映画評「黄昏」(1981年)
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1981年アメリカ映画 監督マーク・ライデル
ネタバレあり
映画館で連続二度、TVでも一度は観ていると思う。毎年観ても良いと思うくらい好きな作品だ。ウィリアム・ワイラーが1951年にシオドア・ドライサーの長編小説「シスター・キャリー」を映画化した同名邦題の作品があるので1981年と付記した。
避暑の為ゴールデン・ポンドという名の湖の畔にある別荘へ元大学教授ヘンリー・フォンダとキャサリン・へプバーンの老夫婦が例年のようにやって来る。元教授は大きな声を上げ強がって見せてはいるが、記憶の衰えに内心は弱気になっている。キャサリンがそんな彼をしっかり支えている。
80歳の誕生日に娘ジェーン・フォンダが新しい恋人ダブニー・コールマンと彼の子供ダグ・マッケオンを伴って訪れる。しかし、彼女は子供時代から辛辣な父親を嫌っていて折角の団欒の機会もぎくしゃくしてしまう。そんな彼女を慰めるのもキャサリンである。
大人二人は少年を老夫婦に預けて欧州に旅立つ。最初は老人を煙たがっていた少年も釣りをするうちに親しくなり、一ヶ月後戻って来たジェーンはそんな様子に嫉妬して悔しがる。彼女は解っていないのだ、老人が少年を可愛がるのは実は素直に接することができない彼女の代りであることを。しかし、彼女は期するものがあり、思い切って心情を打ち明けると、老父もその思いに応えてくれる。
老人の心臓は相当弱っている。来年ここにやって来られるかは解らない。
映画館で観終わった後父娘(おやこ)の和解に、老人と少年の交流に、50年に及ぶ老夫婦の関係に感動に浸って座席に坐ったままでいる(続けてもう一度観るつもりだった)と、前を通った大学生らしきグループの一人が「動きがないね」と感想を漏らしているのを聞いた。しかし、彼は何を観ていたのだろう? この作品には少年の、娘の、そして父親の心の激しい動きが鮮やかに描かれているではないか! 場所が変わったり、大事件が起きることだけが動きと思っているのだろうか? 聞いていて恥ずかしくなった。
話変わり、僕は普段、映画の価値はスクリーンが全てであると言っている。しかし、それは撮影が大変だったり、役者がピアノの練習に苦労したり、といった努力の類を評価に加味すべきではない、という意味であって、出演者やスタッフの画面外の活動が映画の面白味や感動に影響を与えないということではない。
何故こんなことを言い出したかと言えば、ヘンリーとジェーンのフォンダ父娘が実生活でも不仲であると聞いていた為、映画における父娘の和解が実生活にダブって感動が弥増(いやま)したからである。豊かな自然の中に浮かび上がる人々の心情が心に沁み入る名品だった。
佳作はあったがホームランのなかったマーク・ライデル監督のお手柄で、晩年のヘンリー・フォンダとキャサリン・へプバーンの演技も圧巻と言うべし。
デーブ・グルーシンはバロック音楽を意識してスコアを書いたのではないかな?
1981年アメリカ映画 監督マーク・ライデル
ネタバレあり
映画館で連続二度、TVでも一度は観ていると思う。毎年観ても良いと思うくらい好きな作品だ。ウィリアム・ワイラーが1951年にシオドア・ドライサーの長編小説「シスター・キャリー」を映画化した同名邦題の作品があるので1981年と付記した。
避暑の為ゴールデン・ポンドという名の湖の畔にある別荘へ元大学教授ヘンリー・フォンダとキャサリン・へプバーンの老夫婦が例年のようにやって来る。元教授は大きな声を上げ強がって見せてはいるが、記憶の衰えに内心は弱気になっている。キャサリンがそんな彼をしっかり支えている。
80歳の誕生日に娘ジェーン・フォンダが新しい恋人ダブニー・コールマンと彼の子供ダグ・マッケオンを伴って訪れる。しかし、彼女は子供時代から辛辣な父親を嫌っていて折角の団欒の機会もぎくしゃくしてしまう。そんな彼女を慰めるのもキャサリンである。
大人二人は少年を老夫婦に預けて欧州に旅立つ。最初は老人を煙たがっていた少年も釣りをするうちに親しくなり、一ヶ月後戻って来たジェーンはそんな様子に嫉妬して悔しがる。彼女は解っていないのだ、老人が少年を可愛がるのは実は素直に接することができない彼女の代りであることを。しかし、彼女は期するものがあり、思い切って心情を打ち明けると、老父もその思いに応えてくれる。
老人の心臓は相当弱っている。来年ここにやって来られるかは解らない。
映画館で観終わった後父娘(おやこ)の和解に、老人と少年の交流に、50年に及ぶ老夫婦の関係に感動に浸って座席に坐ったままでいる(続けてもう一度観るつもりだった)と、前を通った大学生らしきグループの一人が「動きがないね」と感想を漏らしているのを聞いた。しかし、彼は何を観ていたのだろう? この作品には少年の、娘の、そして父親の心の激しい動きが鮮やかに描かれているではないか! 場所が変わったり、大事件が起きることだけが動きと思っているのだろうか? 聞いていて恥ずかしくなった。
話変わり、僕は普段、映画の価値はスクリーンが全てであると言っている。しかし、それは撮影が大変だったり、役者がピアノの練習に苦労したり、といった努力の類を評価に加味すべきではない、という意味であって、出演者やスタッフの画面外の活動が映画の面白味や感動に影響を与えないということではない。
何故こんなことを言い出したかと言えば、ヘンリーとジェーンのフォンダ父娘が実生活でも不仲であると聞いていた為、映画における父娘の和解が実生活にダブって感動が弥増(いやま)したからである。豊かな自然の中に浮かび上がる人々の心情が心に沁み入る名品だった。
佳作はあったがホームランのなかったマーク・ライデル監督のお手柄で、晩年のヘンリー・フォンダとキャサリン・へプバーンの演技も圧巻と言うべし。
デーブ・グルーシンはバロック音楽を意識してスコアを書いたのではないかな?
この記事へのコメント
「人間は、自分にとって関心の無い事柄に対し
無意識のうちに軽蔑する生きものである」。
残念ながら激しく同感している私がおります。(^ ^);
ましてやそこに想像力の無さなど闖入したアカツキには全てペケ。
これは年齢性別に関わらず、と私などは決めつけておりますが。(笑)
まずもって自分を基準に生きてますもんですからその“動きうんぬん”に
限らず、想像の翼を持ち合わせない輩に遭遇したときの失望と怒りは
これ経験した者でなければわからないでございますね~
「th」がやたら混じった言葉をフォンダが羅列する台詞など
何度観ても可笑しい。印象に残る名シーンばかり。
映画化を積極的に働きかけたジェーンの行動力も素晴らしい。
>「人間は・・・」
僕なども確かにくだらん芸能ゴシップを喜んでいる輩を見ると軽蔑したくなりますが、しかし、他人の生活を覗き込む悪趣味には軽蔑されても仕方がないと思われるところもあります。
一方、想像力はある方だと自負していますから、自分の価値観や基準から外れる人も馬鹿にしないようには努めております。昨日の映画評に書いたように、自分の基準で他人を批判している人が、ある点においては他人の基準から外れている可能性もあるわけですから。それが想像力というものだと思います。
そうですね、全く的外れの評価には、最近は怒るより「可哀想に」と思うことのほうが多くなりましたが、「動き云々」の兄ちゃんにはちょっと怒りましてね、思わず文句を言いたくなりましたが、知らない相手に文句を言っても始まらないと思ってやめました。僕も若くて血気が多かった。
>映画化を積極的に働きかけたジェーンの行動力
僕の師匠の(勝手に言っているのですが)双葉さんもこの点について誉めていましたよ。
ジェーンとヘンリーの画面外の話が半分のその記事、TBいたしました。
ふーむ、すっかり忘れておりました^^;
記憶力抜群のvivajijiさんと違って自分のコメントしたこともすぐに忘れてしまう。
年ですかなあ。
劇場でも感激させられましたが、テレビで観ても感激させられる数少ない作品の一つであります。
何回観ても良い。
と言っても4回くらいしか観ていませんが^^;