映画評「湖中の女」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1947年アメリカ映画 監督ロバート・モンゴメリー
ネタバレあり
ハードボイルド・ミステリーのファンならレイモンド・チャンドラーの同名小説の映画化とピンと来るだろうが、僕は専ら映画史上恐らく初めて全編一人称(主観)カメラで通した実験がどう行(い)っているのかという興味で観ていた。
主観の主は勿論フィリップ・マーロウ(ロバート・モンゴメリー)である。その彼が自分をモデルにした小説の発行を打合せるため出版社に赴く。案に反して、相手をしてくれた社長秘書エイドリアン(オードリー・トッター)から社長(レオン・エイムズ)夫人の行方を探してくれと頼まれる。
捜索を行ううち夫人の愛人とされる男が殺され、彼自身も警察に犯行を疑われたりするが、刑事の一人の動向に着目して真犯人を突きとめる。
ハードボイルドものとしてそこそこ楽しめるお話である。しかし、自己紹介に相当する第一シークエンスと事件解決後の最終シークエンス、一応の変化を狙ったのか途中で挟まれるシークエンスを除いて全編主観ショットが退屈を誘う。
事象をずっと追うことになるので、全く無駄な部分を含んで必然的に長回しになり、冗長さが避けられない。特に二人だけの場面では実質一人芝居になり、マーロウの表情が解らないからどうしても単調になってしまう。終盤エイドリアンがマーロウを口説く場面が顕著である。
いくら何でも主人公の顔が全く出ないのも変なので、時に鏡を使って映す場面があるが、不自然な感は否めない(カメラが映り込むので当時の技術では本当の鏡は使えない。だから一緒にエイドリアンが映っているシーンでは鏡から視線が外れ彼女の顔を捉える時一つのショットに見せかける為に別に撮ったショットを繋げている。双子でも使わないかぎり無理なのだ)。
本来の狙いはマーロウと観客の視線を一体化させるという臨場感増幅の試みであろうが、小説と違って全編一人称カメラにはやはり無理がある。主観ショットは客観ショットとの組み合わせで初めて効果を発揮するということが疑いようのない事実であることを証明する作品となった。しかし、こういう実験映画を監督業を本業としない主演のロバート・モンゴメリーが作ろうとしたこと自体は大いに評価できると思う。
ヒッチコックの「ロープ」(1948年)ともどもショットのあり方の反面教師として記憶される映画なり。
1947年アメリカ映画 監督ロバート・モンゴメリー
ネタバレあり
ハードボイルド・ミステリーのファンならレイモンド・チャンドラーの同名小説の映画化とピンと来るだろうが、僕は専ら映画史上恐らく初めて全編一人称(主観)カメラで通した実験がどう行(い)っているのかという興味で観ていた。
主観の主は勿論フィリップ・マーロウ(ロバート・モンゴメリー)である。その彼が自分をモデルにした小説の発行を打合せるため出版社に赴く。案に反して、相手をしてくれた社長秘書エイドリアン(オードリー・トッター)から社長(レオン・エイムズ)夫人の行方を探してくれと頼まれる。
捜索を行ううち夫人の愛人とされる男が殺され、彼自身も警察に犯行を疑われたりするが、刑事の一人の動向に着目して真犯人を突きとめる。
ハードボイルドものとしてそこそこ楽しめるお話である。しかし、自己紹介に相当する第一シークエンスと事件解決後の最終シークエンス、一応の変化を狙ったのか途中で挟まれるシークエンスを除いて全編主観ショットが退屈を誘う。
事象をずっと追うことになるので、全く無駄な部分を含んで必然的に長回しになり、冗長さが避けられない。特に二人だけの場面では実質一人芝居になり、マーロウの表情が解らないからどうしても単調になってしまう。終盤エイドリアンがマーロウを口説く場面が顕著である。
いくら何でも主人公の顔が全く出ないのも変なので、時に鏡を使って映す場面があるが、不自然な感は否めない(カメラが映り込むので当時の技術では本当の鏡は使えない。だから一緒にエイドリアンが映っているシーンでは鏡から視線が外れ彼女の顔を捉える時一つのショットに見せかける為に別に撮ったショットを繋げている。双子でも使わないかぎり無理なのだ)。
本来の狙いはマーロウと観客の視線を一体化させるという臨場感増幅の試みであろうが、小説と違って全編一人称カメラにはやはり無理がある。主観ショットは客観ショットとの組み合わせで初めて効果を発揮するということが疑いようのない事実であることを証明する作品となった。しかし、こういう実験映画を監督業を本業としない主演のロバート・モンゴメリーが作ろうとしたこと自体は大いに評価できると思う。
ヒッチコックの「ロープ」(1948年)ともどもショットのあり方の反面教師として記憶される映画なり。
この記事へのコメント
ちょっと、というかかなり辛いですな。
そういえば、NHKが土曜日に浅野忠信主演で舞台を日本に置き換えた『ロンググッバイ』をやっておりますな~
けっこういけますです。
小説は三人称でも相当ちまちましているのが多いので、一人称でも基本的に変わりませんが、映画の三人称は本当の無駄が出て来ます。
気が短い僕なんかは、まず、この手のアイデアはダメですね(笑)
>『ロンググッバイ』
ほーっ、それは知りませなんだ。
ちょっと見てみようかな。