失う。
低く評価しているように述べたものの、実は青春映画としての部分にちょっと魅力があるのである。終盤、大泉氏と池松君が一体化することで観客はハッと思わされて感銘を受ける可能性が高いが、本当はその後現在の彼の思いが過去に逆流することで若い時代の二人の気持ちが真に光り輝くことに思いを馳せるべきなのである。
“幸福”の定義を問いかける「銀河鉄道の夜」の本、“生命”の象徴たる“上弦の月”を小道具として上手く作っている為、ありふれたお話ながらそこそこ楽しめる作品になっている。
僕も年を取ったと思う。男女間の思いより国の行く末が気になって仕方がない。
この記事へのコメント
作者はそれをヒントにして書いているのかもしれません。
さわやかな作品でありました。
観客の思い込みを利用した映画だと思いますが、その部分に関しては今さらという感がなくもないです。
ただ、少年のシーンと医師のシーンを直接つなぐところが序盤にあって、これは思い込みを誘発する狙いと二人が同一人物であるという種明かしでもある二つの仕掛けがあるように思いました。だから、あざといだけでもない感じも致します。
>『たんぽぽ娘』
知りませなんだ。
原作はベストセラーになったライト・ノベルらしいのですが、「たんぽぽ娘」のアウトラインを少しチェックした限りでも、原作者が読んでいる可能性はありますね。