映画評「サイド・バイ・サイド フィルムからデジタル・シネマへ」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2012年アメリカ映画 監督クリストファー・ケネリー
ネタバレあり

CGと実写の問題と関連がある一方で、その問題ほど映画ファンには深刻ではないと思われるフィルム撮影・映写とデジタル撮影・映写についてデジタルの沿革を辿りつつ、ジョージ・ルーカス、マーティン・スコセッシ、デーヴィッド・リンチ、アンディ・ウォシャウスキーといった大物監督や、ヴィルモス・ジグモンド、ヴィットリオ・スタラーロといった撮影監督、その他の映像関係者が思うところを語る。

この作品でも語られるドグマ95の初期デジタル撮影映画には尾を引くような映像レベルの低いものがあってうんざりさせられたものだが、最近のデジタル撮影の映画には勿論そんなことはない。多分にフィルムに変換して上映していることが功を奏している部分もあると思う。しかし、撮影から上映まで全てデジタル機器だけでの画面がどんなものか数年映画館から離れている僕には想像しにくい。TVプロジェクターの画面は見たことがあるが、それとも違う筈である。

デジタル撮影の現状の問題点は明暗のダイナミック・レンジがフィルムより狭いということらしい。これもまたそのうちフィルムのレベルに達する可能性がある。

一部の監督は断然フィルム派であり、そこには審美眼の問題が絡んでいるように思う。コストが安くて機動力のあるデジタル機材が映像作品を作れる可能性を広げたのは確かであるが、デーヴィッド・リンチなどは(自らはデジタル撮影しているが)「いくら製作数が増えても良い作品は増えない」とズバリと言ってのけている。
 フィルム派のある監督(誰か失念)は最近の若者には審美眼を育む時間がないと言っている。僕も基本的に同意見で、フィルム時代に育った我々より若い一般レベルの映画ファンの審美眼は劣ると思わざるを得ない。

そんなことはないと言うなら、現在二十歳の映画ファン100人に「戦艦ポチョムキン」を見せてその結論を聞いてみたら良いと思う。僕の甥など「何だ、白黒じゃない!」と言って終わりだ。

「キネマ旬報」の公開映画リストを見ると、20年前のリストより数十パーセント多い数の作品が載っている。数だけがやたらに増えている。昔ならシネフィルは監督で選ぶことができたが、今は新人監督ばかりだからそれをやっていると殆ど見る作品がなくなってしまう。配収は、特に日本映画では問題にするに値しない。こういう状態では仕方なくベスト10といった結果に頼らざるを得なくなる。つまり、映画ファンにとって数だけ増えるデジタル映画化は有難迷惑に近いものがあるのである。

コスト、機動力、その他の利便性を言うが、映画に限らず芸術における創造性・想像力を養うにはある程度の不便・制約が必要なのはほぼ間違いない。日本のポルノ映画監督出身者に優秀な人が多いのは、日本ではずばりそのものを撮れなかったから色々と見せ方に工夫する必要があったからだと思っている。CGが万能と浮かれるより、作り手の創造性、観客の想像力減退を嘆いた方が映画にとってはきっと良いことだろう。

ダイナミック・レンジはオーディオ専門用語かと思っていやした。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2013年12月06日 00:48
映画に限らず、視野が狭くなったというか、創造性の欠如みたいなものが増えた気がしますね。
ストーカーというのが増えたのもそのあたりに起因するのかもしれません。
スリットから覗いているような連中が増えた気がしますね。
2013年12月06日 20:40
邦画は、お蔵入りになっているものも多いようですね。
自分が映画ファンになった頃はもう映画界は斜陽もいいところだったのですが、まだ名画座や田舎の二本立て三本立ての映画館があり、観る側がゆとりがあった(うっかり変なのを観ても、そういう体験をおもしろがったり)と思い出します。そして、映画自体にも今よりゆとりがありましたね。
オカピー
2013年12月06日 22:28
ねこのひげさん、こんにちは。

便利すぎるとそういうことが起きるんですねえ。
物に依存するうちに、人に対する思いやりがなくなったり、ストーカー、モンスター・ペアレンツのような人種が生まれてくる。
昔犯罪者は多かったですが、今が犯罪者未満の犯罪者が圧倒的に多い気がします。
オカピー
2013年12月06日 22:34
nesskoさん、こんにちは。

子供の頃群馬ではロードショーであっても二本立ては当たり前でした(つまりロードショーもどき)でしたね。
尤も邦画は60年代の途中までは大作以外はほぼ二本立てだったようですが。

昔は、成人映画と一般映画しかなかったから、「カンタベリー物語」も「アマゾネス」も麻薬や殺人が大量に出てきても小学生が見られましたよね。
その頃は差別用語の自主規制なんてもなかったです。一見進歩しているように思えますが、僕が退行だと思っています。仰るように人間に余裕がないんですね。縛らないと簡単に暴走してしまう。

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