映画評「歩いても 歩いても」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2007年日本映画 監督・是枝裕和
ネタバレあり
是枝裕和という監督は、演技指導など映画の作り方といった大きな枠の中では、河瀨直美などと同じグループに入れて良いような気がしていたが、河瀬監督がスタイルに自縄自縛になって進歩を感じさせない、というより内容がどんどん内省的になっていくのに比べると、本作を観ると是枝監督は小津安二郎のようなホームドラマの大家になる可能性さえ感じさせる。「誰も知らない」(2004年)は内容の衝撃度と子役の演技に脱帽したのだが、本作は彼の人間観察の精密さに驚きを禁じ得ず、“端倪すべからざる才能”という表現を久しぶりに使いたくなった。小津の「東京物語」(1953年)に限りなく近い、日本ホームドラマ映画史上の傑作である。
長男の15回目の命日に次男の阿部寛が、二度目の結婚となる妻・夏川結衣やその連れ子と一緒に、今は引退した町医者の父・原田芳雄や母・樹木希林の待つ実家を訪れる。妹のYOUの一家が既に家を賑やかしている。
彼らの日常的な会話や動作がこれ以上ないと言えるほどリアルで、何ということのない一挙手一投足に生活感情の共有を覚えさせる。これだけでもこの映画は凄いと言うべきだが、それだけでは小津映画以上に何の事件もない映画に終わってしまう。それで終わっても構わないが、この映画の真価が発揮されるのはこれ以降である。
その命日には、救難した兄の代わりに水難から生き伸びた若者も訪れることになっている。この若者はフリーターをしている将来性のなさそうな人物で、父親は「あんな男の為に」と唾棄するように言い放つ。「来年もまた来てくださいね」と丁寧に言う母親の言外の意味は「簡単に苦しみを忘れさせてたまるか」ということであるということが判明する。
父親のストレートな言葉の方が人権的には問題かもしれないが、人間の怖さを感じさせる点において母親には到底及ばない。しかし、彼女は同時に、息子が黄色い蝶になって戻って来たと思う、母親なら持つであろう感情に溢れている平凡な女性でもある。彼女を筆頭にこの家に関わっている大人たちが利他的で素晴らしい部分とエゴイスティックな部分とを持ち合わせていることが色々な挿話から浮かび上がって来る。人間の弱さであり、怖さである。弱くて恐ろしい。だからこそ人間は愛すべき存在なのだと思う。
そして「そのうちに」という次男の幾つか為した約束は、ありがちなことに、いずれも決して実現することはない。エゴとまでは言えないにしても老いた親のことを思えばさっさとやるに如くはない。僕も「そのうちに」で両親について夫々悔いを残している。
彼は忸怩たる思いを言葉で表現することはないが、数年後妻との間に儲けた実子である5歳ほどの娘も連れて墓参する時、母の黄色い蝶に関する言い伝えを娘に教え、母親を乗せる(と約束したものの実現する)ことのなかった車で帰っていくのである。
是枝監督のこの車の見せ方は枝で見え隠れするロングショットで、本当にさりげない。その結果、家族ならではの情愛を漂わすこの幕切れにわざとらしさを感じることなく素直にじーんとさせられるのである。
樹木希林を筆頭に大人たちの演技も良いが、独自の演技指導法を持っているに違いない是枝監督の作品らしく子供たちが実にうまい。
本作を観る数日前草刈りをしていた時何故か小学生の時に流行った歌謡曲「ブルーライト・ヨコハマ」が頭をよぎった。この映画のタイトルは「ブルーライト・ヨコハマ」の歌詞の一部であった。僕にはこういうことがよくある。
2007年日本映画 監督・是枝裕和
ネタバレあり
是枝裕和という監督は、演技指導など映画の作り方といった大きな枠の中では、河瀨直美などと同じグループに入れて良いような気がしていたが、河瀬監督がスタイルに自縄自縛になって進歩を感じさせない、というより内容がどんどん内省的になっていくのに比べると、本作を観ると是枝監督は小津安二郎のようなホームドラマの大家になる可能性さえ感じさせる。「誰も知らない」(2004年)は内容の衝撃度と子役の演技に脱帽したのだが、本作は彼の人間観察の精密さに驚きを禁じ得ず、“端倪すべからざる才能”という表現を久しぶりに使いたくなった。小津の「東京物語」(1953年)に限りなく近い、日本ホームドラマ映画史上の傑作である。
長男の15回目の命日に次男の阿部寛が、二度目の結婚となる妻・夏川結衣やその連れ子と一緒に、今は引退した町医者の父・原田芳雄や母・樹木希林の待つ実家を訪れる。妹のYOUの一家が既に家を賑やかしている。
彼らの日常的な会話や動作がこれ以上ないと言えるほどリアルで、何ということのない一挙手一投足に生活感情の共有を覚えさせる。これだけでもこの映画は凄いと言うべきだが、それだけでは小津映画以上に何の事件もない映画に終わってしまう。それで終わっても構わないが、この映画の真価が発揮されるのはこれ以降である。
その命日には、救難した兄の代わりに水難から生き伸びた若者も訪れることになっている。この若者はフリーターをしている将来性のなさそうな人物で、父親は「あんな男の為に」と唾棄するように言い放つ。「来年もまた来てくださいね」と丁寧に言う母親の言外の意味は「簡単に苦しみを忘れさせてたまるか」ということであるということが判明する。
父親のストレートな言葉の方が人権的には問題かもしれないが、人間の怖さを感じさせる点において母親には到底及ばない。しかし、彼女は同時に、息子が黄色い蝶になって戻って来たと思う、母親なら持つであろう感情に溢れている平凡な女性でもある。彼女を筆頭にこの家に関わっている大人たちが利他的で素晴らしい部分とエゴイスティックな部分とを持ち合わせていることが色々な挿話から浮かび上がって来る。人間の弱さであり、怖さである。弱くて恐ろしい。だからこそ人間は愛すべき存在なのだと思う。
そして「そのうちに」という次男の幾つか為した約束は、ありがちなことに、いずれも決して実現することはない。エゴとまでは言えないにしても老いた親のことを思えばさっさとやるに如くはない。僕も「そのうちに」で両親について夫々悔いを残している。
彼は忸怩たる思いを言葉で表現することはないが、数年後妻との間に儲けた実子である5歳ほどの娘も連れて墓参する時、母の黄色い蝶に関する言い伝えを娘に教え、母親を乗せる(と約束したものの実現する)ことのなかった車で帰っていくのである。
是枝監督のこの車の見せ方は枝で見え隠れするロングショットで、本当にさりげない。その結果、家族ならではの情愛を漂わすこの幕切れにわざとらしさを感じることなく素直にじーんとさせられるのである。
樹木希林を筆頭に大人たちの演技も良いが、独自の演技指導法を持っているに違いない是枝監督の作品らしく子供たちが実にうまい。
本作を観る数日前草刈りをしていた時何故か小学生の時に流行った歌謡曲「ブルーライト・ヨコハマ」が頭をよぎった。この映画のタイトルは「ブルーライト・ヨコハマ」の歌詞の一部であった。僕にはこういうことがよくある。
この記事へのコメント
阿部寛さんや夏川結衣さんもよござんした。
河瀬さんは袋小路にはいてあがいている感じであります。
そうですね、特に樹木希林のお母さん、怖かったなあ。
>夏川結衣さん
最近何となく好きになってきましたよ^^
>河瀨さん
僕もそう思います。もう少し外向きの映画も作ってみたらどうですかね。
大きなお世話と言われるでしょうけど。