映画評「舟を編む」(地上波放映版)
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2013年日本映画 監督・石井裕也
ネタバレあり
放送枠138分とは言え、上映時間133分の長い(今では日本のメジャー映画ではほぼ平均値)映画なので、多少躊躇したものの、今月のわが衛星映画鑑賞スケジュールが非常に寂しい状態なので観ることにした。
録画してCMをカットしてみると正味117分。16分のカットだから、内容理解には差し支えなさそう。勿論きちんとした評価は致しかねるし、採点は暫定とするが、こういうタイプの映画ではこのくらいのカットなら大勢に影響はない感じがあるので、恐らく完全版でも星の数は変わらないだろう。勿論、地上波不完全版を観て「舟を編む」を観たと堂々とは言えないのであるが。
1995年、玄武書房の辞書編集部が24万語を載せる中型辞典「大渡海」の発刊に向けて漕ぎ出す。辞書編集部トップ(厳密には国語学者で「大渡海」の監修者らしい)加藤剛はベテラン小林薫が定年で辞めるので大弱り。お調子者のオダギリジョーでは心許ないので、小林は営業から言語学を専攻していたというコミュニケーション能力なしの松田龍平を引き抜いて来る。これが辞書編集には良い結果をもたらす。やがて上層部が「大渡海」発行を止めようとしているのを知った辞書編集部は既成事実を作ってしまうという対策を取る。こういう時にはオダギリ君が役に立つ。
松田君は同じ屋根の下に暮らすことになった大家・渡辺美佐子の孫娘・宮崎あおいに惚れ込む。彼のような人間には時に周囲は温かく、先輩たちのアドバイスは一応吉と出る。
15年後、彼女と結婚し、今では主任となっている松田君は人並みのコミュニケーションが取れる人間になっているが、抜けた単語が発見されたことから総出で連日徹夜する羽目になる。結局完成前に加藤に死なれてしまい、忸怩たる思いを抱くも、15年かけた作業が実を結んだことに満足を覚える。
大体主人公のような人物が辞書編集部にいず、営業をやっていること自体がひどい配置ミスだが、最初から彼が辞書編集部にいたら面白いお話にならないので致し方ないのだろう。
以前、「広辞苑」の語彙採集について紹介するTV番組を見たことがある。用例採集と言い、本作でもたっぷり紹介されてなかなか興味深い。
しかし、本作はテーマを伊丹十三的なそうしたアプローチへの興味に留めず、会話にしろ読み書きにしろ、コミュニーケーションという言葉の本質的な存在意義に関する様々なエピソードを交えることで、主人公の変化、有体に言えば主人公の成長を巧みに描き出して後味の良い作品に仕上げられている。
「川の底からこんにちは」や「ハラがコレなんで」ではくどさから辟易寸前のところまで追い込まれた癖の強い石井裕也監督としては、原作もの(三浦しをんの同名小説が原作)ということがあってか自らの個性をほぼ封印、ぐっと万人向けのバランスの取れたヒューマン・ドラマに作り上げた。その結果が日本アカデミー賞主要部門受賞であり、ゴールデンタイムでのご登場という次第。このままメジャー系の監督となっていくのだろうか?
石井監督は、くどさが苦手である一方、対比・対照を効果的に使う部分は気に入っている。原作ものの本作でも色々な対照が出て来て、ドラマを盛り立てる。一々列挙するまでもあるまい。
この主人公が羨ましい。かく言う僕も主にメーカーの海外マーケティング担当で、一日中英文を読み、書いているという感じの日常であったが、海外からもお客はしばしばやって来る。嫌いな接待もしなければならない。その対応のまずさから上司から怒られっぱなしだった。反面、入社一年目に任された分厚い契約書の翻訳は好きだった。パソコンは勿論ちゃんとしたワープロもまだなかったので、手書きの為ひどく時間がかかった。パソコンがあればコピペで何分の一かの時間でできたであろうに。だから、主人公のように辞書に専念できる生活は羨ましい。15年かかろうが、彼や僕のような性格の人間にはコツコツとした仕事は大して苦労を感じないものである。しかも当方より遥かにひどいコミュニケーション能力なのに案外簡単に意中の人を射止めてしまう。益々羨ましい。
♪あ~あ~果てしない(と歌っても今の若い人には解らないでしょうなあ)
2013年日本映画 監督・石井裕也
ネタバレあり
放送枠138分とは言え、上映時間133分の長い(今では日本のメジャー映画ではほぼ平均値)映画なので、多少躊躇したものの、今月のわが衛星映画鑑賞スケジュールが非常に寂しい状態なので観ることにした。
録画してCMをカットしてみると正味117分。16分のカットだから、内容理解には差し支えなさそう。勿論きちんとした評価は致しかねるし、採点は暫定とするが、こういうタイプの映画ではこのくらいのカットなら大勢に影響はない感じがあるので、恐らく完全版でも星の数は変わらないだろう。勿論、地上波不完全版を観て「舟を編む」を観たと堂々とは言えないのであるが。
1995年、玄武書房の辞書編集部が24万語を載せる中型辞典「大渡海」の発刊に向けて漕ぎ出す。辞書編集部トップ(厳密には国語学者で「大渡海」の監修者らしい)加藤剛はベテラン小林薫が定年で辞めるので大弱り。お調子者のオダギリジョーでは心許ないので、小林は営業から言語学を専攻していたというコミュニケーション能力なしの松田龍平を引き抜いて来る。これが辞書編集には良い結果をもたらす。やがて上層部が「大渡海」発行を止めようとしているのを知った辞書編集部は既成事実を作ってしまうという対策を取る。こういう時にはオダギリ君が役に立つ。
松田君は同じ屋根の下に暮らすことになった大家・渡辺美佐子の孫娘・宮崎あおいに惚れ込む。彼のような人間には時に周囲は温かく、先輩たちのアドバイスは一応吉と出る。
15年後、彼女と結婚し、今では主任となっている松田君は人並みのコミュニケーションが取れる人間になっているが、抜けた単語が発見されたことから総出で連日徹夜する羽目になる。結局完成前に加藤に死なれてしまい、忸怩たる思いを抱くも、15年かけた作業が実を結んだことに満足を覚える。
大体主人公のような人物が辞書編集部にいず、営業をやっていること自体がひどい配置ミスだが、最初から彼が辞書編集部にいたら面白いお話にならないので致し方ないのだろう。
以前、「広辞苑」の語彙採集について紹介するTV番組を見たことがある。用例採集と言い、本作でもたっぷり紹介されてなかなか興味深い。
しかし、本作はテーマを伊丹十三的なそうしたアプローチへの興味に留めず、会話にしろ読み書きにしろ、コミュニーケーションという言葉の本質的な存在意義に関する様々なエピソードを交えることで、主人公の変化、有体に言えば主人公の成長を巧みに描き出して後味の良い作品に仕上げられている。
「川の底からこんにちは」や「ハラがコレなんで」ではくどさから辟易寸前のところまで追い込まれた癖の強い石井裕也監督としては、原作もの(三浦しをんの同名小説が原作)ということがあってか自らの個性をほぼ封印、ぐっと万人向けのバランスの取れたヒューマン・ドラマに作り上げた。その結果が日本アカデミー賞主要部門受賞であり、ゴールデンタイムでのご登場という次第。このままメジャー系の監督となっていくのだろうか?
石井監督は、くどさが苦手である一方、対比・対照を効果的に使う部分は気に入っている。原作ものの本作でも色々な対照が出て来て、ドラマを盛り立てる。一々列挙するまでもあるまい。
この主人公が羨ましい。かく言う僕も主にメーカーの海外マーケティング担当で、一日中英文を読み、書いているという感じの日常であったが、海外からもお客はしばしばやって来る。嫌いな接待もしなければならない。その対応のまずさから上司から怒られっぱなしだった。反面、入社一年目に任された分厚い契約書の翻訳は好きだった。パソコンは勿論ちゃんとしたワープロもまだなかったので、手書きの為ひどく時間がかかった。パソコンがあればコピペで何分の一かの時間でできたであろうに。だから、主人公のように辞書に専念できる生活は羨ましい。15年かかろうが、彼や僕のような性格の人間にはコツコツとした仕事は大して苦労を感じないものである。しかも当方より遥かにひどいコミュニケーション能力なのに案外簡単に意中の人を射止めてしまう。益々羨ましい。
♪あ~あ~果てしない(と歌っても今の若い人には解らないでしょうなあ)
この記事へのコメント
周りは変人扱いをしておりましたが、なにごとも適材適所というものがあるもので、とやかくはいえませんです。
しかし、若手俳優の顔ぶれがいつも一緒のような・・・・
見たことのない俳優の顔も見てみたいですな~
この作品、まだ観ていないのですよねぇ。
原作共々、周りに勧められているのですが。
最後の一文、クリスタルキングのあれですかね笑
>国会図書館
僕も一応考えたこともありました(笑)。
当方、自ら認める変人ですし(笑)
>若手俳優の顔ぶれ
特に宮崎あおいは変人の細君になる役が増えてきて「またか」という感あり。
非常にバランスが取れ、見やすい作品と思います。
物凄い傑作かと言われれば、少し疑問を呈したくなるのですが、光学の為に観ておいて損はないでしょう^^
>クリスタルキング
ご名答。
いや、お若いのによくご存知で(感心)。
何と言っても「大渡海」ですからね^^