映画評「恋におちたシェイクスピア」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1998年アメリカ映画 監督ジョン・マッデン
ネタバレあり
2年くらい前にブログ・フレンドの十瑠さんがブログ「テアトル十瑠」の記事で、映画サイトか何かが【過大評価されているアカデミー作品賞受賞作】に挙げた一本として本作に言及していた。僕は1990年代に作られたアメリカ映画の中で最も面白く出来た映画と思っているので、その選者たちのセンスを疑うとともにアカデミー作品賞が最高権威であるかのように思っている節があることにも釈然としないものを覚えた。
唯一確かなのは、極端に文学的なものでない恋愛映画は、インテリ層や映画マニアからミーハーと思われ、低く扱われがちということである。
エリザベス一世時代(16世紀~17世紀)の演劇では、日本の歌舞伎等とほぼ同じ理由で女優がいなかった。全て男性がこなしたが、若い女性役は少年が演じることが多かったのである程度は見られたかもしれない。これが本作の重要なポイントである。
名声を得つつあったシェイクスピア(ジョセフ・ファインズ)に憧れ役者になりたいと思っている資産家の娘ヴァイオラ(グウィネス・パルトロー)が男装して演技をしているところを彼に気に入られる。一方、その事実を知らないシェイクスピアは貴族と強制的に結婚させられる運命のヴァイオラを女性として愛し、やがて二人は結ばれる。この二人の秘めたる恋を取り入れて完成していくのがかの「ロミオとジュリエット」という次第。
シェイクスピアに少々詳しい方ならヴァイオラと男装という組合せから「十二夜」をも連想するはずで、実際、幕切れでは彼が実体験から「十二夜」を書いたように扱われている。当時の演劇界をある程度知っていることも本作を最高に楽しむ要素で、「フォースタス博士」で有名な劇作家クリストファー・マーローが殺される事件もストーリーに大きく絡んで実に面白い。
勿論、恋愛映画としてもうまく出来ていて、特に終盤ヴァイオラが突発的に起用される「ロミオとジュリエット」の舞台の中で実と思わせて虚である(同時にそれは実でもある)ことを明かす演出は大いに感心させられる。従って、当時の演劇事情やシェイクスピアに詳しくなくてもかなり楽しめる。ただ、知っていればその数倍の面白味が感じられるはずである。
こういう作品を作品賞に選んだアカデミー会員は案外洒落っ気があったと思い、僕はその選択を支持したい。本作が50年後に残る作品かどうかは知らないが、「ローマの休日」は60年後の今でも見られている。本作がそうなったとして何の不思議もない。
「もうひとりのシェイクスピア」も面白かった。二本併せて観るとなおよろし。
1998年アメリカ映画 監督ジョン・マッデン
ネタバレあり
2年くらい前にブログ・フレンドの十瑠さんがブログ「テアトル十瑠」の記事で、映画サイトか何かが【過大評価されているアカデミー作品賞受賞作】に挙げた一本として本作に言及していた。僕は1990年代に作られたアメリカ映画の中で最も面白く出来た映画と思っているので、その選者たちのセンスを疑うとともにアカデミー作品賞が最高権威であるかのように思っている節があることにも釈然としないものを覚えた。
唯一確かなのは、極端に文学的なものでない恋愛映画は、インテリ層や映画マニアからミーハーと思われ、低く扱われがちということである。
エリザベス一世時代(16世紀~17世紀)の演劇では、日本の歌舞伎等とほぼ同じ理由で女優がいなかった。全て男性がこなしたが、若い女性役は少年が演じることが多かったのである程度は見られたかもしれない。これが本作の重要なポイントである。
名声を得つつあったシェイクスピア(ジョセフ・ファインズ)に憧れ役者になりたいと思っている資産家の娘ヴァイオラ(グウィネス・パルトロー)が男装して演技をしているところを彼に気に入られる。一方、その事実を知らないシェイクスピアは貴族と強制的に結婚させられる運命のヴァイオラを女性として愛し、やがて二人は結ばれる。この二人の秘めたる恋を取り入れて完成していくのがかの「ロミオとジュリエット」という次第。
シェイクスピアに少々詳しい方ならヴァイオラと男装という組合せから「十二夜」をも連想するはずで、実際、幕切れでは彼が実体験から「十二夜」を書いたように扱われている。当時の演劇界をある程度知っていることも本作を最高に楽しむ要素で、「フォースタス博士」で有名な劇作家クリストファー・マーローが殺される事件もストーリーに大きく絡んで実に面白い。
勿論、恋愛映画としてもうまく出来ていて、特に終盤ヴァイオラが突発的に起用される「ロミオとジュリエット」の舞台の中で実と思わせて虚である(同時にそれは実でもある)ことを明かす演出は大いに感心させられる。従って、当時の演劇事情やシェイクスピアに詳しくなくてもかなり楽しめる。ただ、知っていればその数倍の面白味が感じられるはずである。
こういう作品を作品賞に選んだアカデミー会員は案外洒落っ気があったと思い、僕はその選択を支持したい。本作が50年後に残る作品かどうかは知らないが、「ローマの休日」は60年後の今でも見られている。本作がそうなったとして何の不思議もない。
「もうひとりのシェイクスピア」も面白かった。二本併せて観るとなおよろし。
この記事へのコメント
アメリカのエンターテインメント・ウィークリー誌の記事でタイトルは「過大評価されているアカデミー賞受賞作18本」でした。
ブログに書いたかな?と思いつつ検索したら、ツイッターに書いたのを転載してたみたいですね。僕も面白く観て、★も満点だったのでカチンときたんでしょう。
「十二夜」とかクリストファー・マーローとか知らなくても、「ロミオとジュリエット」を知っているだけで楽しめますよね。
>特に終盤ヴァイオラが突発的に起用される「ロミオとジュリエット」の舞台の中で実と思わせて虚である(同時にそれは実でもある)ことを明かす演出は大いに感心させられる。
詳細は忘れてしまいましたが、この部分でハラハラドキドキしながら展開に非常に魅せられた記憶はあります。
勝手にお名前を使わせて戴き、申し訳ございません。
>エンターテインメント・ウィークリー誌
自分の審美眼と全て合うわけはないのだけど・・・
「パルプ・フィクション」を神扱いしているなど疑問多々あり。
>「ロミオとジュリエット」
舞台裏で愛を確認しているのか、と思って観ていたらそれも舞台だった・・・といった展開で、こういう映画的センスはもっと認めなければならないのではないかと思いますね。