映画評「偽りなき者」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2012年デンマーク映画 監督トマス・ヴィンダーベア
ネタバレあり
ドグマ95の主張は、最初の頃、映画はうまく嘘を付いてこそ価値があると思っている僕の映画観と相容れないものがあり苦手であったが、次第にその条件を緩めるなどした結果面白い映画を多く発表するようになった。
その核の一人トマス・ヴィンダーベアが作った本作もヴァン・モリソンの名曲「ムーンダンス」から入り、自然音以外の音楽は使わないという当初のルールを破っている。
デンマークの田舎、恐らく子供の人口の減少で学校が閉鎖になった為教師の仕事を失ったマッツ・ミケルセンは、幼稚園で子供たちの面倒を見ている。線を踏むのを恐れる竹馬の友トマス・ボー・ラーセンの娘アニカ・ヴィタコプちゃんは彼が大好きで贈り物をしてキスをするが、相手が女の子であるから贈り物を受け取らずキスしたことも咎める。これが6歳にも満たない幼女の心を傷つけ、兄がポルノ雑誌を見せながら放った言葉を真似して院長に告げ口してしまう。「嫌い」という言葉から誘導されたところもある。しかし、嘘は嘘である。
院長は他の子供たちにも調査を進め、ないことを話す子供の言葉を信じ、「彼は児童虐待の常習者である」と警察に通報してしまう。しかし、警察は子供たちの話が出鱈目であることを確認して釈放する。しかし、自分たちが被害者であると思いこんだ幼女の両親に始まり、町の人々から総スカンを食い、店での買い物も容易にできず、大きな石が投げ込まれ、遂には愛犬まで殺されてしまう。
「それでもボクはやってない」と同じく冤罪のお話。しかし、こちらは制度的欠陥の問題ではなく、先入観の怖さがテーマである。デンマークは特に極端なようであるが、どの国民も子供は嘘を付かないものと思い込んでいる。子供こそ嘘を付くのに・・・だ。
後で少女がその嘘を撤回しても「嫌なことは忘れようとするもの」と庇われ、当の本人さえどうなっているか解らなくなる。解るのは線を踏めないから道の前を見ることができない自分の代わりに見てくれた親より好きだった先生が大いに困っていること、彼がいつも連れている愛犬が見えないことである。
彼は妻に引き取られた息子ラッセ・フォーゲルストラム君から寄せられる愛情もあって嫌がらせをする者への最小限の反抗に留め、少女を決して憎もうとはしない。クリスマス・イブの日、教会で彼は親友であるその父親ラーセンに掴みかかる。これはただの暴力ではなく、真摯な訴えかけであり、相手は遂にその真意を理解する。正にクリスマスならではの奇跡が起きるである。
翌年春には息子の成人祝いには親友たちが以前と変わらず、集まってくれる。しかし、どなたかも述べているように、一度疑った後真に彼の無実を信じるのはラーセン一人であり、他の隣人・友人は心底から信じることはできぬであろうし、幕切れを見る限り、彼の隣人に対する恐怖も永遠に消えまい。
「それでもボクはやっていない」がテクニカルな巧さで見せた秀作なら、こちらは容易に自分を主人公に置き換えて見ることができる内容の重量感で見せる、相当な力作である。
デンマークの地方によっては、猟銃贈呈が“元服”に相当するらしい。
2012年デンマーク映画 監督トマス・ヴィンダーベア
ネタバレあり
ドグマ95の主張は、最初の頃、映画はうまく嘘を付いてこそ価値があると思っている僕の映画観と相容れないものがあり苦手であったが、次第にその条件を緩めるなどした結果面白い映画を多く発表するようになった。
その核の一人トマス・ヴィンダーベアが作った本作もヴァン・モリソンの名曲「ムーンダンス」から入り、自然音以外の音楽は使わないという当初のルールを破っている。
デンマークの田舎、恐らく子供の人口の減少で学校が閉鎖になった為教師の仕事を失ったマッツ・ミケルセンは、幼稚園で子供たちの面倒を見ている。線を踏むのを恐れる竹馬の友トマス・ボー・ラーセンの娘アニカ・ヴィタコプちゃんは彼が大好きで贈り物をしてキスをするが、相手が女の子であるから贈り物を受け取らずキスしたことも咎める。これが6歳にも満たない幼女の心を傷つけ、兄がポルノ雑誌を見せながら放った言葉を真似して院長に告げ口してしまう。「嫌い」という言葉から誘導されたところもある。しかし、嘘は嘘である。
院長は他の子供たちにも調査を進め、ないことを話す子供の言葉を信じ、「彼は児童虐待の常習者である」と警察に通報してしまう。しかし、警察は子供たちの話が出鱈目であることを確認して釈放する。しかし、自分たちが被害者であると思いこんだ幼女の両親に始まり、町の人々から総スカンを食い、店での買い物も容易にできず、大きな石が投げ込まれ、遂には愛犬まで殺されてしまう。
「それでもボクはやってない」と同じく冤罪のお話。しかし、こちらは制度的欠陥の問題ではなく、先入観の怖さがテーマである。デンマークは特に極端なようであるが、どの国民も子供は嘘を付かないものと思い込んでいる。子供こそ嘘を付くのに・・・だ。
後で少女がその嘘を撤回しても「嫌なことは忘れようとするもの」と庇われ、当の本人さえどうなっているか解らなくなる。解るのは線を踏めないから道の前を見ることができない自分の代わりに見てくれた親より好きだった先生が大いに困っていること、彼がいつも連れている愛犬が見えないことである。
彼は妻に引き取られた息子ラッセ・フォーゲルストラム君から寄せられる愛情もあって嫌がらせをする者への最小限の反抗に留め、少女を決して憎もうとはしない。クリスマス・イブの日、教会で彼は親友であるその父親ラーセンに掴みかかる。これはただの暴力ではなく、真摯な訴えかけであり、相手は遂にその真意を理解する。正にクリスマスならではの奇跡が起きるである。
翌年春には息子の成人祝いには親友たちが以前と変わらず、集まってくれる。しかし、どなたかも述べているように、一度疑った後真に彼の無実を信じるのはラーセン一人であり、他の隣人・友人は心底から信じることはできぬであろうし、幕切れを見る限り、彼の隣人に対する恐怖も永遠に消えまい。
「それでもボクはやっていない」がテクニカルな巧さで見せた秀作なら、こちらは容易に自分を主人公に置き換えて見ることができる内容の重量感で見せる、相当な力作である。
デンマークの地方によっては、猟銃贈呈が“元服”に相当するらしい。
この記事へのコメント
狩猟民族のサガですかね~
というか人間のサガでしょうね。
3Dプリンターで拳銃を作って見せびらかして逮捕されたアホがおりますからね~
ご案内したように雨で家が水浸しになってしまい、水抜きの作業等に専念したため、昨日レスできず済みませんでした。
将来の雨漏りを防ぐ為にやっている工事なのに、何をやっているんだかTT
>狩猟民族のサガ
よく解りませんが、日本人の銃マニア等とは少し違う感覚かもしれませんね。
>3Dプリンター
医療関係等に使われるなら大いに歓迎ですが、拳銃はいかんですなあ。