映画評「その夜の侍」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2012年日本映画 監督・赤堀雅秋
ネタバレあり
時代劇かと思ったが、全く違った。
5年前に妻・酒井真紀を轢き逃げで失った町工場経営者・堺雅人が、出所した犯人・山田孝之をストーカーし「(妻の命日である)8月11日に殺す」と予告の手紙を出し続け、妻の兄・新井浩文の緩衝作戦も甲斐なく、台風の夜に直接退治することになる。
と、ベースになるお話は頗る単純である。堺が妻を失って心神喪失状態のまま5年間を過ごして来たこと、山田は反省もせずに非人道的な行為をし続けている(ように見える)こと、この二点で肉付けして二時間の作品として構成している。
堺は喪失感と犯人への恨みで、山田は彼から付きまとわれることで平凡な日常を失い、意識してかしないでか、平凡な日常を求めている。
平凡な日常を送っているように見える周囲の人間は逆に孤独を抱えている。だから、山田みたいに殺しても飽き足りないような屑に運送会社時代の同僚・綾野剛、正体の解らないおじさん田口トモロヲは殴られても蹴られても離れず、工事現場で警備をしていた女の子・谷村美月は暴行すると解っている相手のいる場所へ向かうだけでなく彼を泊め、「独りじゃないっていいですね」と言う。平凡であっても孤独に生きるのは辛い。或いは孤独すぎる人間も結局平凡でない人生を送っているのかもしれない。
また、平凡でない日常を送っている人は別の孤独に苦しめられているのかもしれない。
そんな悲しみに満ちた人間ばかりを描いた人間喜劇であろう(お解りと思うが、“人間喜劇”は世俗の喜劇を意味しない。人間の悲しい営みも神の目から見たら喜劇であるという意味である)。
平凡な日常を持てれば山田も多少はましな人間になれるかもしれない。自分を殺させて相手を死刑にしようとしていることを告白する堺は、彼とこうして相見(まみ)える。復讐が果たせようと果たせまいと、互いに呪縛を解くためには必要であったのだ。
彼に犯行を起こさせない為に新井は二人の間に入って奔走しようとする。彼が同僚の数学教師・山田キヌヲを紹介するのも再婚して欲しいというより事件阻止の一助であろうし、まして8月11日のデート・セッティングは正にその為の作戦以外の何物でもない。それは彼にとっても平凡な日常の奪回対策であった筈である。
前半山田を見ているだけで不快でたまらなくなって何度かレコーダーを止めようかと思ったが、堺雅人と山田孝之の渾身の演技を見るうちに徐々に狙いが見えてくるような感じを受け、結局最後まで観る羽目になった(笑)。
そして、最後に(恐らく)平凡な日常を取り戻した二人、特に対決後堺がキヌヲ嬢に会って言葉を交わす場面と電話に残された妻の声を消す場面に安堵させられた。生きることはかくも辛い、しかし、それでも人生は続く、ということを認識させられる。「独りでいるのが好き」などと言っている人間は本当の孤独地獄を知らないのだと思う。
自らの脚本を映画化した赤堀雅秋は演劇畑の人らしい。人間の動かし方に舞台臭は殆ど漂わないが、台詞には多分に感じ取れる。特に、山田と遂に対峙した堺がキヌヲ嬢の「他愛ない話がしたい」という発言を繰り返し、繰り返すことでテーマらしきものが浮かび上がって来る辺りは演劇的と言うべし。
終戦後作られた「或る夜の殿様」も明治時代が背景だから所謂“時代劇”ではなかったよね。
2012年日本映画 監督・赤堀雅秋
ネタバレあり
時代劇かと思ったが、全く違った。
5年前に妻・酒井真紀を轢き逃げで失った町工場経営者・堺雅人が、出所した犯人・山田孝之をストーカーし「(妻の命日である)8月11日に殺す」と予告の手紙を出し続け、妻の兄・新井浩文の緩衝作戦も甲斐なく、台風の夜に直接退治することになる。
と、ベースになるお話は頗る単純である。堺が妻を失って心神喪失状態のまま5年間を過ごして来たこと、山田は反省もせずに非人道的な行為をし続けている(ように見える)こと、この二点で肉付けして二時間の作品として構成している。
堺は喪失感と犯人への恨みで、山田は彼から付きまとわれることで平凡な日常を失い、意識してかしないでか、平凡な日常を求めている。
平凡な日常を送っているように見える周囲の人間は逆に孤独を抱えている。だから、山田みたいに殺しても飽き足りないような屑に運送会社時代の同僚・綾野剛、正体の解らないおじさん田口トモロヲは殴られても蹴られても離れず、工事現場で警備をしていた女の子・谷村美月は暴行すると解っている相手のいる場所へ向かうだけでなく彼を泊め、「独りじゃないっていいですね」と言う。平凡であっても孤独に生きるのは辛い。或いは孤独すぎる人間も結局平凡でない人生を送っているのかもしれない。
また、平凡でない日常を送っている人は別の孤独に苦しめられているのかもしれない。
そんな悲しみに満ちた人間ばかりを描いた人間喜劇であろう(お解りと思うが、“人間喜劇”は世俗の喜劇を意味しない。人間の悲しい営みも神の目から見たら喜劇であるという意味である)。
平凡な日常を持てれば山田も多少はましな人間になれるかもしれない。自分を殺させて相手を死刑にしようとしていることを告白する堺は、彼とこうして相見(まみ)える。復讐が果たせようと果たせまいと、互いに呪縛を解くためには必要であったのだ。
彼に犯行を起こさせない為に新井は二人の間に入って奔走しようとする。彼が同僚の数学教師・山田キヌヲを紹介するのも再婚して欲しいというより事件阻止の一助であろうし、まして8月11日のデート・セッティングは正にその為の作戦以外の何物でもない。それは彼にとっても平凡な日常の奪回対策であった筈である。
前半山田を見ているだけで不快でたまらなくなって何度かレコーダーを止めようかと思ったが、堺雅人と山田孝之の渾身の演技を見るうちに徐々に狙いが見えてくるような感じを受け、結局最後まで観る羽目になった(笑)。
そして、最後に(恐らく)平凡な日常を取り戻した二人、特に対決後堺がキヌヲ嬢に会って言葉を交わす場面と電話に残された妻の声を消す場面に安堵させられた。生きることはかくも辛い、しかし、それでも人生は続く、ということを認識させられる。「独りでいるのが好き」などと言っている人間は本当の孤独地獄を知らないのだと思う。
自らの脚本を映画化した赤堀雅秋は演劇畑の人らしい。人間の動かし方に舞台臭は殆ど漂わないが、台詞には多分に感じ取れる。特に、山田と遂に対峙した堺がキヌヲ嬢の「他愛ない話がしたい」という発言を繰り返し、繰り返すことでテーマらしきものが浮かび上がって来る辺りは演劇的と言うべし。
終戦後作られた「或る夜の殿様」も明治時代が背景だから所謂“時代劇”ではなかったよね。
この記事へのコメント
コメント差し上げたいと思いながら
珍しく体調およろしくなく病院へ。
動脈硬化の親分なんだそうです、私の脳血管。
どうも最近、暮らしに力が入りませんでね~
ま、老いていくというのはこんなもんなんでしょう。
本作観た後、かなり興奮して帰った記憶が。
一種、肩透かしにも聞こえるあの雨の夜の台詞・・
あれをいかに受け入れ消化できるかによって
本作の印象、だいぶ変わってくるかと私は思う。
>「ジャッカルの日」
いや、記事の内容から判断してコメント戴けそうな感じでしたので「どうしてか」と思っておりましたよ^^
>動脈硬化
そんな事情がございましたか。
動脈は解りませんが、腕に静脈瘤が出来ているのを見ると老いを感じます。
滅多に使わないとすぐに出て来ないのは当たり前と言われながら、よく知っている単語が出て来ないとがっかりすることが随分多くなりました。
>肩透かしにも聞こえるあの雨の夜の台詞
そう思いますね。
だから、vivajijiさんと対照的にこけた人もいらっしゃるようです。
孤独と平凡な人生との関係をこういう形で見せた(僕の解釈に過ぎませんが)この作品は見応えがありました。山田孝之の演じた人物には不愉快になり続けましたが、それだけで評価してはいけない作品でしょうね。
不快になったまま回復しない可能性もありますし、孤独な人間を見るのも嫌ですし。敢えてご覧になった方が良いとは言えませんね。
でも、後味は案外良いかもしれません。保障は出来ませんけど(笑)