映画評「天国から来たチャンピオン」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1978年アメリカ映画 監督ウォーレン・ビーティ、バック・ヘンリー
ネタバレあり
今年初めに観た相米慎二監督の「東京上空いらっしゃい」(1990年)は恐らく本作の影響下に書かれたにちがいない。この「天国」は「幽霊紐育を歩く」(1941年)のリメイクであり、恐らく同作は何度も映画化されたモルナールの戯曲「リリオム」から一部戴いていると思う。このように映画(に限らず芸術・文化全般)は改変・他と合体することで新しいものとなって再生産されていく。ごく例外的なケースを除けばこうした再生産をパクリなどと騒ぐのは馬鹿げたことである(これが言いたかったのだ・・・笑)。
レギュラーQB(クォーターバック)の座を約束されたばかりのプロ・アメフト選手ウォーレン・ビーティーがその直後に交通事故で死ぬ。厳密には死なないはずだったのだが、天国のお迎え役人バック・ヘンリーの早とちりで死んだことになってしまったのだ。地上の様子を見ると帰るべき肉体は既に灰となっていて(一族はプロテスタントですかな)、一時的に大富豪の体を借りることにする。
彼を何度も殺そうとしている細君ダイアン・キャノンと秘書チャールズ・グロディンは薬殺したはずの大富豪が生き返ったのに驚き、新たな作戦を立てる。一方、彼の指揮するコングロマリット企業の工場建設に文句を言いに来た女性ジュリー・クリスティーに惹かれた大富豪は政策を次々と変更、これに感激したジュリーと親しくなる。
が、細君たちの殺害計画が成功する運命通りに見事に殺され、再び肉体を離れたビーティーの魂はスーパーボウルの最中倒れたQBの肉体に入って大活躍、見事勝利をもぎとる。しかし、その魂は肉体の獲得と共にその選手の魂に置きかえられることになる。
一番映画館で観ていた時代の作品だから勿論映画館で観た。それ以来34年ぶりの鑑賞である。当時ビーティーがすっかり消えた後ジュリーと会った(見かけはビーティーの)QBに彼女が「クォーターバックね」と言う台詞の評判が極めて良かった。グロディンに撃たれて死ぬ事件の前に大富豪が彼女にそう思ってくれと言われたことを踏まえての台詞である。何だか知らないが、当時を思い出しながら観ていたら涙が出てきた。年を取るごとに涙もろくなるのだから困ったものだ(苦笑)。
さて、本作の一番の殊勲と言えば、肉体は変わっているのに見かけは常にビーティーであることである。「そんなこと当り前じゃないか」と言う勿れ。これは、鑑賞者への便宜であると同時に、彼の善良なる魂は金持ちになろうと英雄になろうと常に変わらない、ということを示す表現手段でもあるのだ。これを見過ごして本作や「幽霊」を評価するのはあんこの入っていないアンパンを食べるが如し。
ボクシング選手が主人公だった「幽霊」よりアメフトに代わることで面白さはアップし、若干ではあるが完成度も上がっているように思う。邦題はオリジナルには向いているが、アメフト選手にはどうだろうか。「天国から来たクォーターバック」で如何?(笑)
以上挙げた全ての作品に管楽器が絡んでいるのだ。
1978年アメリカ映画 監督ウォーレン・ビーティ、バック・ヘンリー
ネタバレあり
今年初めに観た相米慎二監督の「東京上空いらっしゃい」(1990年)は恐らく本作の影響下に書かれたにちがいない。この「天国」は「幽霊紐育を歩く」(1941年)のリメイクであり、恐らく同作は何度も映画化されたモルナールの戯曲「リリオム」から一部戴いていると思う。このように映画(に限らず芸術・文化全般)は改変・他と合体することで新しいものとなって再生産されていく。ごく例外的なケースを除けばこうした再生産をパクリなどと騒ぐのは馬鹿げたことである(これが言いたかったのだ・・・笑)。
レギュラーQB(クォーターバック)の座を約束されたばかりのプロ・アメフト選手ウォーレン・ビーティーがその直後に交通事故で死ぬ。厳密には死なないはずだったのだが、天国のお迎え役人バック・ヘンリーの早とちりで死んだことになってしまったのだ。地上の様子を見ると帰るべき肉体は既に灰となっていて(一族はプロテスタントですかな)、一時的に大富豪の体を借りることにする。
彼を何度も殺そうとしている細君ダイアン・キャノンと秘書チャールズ・グロディンは薬殺したはずの大富豪が生き返ったのに驚き、新たな作戦を立てる。一方、彼の指揮するコングロマリット企業の工場建設に文句を言いに来た女性ジュリー・クリスティーに惹かれた大富豪は政策を次々と変更、これに感激したジュリーと親しくなる。
が、細君たちの殺害計画が成功する運命通りに見事に殺され、再び肉体を離れたビーティーの魂はスーパーボウルの最中倒れたQBの肉体に入って大活躍、見事勝利をもぎとる。しかし、その魂は肉体の獲得と共にその選手の魂に置きかえられることになる。
一番映画館で観ていた時代の作品だから勿論映画館で観た。それ以来34年ぶりの鑑賞である。当時ビーティーがすっかり消えた後ジュリーと会った(見かけはビーティーの)QBに彼女が「クォーターバックね」と言う台詞の評判が極めて良かった。グロディンに撃たれて死ぬ事件の前に大富豪が彼女にそう思ってくれと言われたことを踏まえての台詞である。何だか知らないが、当時を思い出しながら観ていたら涙が出てきた。年を取るごとに涙もろくなるのだから困ったものだ(苦笑)。
さて、本作の一番の殊勲と言えば、肉体は変わっているのに見かけは常にビーティーであることである。「そんなこと当り前じゃないか」と言う勿れ。これは、鑑賞者への便宜であると同時に、彼の善良なる魂は金持ちになろうと英雄になろうと常に変わらない、ということを示す表現手段でもあるのだ。これを見過ごして本作や「幽霊」を評価するのはあんこの入っていないアンパンを食べるが如し。
ボクシング選手が主人公だった「幽霊」よりアメフトに代わることで面白さはアップし、若干ではあるが完成度も上がっているように思う。邦題はオリジナルには向いているが、アメフト選手にはどうだろうか。「天国から来たクォーターバック」で如何?(笑)
以上挙げた全ての作品に管楽器が絡んでいるのだ。
この記事へのコメント
当時の日本の一般客に配慮してチャンピオンにしたのでしょうか。
でも、私、タイトルのチャンピオンから、ボクサーかプロレスラーを連想してしまいました。
クォーターバックはカタカナ読みでも覚えやすいので、題に入れて、この映画をヒットさせてクォーターバックって何か日本人に覚えてもらう、というのもあってよかったかもしれないですね。
ぼちぼちTV中継とかやっていましたが、まだ馴染みではなかったでしょうね。
オリジナルがボクシングだったとは言え、意識したとは思えません。
今でこそ団体もチャンピオンという扱いを受ける時代になりましたけど、あの当時団体にチャンピオンという形容は日本ではしなかったですよね。
>クォーターバックって何か
賛成ですね。少なくともチャンピオンよりはふさわしい(笑)
これとか、「レッズ」で、ウォーレン・ビーティって優秀だなぁと思ったもんです。
>本作の一番の殊勲と言えば、肉体は変わっているのに見かけは常にビーティーであることである。
同じことを書いてますな。やはりベテランは観る所が似てる。
「レッズ」も映画館で観ていて、映画作家として野心を持っていたのでしょうね。
才能もありそうですし。
残念ながら、レッドフォードやイーストウッドのように次々と作るという環境には至らなかったようですが。
>観る所
これを当たり前と思ってはつまらないですよね。
今回WOWOWで初めて見た若い人もいるでしょうが、どう感じたでしょうかねえ。
来年もよろしくお願いします。
それでは、よいお年を!
でもアメリカンフットボールはアメリカのスポーツですから、ほとんどわからないでしょうね。
日本ではやってますが・・・ルールがわからない人が多いでしょうね。
この映画よりずっと前ですが、僕が家庭教師をした中学生はアメリカのAFLのチームを全部知っていました。ヘルメットを見てチーム名を全て当てたのに感心しました。周囲が野球ファンばかりで珍しいなあと思いました。
掛け算もできない劣等生でしたが。
当時僕も深夜放映された中継を見ていてルールはある程度解っていましたが、完全には解っていなかったですね。でも、観客動員を考えて「チャンピオン」にしたのでしょうが、内容には今でも合っていないと思います^^