映画評「セデック・バレ 第一部:太陽旗&第二部:虹の橋」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2011年台湾映画 監督ウェイ・ダーション
ネタバレあり
1930年日本統治下の台湾で勃発した原住民セデック族の抗日暴動“霧社事件”の前後をアクション中心に描いた力作である。監督は「海角七号/君想う、国境の南」のウェイ・ダーションで、あの作品でも統治下の台湾で過ごした日本人と現地人との交流が絡んでいたが、内容が内容だけにソフト・ムードの前述作とは極めて対照的。
まず首狩り族として知られるセデック族には幾つかの集落がある。それを「・・・社」と言っているらしい。
台湾が清国から日本に割譲されて35年後、日本の同化政策が大分深まった頃、山林を主な住居としていたセデックの頭目とみなされるモーナ・ルダオ(リン・チンタイ)が、運動会で反旗を翻そうという若者たちの要請を受けて作戦を指揮、運動会に参加していた日本人を男女年齢職業を問わず殺していく。
ここまでが日本では二部に分かれた第一部「太陽旗」のお話で、第二部の「虹の橋」では日本軍が事件収束を図る為に日本人はもとより、日本側のセデック要員も駆使して反抗派を追いつめていく。ある集落では細君たちが全員縊死したり、男性側も投降を選ばずに死んでいく。
ウェイ・ダーションは日本人=悪という単純な図式で描こうとはしていない。確かにここに出て来る日本男性陣は殆ど原住民を愚弄し、日本人の優越性を誇る憐れな人々ばかりで、日本人の僕が観ても憎らしいほどだが、それも歴史のダイナミズムの中に扱おうとする態度が垣間見え好感が持てる。日本に限らず、どの国も支配した国、地域の文化を自らの文化に同化させようしていたし、中国は今でもチベット、ウイグル、内モンゴルなどでそれを行っている。
人類の未来を考えた時どちらの文化が進んでいるかいないかなどといったことはどうでも良いことで、人間を観察する上でも独自の文化を大事にしなければならない。大体どの人間もどの民族も同じになって何が面白い? この映画で最初セデック人を“野蛮人”と馬鹿にしきっていた司令官(川原さぶ)に戦闘を終えて彼らの精神性を知った時に「日本人が百年前に失った武士道を彼らは持っているのだろうか」と言わせている。
アクション中心と言っても、所謂アクション映画のような撮り方はしていない。これぞドキュメンタリーではないかという誇張のない描写に終始、首狩り族故に首を斬る箇所も多いが、即実的に処理しているので残虐性の代わりに迫真性を感じる。相当評価して良いと思う。
少々残念なのは、HD撮影⇒フィルム変換の影響だろうか、アクション場面でコマ落しのような動きが目立つ。この作品に限らず、韓国や日本の戦争映画でもこうした傾向がある。映画館に暫く行っていないので、僕には何とも言えないのでござる。
数年音信不通なのだが、僕の年上の知人に「環太平洋文化圏なるものがある」と主張する御仁がいらした。本作に登場する台湾の原住民と、アイヌ、琉球人、西部アメリカ・インディアン、インディオなどを比べると少なからず共通点があるように思う。
いやあ、人間って、本当にバカですね。
2011年台湾映画 監督ウェイ・ダーション
ネタバレあり
1930年日本統治下の台湾で勃発した原住民セデック族の抗日暴動“霧社事件”の前後をアクション中心に描いた力作である。監督は「海角七号/君想う、国境の南」のウェイ・ダーションで、あの作品でも統治下の台湾で過ごした日本人と現地人との交流が絡んでいたが、内容が内容だけにソフト・ムードの前述作とは極めて対照的。
まず首狩り族として知られるセデック族には幾つかの集落がある。それを「・・・社」と言っているらしい。
台湾が清国から日本に割譲されて35年後、日本の同化政策が大分深まった頃、山林を主な住居としていたセデックの頭目とみなされるモーナ・ルダオ(リン・チンタイ)が、運動会で反旗を翻そうという若者たちの要請を受けて作戦を指揮、運動会に参加していた日本人を男女年齢職業を問わず殺していく。
ここまでが日本では二部に分かれた第一部「太陽旗」のお話で、第二部の「虹の橋」では日本軍が事件収束を図る為に日本人はもとより、日本側のセデック要員も駆使して反抗派を追いつめていく。ある集落では細君たちが全員縊死したり、男性側も投降を選ばずに死んでいく。
ウェイ・ダーションは日本人=悪という単純な図式で描こうとはしていない。確かにここに出て来る日本男性陣は殆ど原住民を愚弄し、日本人の優越性を誇る憐れな人々ばかりで、日本人の僕が観ても憎らしいほどだが、それも歴史のダイナミズムの中に扱おうとする態度が垣間見え好感が持てる。日本に限らず、どの国も支配した国、地域の文化を自らの文化に同化させようしていたし、中国は今でもチベット、ウイグル、内モンゴルなどでそれを行っている。
人類の未来を考えた時どちらの文化が進んでいるかいないかなどといったことはどうでも良いことで、人間を観察する上でも独自の文化を大事にしなければならない。大体どの人間もどの民族も同じになって何が面白い? この映画で最初セデック人を“野蛮人”と馬鹿にしきっていた司令官(川原さぶ)に戦闘を終えて彼らの精神性を知った時に「日本人が百年前に失った武士道を彼らは持っているのだろうか」と言わせている。
アクション中心と言っても、所謂アクション映画のような撮り方はしていない。これぞドキュメンタリーではないかという誇張のない描写に終始、首狩り族故に首を斬る箇所も多いが、即実的に処理しているので残虐性の代わりに迫真性を感じる。相当評価して良いと思う。
少々残念なのは、HD撮影⇒フィルム変換の影響だろうか、アクション場面でコマ落しのような動きが目立つ。この作品に限らず、韓国や日本の戦争映画でもこうした傾向がある。映画館に暫く行っていないので、僕には何とも言えないのでござる。
数年音信不通なのだが、僕の年上の知人に「環太平洋文化圏なるものがある」と主張する御仁がいらした。本作に登場する台湾の原住民と、アイヌ、琉球人、西部アメリカ・インディアン、インディオなどを比べると少なからず共通点があるように思う。
いやあ、人間って、本当にバカですね。
この記事へのコメント
同じことの繰り返しで・・・
またぞろきな臭い臭いがしてきましたね~
「はだしのゲン」を巡る変な動きこそ、安倍さんの狙い通りなんでしょうねえ。
このまま行けば、僕らが生きている間にも大戦争はなくても小戦争はあるかもですね。少なくとも戦場に死ぬことはないと思います。
偶然にも「きけわだつみのこえ」を借りてきましたよ。あんな優秀な若者たちが、バカな政治家たちの代わりに死んでいったのだと思うと・・・