映画評「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2012年アメリカ映画 監督デレク・シアンフランス
ネタバレあり
「ブルーバレンタイン」で注目させられたデレク・シアンフランス監督の次回作で、前作のインディ風作風より一歩深化したと思われる21世紀の純文学映画である。
移動遊園地で曲芸バイク・スタントを見せているライアン・ゴズリングは、スケネタクディという変な名前の町で以前の恋人エヴァ・メンデスと再会、彼女が自分の息子を産んで育てていると知った彼は彼女に別の同棲相手がいるにもかかわらず、彼女と息子の面倒を見ようと退職する。
ある時、松林でバイクを走らせているところを発掘された自動車修理工に就職斡旋と共に銀行強盗の話を持ち掛けられる。バイクで逃走した後修理工の待つトラックに乗り込むというタッグが機能して十分な生活費を稼ぐ。が、修理工がリタイアしたため単独で犯行に及んだ時足が付き、逃げ込んだ一般住宅で若い警官ブラッドリー・クーパーに撃たれて死んでしまう。
凡そ50分かかるここまでが言わば第一部で、続いてクーパーのお話に移行する。
実際には先に発砲したクーパーは、正当防衛が認められ堂々たる英雄になったものの、何となくすっきりしないものを覚える。証拠品管理室に転属すると同僚の警官たちが証拠品を着服したりする汚職を知り、持ち前の正義感と検事になりたい野心に突き動かされて検事に条件付きで告発、検事補の地位を手に入れる。
15年後順調に出世街道を歩んでいるクーパーは息子エモーリー・コーエンを昔住んでいたスケネタクディの高校に転校させる。少年は、天の配剤で、ゴズリングの息子デイン・デハーンと親しくなる。デイン君は付き合ううちに相手の父親が自分の実父を射殺した元警官であることを知る。
二世代に渡るちょっとした年代記の様相を示す三部構造の物語で、「宿命」というサブタイトルがなくても同世代の乳児が二人出て来る二部の途中で少年たちは出くわすのだろうという凡その予想がつく。
スケネタクディはインディアンの言葉で「松林の向こうの場所(原題)」といった意味らしく、ゴズリングは正にその松林での修理屋との邂逅から運命を大きく変えていき、その運命は子供世代にまで引きつがれていく。テーマは親子の情愛であろう。余程特別な事情のない限り、犯罪者も犯罪者の子供も肉親を愛さざるを得ないのである。
三部構造による運命のうねりの創出に迫力があり、特に第三部の少年たちの部分で評価を上げたくなった。アメリカの少年たちは麻薬に染まり暗澹たる思いがすることはさて置き、同じ不良でも上流階級らしい不良と下層階級の上くらいの不良との差が明確に描き分けられていて実感を伴っている点が印象深い。
その下層階級のデイン君が途中から自らのアイデンティティーに興味を覚えてクーパーを探し出し、強奪した財布に大事に残されていたスナップ写真に思うところあり、家を出て途中で買った中古バイクで西へと向かう。亡き実父を追いつつ、きっと父親から続く悲劇的な運命を断ち切ろうとするのだ、松林の反対側に行くことで。
この幕切れの感覚が実に良く、最後は青春映画のように終わる。スナップ写真の使い方も上手い。秀作と言うべし。
内容は全然違うけど、タイトルから「陽のあたる場所」を想起しましたよ。半世紀以上も前ドライサーの原作小説「アメリカの悲劇」をこのタイトルにした人はセンスがあったなあ。
2012年アメリカ映画 監督デレク・シアンフランス
ネタバレあり
「ブルーバレンタイン」で注目させられたデレク・シアンフランス監督の次回作で、前作のインディ風作風より一歩深化したと思われる21世紀の純文学映画である。
移動遊園地で曲芸バイク・スタントを見せているライアン・ゴズリングは、スケネタクディという変な名前の町で以前の恋人エヴァ・メンデスと再会、彼女が自分の息子を産んで育てていると知った彼は彼女に別の同棲相手がいるにもかかわらず、彼女と息子の面倒を見ようと退職する。
ある時、松林でバイクを走らせているところを発掘された自動車修理工に就職斡旋と共に銀行強盗の話を持ち掛けられる。バイクで逃走した後修理工の待つトラックに乗り込むというタッグが機能して十分な生活費を稼ぐ。が、修理工がリタイアしたため単独で犯行に及んだ時足が付き、逃げ込んだ一般住宅で若い警官ブラッドリー・クーパーに撃たれて死んでしまう。
凡そ50分かかるここまでが言わば第一部で、続いてクーパーのお話に移行する。
実際には先に発砲したクーパーは、正当防衛が認められ堂々たる英雄になったものの、何となくすっきりしないものを覚える。証拠品管理室に転属すると同僚の警官たちが証拠品を着服したりする汚職を知り、持ち前の正義感と検事になりたい野心に突き動かされて検事に条件付きで告発、検事補の地位を手に入れる。
15年後順調に出世街道を歩んでいるクーパーは息子エモーリー・コーエンを昔住んでいたスケネタクディの高校に転校させる。少年は、天の配剤で、ゴズリングの息子デイン・デハーンと親しくなる。デイン君は付き合ううちに相手の父親が自分の実父を射殺した元警官であることを知る。
二世代に渡るちょっとした年代記の様相を示す三部構造の物語で、「宿命」というサブタイトルがなくても同世代の乳児が二人出て来る二部の途中で少年たちは出くわすのだろうという凡その予想がつく。
スケネタクディはインディアンの言葉で「松林の向こうの場所(原題)」といった意味らしく、ゴズリングは正にその松林での修理屋との邂逅から運命を大きく変えていき、その運命は子供世代にまで引きつがれていく。テーマは親子の情愛であろう。余程特別な事情のない限り、犯罪者も犯罪者の子供も肉親を愛さざるを得ないのである。
三部構造による運命のうねりの創出に迫力があり、特に第三部の少年たちの部分で評価を上げたくなった。アメリカの少年たちは麻薬に染まり暗澹たる思いがすることはさて置き、同じ不良でも上流階級らしい不良と下層階級の上くらいの不良との差が明確に描き分けられていて実感を伴っている点が印象深い。
その下層階級のデイン君が途中から自らのアイデンティティーに興味を覚えてクーパーを探し出し、強奪した財布に大事に残されていたスナップ写真に思うところあり、家を出て途中で買った中古バイクで西へと向かう。亡き実父を追いつつ、きっと父親から続く悲劇的な運命を断ち切ろうとするのだ、松林の反対側に行くことで。
この幕切れの感覚が実に良く、最後は青春映画のように終わる。スナップ写真の使い方も上手い。秀作と言うべし。
内容は全然違うけど、タイトルから「陽のあたる場所」を想起しましたよ。半世紀以上も前ドライサーの原作小説「アメリカの悲劇」をこのタイトルにした人はセンスがあったなあ。
この記事へのコメント
アメコミやSFも好きですが、大量に出されるとウンザリするんです。
『ブルーバレンタイン』もこの作品も、ゴズリング目当てで最初は観ていましたが、ここ最近の映画の中ではかなり上位に入る満足度でした!
アメリカは伝統的に職業監督ばかりで、映像作家が少ないのですが、良い映像作家になると思います。
>アメコミやSF
いかに何でも作られ過ぎですよ。
1970年代「スーパーマン」にはワクワクさせられましたが、毎月のようにアメコミ映画版を見せられてはつまらんです。
SFも昔の「スローターハウス5」とか「サイレント・ランニング」のようなのなら大歓迎ですが、アメコミとの関係もあってアクション系ばかりでは食傷しますね。
ジャンル映画が似たようなものばかりでつまらず、ドラマに期待しているのですが、そちらもなかなか良いのに当たらないのが近年の状態。
そんな中で、この映画は見応えがありました。三部構成が上手く機能していましたし、カメラもなかなか良かった、と思います。
今年(一年遅れですが)は全体的に不調で、大不作のアメリカ映画の中では間違いなくトップクラス。現時点では、全体でもベスト10に入る位置にあります。