映画評「必死剣 鳥刺し」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2010年日本映画 監督・平山秀幸
重要なネタバレあり
藤沢周平の小説を原作とする時代劇は多少の優劣の差があるとは言え、いずれも時代劇らしい出来栄えになっていて鑑賞後の満足度が高い。若者向け時代劇とはその辺りが違う。
例によって海坂藩、藩主・村上淳が側室・関めぐみの言う通りに政治を行っている為財政が逼迫する。そんな折、物頭・豊川悦司が愛妻・戸田菜穂の死をはかなんで切腹・斬首を命じられるのを覚悟して側室を刺殺する。ところが、豈図らんや、非常に軽微な一年間の蟄居を命じられるだけに済み、さらに出世までする。中老・岸部一徳が彼の能力を買っていたからである。
しかるに、この“買っていた”には別の意図があり、邪魔者である別家家臣・吉川晃司が主君を殺めに訪れた時に備え、彼を殺した豊川をも狼藉者として処分する所存であったことが最後にミステリーのように判明する。
必死剣鳥刺し自体が実はミステリー的要素である。あるブログで「必死剣鳥刺しがどういう殺法なのかよく解らない」という疑問が呈されていた。その解答は中老の最期にある。映画を観れば解るように、必死剣とは剣術そのものより、本当の死に際に死に体になる技術を指しているのである。生涯に最大一度しか使えない技ということになる。設定的に少々苦しい部分があるにはあるのだが。
妻の姪・池脇千鶴に再婚を勧めていた主人公が彼女と肉体的に結ばれる辺りの心情に些かの解りにくさはあるものの、妻亡き後長く同居して相親しむ関係から判断してその言動に大きな矛盾はないだろうと思う。暗殺者から主君を守る職務につくという死に場所を得たことで、彼が姪の思いを知ることと相まって、短い生への希求に目覚めたと解釈できないこともない。
百姓から見れば正義の味方度では優る吉川と闘う主人公にはジレンマがあったと推察される。側室を殺した理由が純粋に百姓の為だったわけではないにしろ、でくの坊の主君を亡き者にしたい気持ちがなかったとは言い切れず、国(藩)を構成する臣民という意味では、百姓も侍にも差がないはずだからである。主人公に切りかかる侍たちにしても同じである。
つまり主題は封建時代の不条理だが、それ自体は今生きる我々には意味のないことなので、映画作家たちの狙いは藤沢時代劇を通して我々が生きる民主主義(と言われる)社会にまだ蔓延っている世の矛盾を照らし出すことにあるにちがいない。
ご贔屓・平山秀幸監督の展開ぶりもしっかりしていて、一種のミステリー趣向もまじえて面白く見せてくれた。
ここ20年くらい僕は今の日本に、大昔からやっているベテラン俳優を別にすると時代劇にふさわしい俳優はいなくなったと言ってきた。しかし、本作の豊川悦司はなかなかの好演で、この3年ほど前に出た「椿三十郎」から格段の進歩がある。これの示唆するところは、平山監督と森田芳光監督との(特に時代劇における)演技指導法に差があるということではないかと思う。
独りでいるのもつまらないが、人と交わるのも結構面倒くさい。これが人間における最大の矛盾じゃろう。
2010年日本映画 監督・平山秀幸
重要なネタバレあり
藤沢周平の小説を原作とする時代劇は多少の優劣の差があるとは言え、いずれも時代劇らしい出来栄えになっていて鑑賞後の満足度が高い。若者向け時代劇とはその辺りが違う。
例によって海坂藩、藩主・村上淳が側室・関めぐみの言う通りに政治を行っている為財政が逼迫する。そんな折、物頭・豊川悦司が愛妻・戸田菜穂の死をはかなんで切腹・斬首を命じられるのを覚悟して側室を刺殺する。ところが、豈図らんや、非常に軽微な一年間の蟄居を命じられるだけに済み、さらに出世までする。中老・岸部一徳が彼の能力を買っていたからである。
しかるに、この“買っていた”には別の意図があり、邪魔者である別家家臣・吉川晃司が主君を殺めに訪れた時に備え、彼を殺した豊川をも狼藉者として処分する所存であったことが最後にミステリーのように判明する。
必死剣鳥刺し自体が実はミステリー的要素である。あるブログで「必死剣鳥刺しがどういう殺法なのかよく解らない」という疑問が呈されていた。その解答は中老の最期にある。映画を観れば解るように、必死剣とは剣術そのものより、本当の死に際に死に体になる技術を指しているのである。生涯に最大一度しか使えない技ということになる。設定的に少々苦しい部分があるにはあるのだが。
妻の姪・池脇千鶴に再婚を勧めていた主人公が彼女と肉体的に結ばれる辺りの心情に些かの解りにくさはあるものの、妻亡き後長く同居して相親しむ関係から判断してその言動に大きな矛盾はないだろうと思う。暗殺者から主君を守る職務につくという死に場所を得たことで、彼が姪の思いを知ることと相まって、短い生への希求に目覚めたと解釈できないこともない。
百姓から見れば正義の味方度では優る吉川と闘う主人公にはジレンマがあったと推察される。側室を殺した理由が純粋に百姓の為だったわけではないにしろ、でくの坊の主君を亡き者にしたい気持ちがなかったとは言い切れず、国(藩)を構成する臣民という意味では、百姓も侍にも差がないはずだからである。主人公に切りかかる侍たちにしても同じである。
つまり主題は封建時代の不条理だが、それ自体は今生きる我々には意味のないことなので、映画作家たちの狙いは藤沢時代劇を通して我々が生きる民主主義(と言われる)社会にまだ蔓延っている世の矛盾を照らし出すことにあるにちがいない。
ご贔屓・平山秀幸監督の展開ぶりもしっかりしていて、一種のミステリー趣向もまじえて面白く見せてくれた。
ここ20年くらい僕は今の日本に、大昔からやっているベテラン俳優を別にすると時代劇にふさわしい俳優はいなくなったと言ってきた。しかし、本作の豊川悦司はなかなかの好演で、この3年ほど前に出た「椿三十郎」から格段の進歩がある。これの示唆するところは、平山監督と森田芳光監督との(特に時代劇における)演技指導法に差があるということではないかと思う。
独りでいるのもつまらないが、人と交わるのも結構面倒くさい。これが人間における最大の矛盾じゃろう。
この記事へのコメント
「たそがれ清兵衛」ははっきりとサラリーマンとの相似を打ち出していましたよね。監督が山田洋次ですから、むべなるかな、なのですが。
原作も読もうかな。
三が日に、靖国神社ならぬ伊香保温泉のとば口にある水沢観音に参拝してきました。
境内に続く参道に、甘酒屋や土産物店のみならず、カフェーの移動車までシンシュツしていたのには閉口しましたが、それでも、日本人らしさを思い出させてくれる荘厳さは十分に感じ取れました。
この作品でのトヨエツは、年寄りっ子で幼少時からテレビの邦画劇場等で昭和30年代のチャンバラ映画を見てきたぼくにも、最後の立ち回りも含めて十分及第点でした。
死を前提とした隠し剣も、忍者が、自らの寿命と引換えに最後に出せる大技を彷彿とさせるようで凄みがありました。
女優陣の池脇千鶴も戸田菜穂も、ヅラもよく似合い、時代劇に向いていると思われましたが、ロマンスシーンの白眉である風呂場で背中を流す場面で、ただ手ぬぐいを上から撫で下ろしていただけに見えたのは、あんまり気持ちよくないだろうな(笑)と・・。
昔の時代劇では、湯屋のシーンで三助(よく堺駿二が演じてた)が、背中の産毛の生えてる逆方向に、下から力を込めて擦り上げていて気持ちよさそうでしたっけ・・。
武田家重臣の末裔である,甘利経済再生相が、都知事選に立候補して原発廃止を唱える細川護煕に対して「殿、ご乱心!」と諫言?しているのがちょっと笑えます。
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
>水沢観音
最近行っとらんです。
散々な年末年始につき、今年は(今年も?)少林山に参る気にもなれませんでしたし。
2011年と2013年、恐らくこのどちらかが生涯最悪の年になるのかな。
>トヨエツ
「椿三十郎」では甚だ物足りなかったのでありますが、今回は良かった。
僕などより演技に対しては一家言あるvivajiji姐さんも好印象だったようですね。
>池脇千鶴も戸田菜穂
時代劇に合うと思いました。一部のTV時代劇と違って映画では女優の場合自分の髪の一部を使うため不自然でないケースが多いですね。
千鶴ちゃんが子供を抱いてトヨエツを待つ幕切れは昔の時代劇を見ているようで、好きでした・・・
>風呂場
あのシーン自体は良かったですが、何だかこすり方に批判のある方が多いみたい。
>都知事選
皆、良い血筋なんだ(笑)
我が家は田舎侍の血を引いているらしいけど、詳細は解りません。
小泉元首相が出れば間違いなく勝てますよね。
その場合、原発推進派の自民党は押しようにも押せなくて面白そうです。
原発は経済的にはもう内向きに発想だから、本当は別のエネルギーに力を注いだ方が10年後、20年後の日本経済の為にはなるのですがねえ。この点に関しては小泉氏に賛成。