映画評「『雲の墓標』より 空ゆかば」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1957年日本映画 監督・堀内真直
ネタバレあり
阿川弘之の小説「雲の墓標」は高校の時に読んで感銘した記憶がある。安倍首相のように国に身を捧げる行為に感激したのではなく、本来は護ってくれるべき国の為に命を散らす虚しさや死の恐怖といった登場人物たちの葛藤が何とも言えず悲しかったのだと思う。また、「きけわだつみのこえ」を読み、生きていれば何かを成した可能性のある学生たちが数多く死んでいったことに涙したのは最近のことである。
ところで、例年8月になると少なからず日本の戦争映画が放映されたが今年はさっぱり。さすがに終戦記念日の今日は「硫黄島からの手紙」が地上波で放映されるが、日本映画にあらず。四十数年映画を観てきてこんな年は記憶にない。
政権が【集団的自衛権行使】を認めたことで、各局が禁じられてもいないのに自粛したのだろう。戦後作られた日本の戦争映画は基本的に反戦映画であり、それが戦争が出来る国にしたい政権の考えと必ずしも一致しないと各局が慮ったからということではないか。そうだとしたら、空気を読み過ぎている。反骨精神がない。そこで何年か前に録ったものの、全く知らない堀内真直という人が監督だったのでずっと観ずにいた本作を勝手に観ることにした。
昭和18年学徒動員で、帝国大学生の田村高広、田浦正巳、渡辺文雄が海軍の予備学生試験を受けて航空隊へ配属され、戦局厳しい中、最終的には敵軍艦に突っ込んで死ぬ道を歩むことになる。
三人は親友であったものの、考えは各々違っていて、国家の為に殉じようとする田村に対して田浦は馬鹿馬鹿しい行為と思っている。彼自身はそれを「自分が卑怯者だからか」と煩悶する一方、田村も熊本で知り合った女性・岸恵子への思いもあり、そう割り切れてはいない心情を吐露する。姉・高峰秀子に育てられた渡辺が一足先に散り、二人は後を追う。
どんな戦争映画でも、国と個人の関係は必ず描かれる。この映画は、その点において、偏った色はない。ただ、登場人物に様々な迷いがある以上、厭戦的に見える。まして、将来言論統制がされる時があるなら、この作品くらいでも反戦的として観ることが出来なくなるだろう。
一つ気になったことがある。岸恵子演ずる女性が原作の鹿児島ではなく熊本県水俣に住んでいるのである。この改変は、作者の心底に本作製作の前年1956年に発生した水俣病への言及の意図があったものと思われるが、戦争との関連性が薄く(?)余り意味がないのではあるまいか。
監督の力量はよく解らないが、松竹らしいソフトで叙情的なタッチで進行、原作が日記と手紙の交換という手法で生み出した迫力には及ばないものの、一通りの余韻を残して終わる。
主人公が「万葉集」を愛読していたから、「海ゆかば」の和歌をもじって「空ゆかば」にしたんだね。
1957年日本映画 監督・堀内真直
ネタバレあり
阿川弘之の小説「雲の墓標」は高校の時に読んで感銘した記憶がある。安倍首相のように国に身を捧げる行為に感激したのではなく、本来は護ってくれるべき国の為に命を散らす虚しさや死の恐怖といった登場人物たちの葛藤が何とも言えず悲しかったのだと思う。また、「きけわだつみのこえ」を読み、生きていれば何かを成した可能性のある学生たちが数多く死んでいったことに涙したのは最近のことである。
ところで、例年8月になると少なからず日本の戦争映画が放映されたが今年はさっぱり。さすがに終戦記念日の今日は「硫黄島からの手紙」が地上波で放映されるが、日本映画にあらず。四十数年映画を観てきてこんな年は記憶にない。
政権が【集団的自衛権行使】を認めたことで、各局が禁じられてもいないのに自粛したのだろう。戦後作られた日本の戦争映画は基本的に反戦映画であり、それが戦争が出来る国にしたい政権の考えと必ずしも一致しないと各局が慮ったからということではないか。そうだとしたら、空気を読み過ぎている。反骨精神がない。そこで何年か前に録ったものの、全く知らない堀内真直という人が監督だったのでずっと観ずにいた本作を勝手に観ることにした。
昭和18年学徒動員で、帝国大学生の田村高広、田浦正巳、渡辺文雄が海軍の予備学生試験を受けて航空隊へ配属され、戦局厳しい中、最終的には敵軍艦に突っ込んで死ぬ道を歩むことになる。
三人は親友であったものの、考えは各々違っていて、国家の為に殉じようとする田村に対して田浦は馬鹿馬鹿しい行為と思っている。彼自身はそれを「自分が卑怯者だからか」と煩悶する一方、田村も熊本で知り合った女性・岸恵子への思いもあり、そう割り切れてはいない心情を吐露する。姉・高峰秀子に育てられた渡辺が一足先に散り、二人は後を追う。
どんな戦争映画でも、国と個人の関係は必ず描かれる。この映画は、その点において、偏った色はない。ただ、登場人物に様々な迷いがある以上、厭戦的に見える。まして、将来言論統制がされる時があるなら、この作品くらいでも反戦的として観ることが出来なくなるだろう。
一つ気になったことがある。岸恵子演ずる女性が原作の鹿児島ではなく熊本県水俣に住んでいるのである。この改変は、作者の心底に本作製作の前年1956年に発生した水俣病への言及の意図があったものと思われるが、戦争との関連性が薄く(?)余り意味がないのではあるまいか。
監督の力量はよく解らないが、松竹らしいソフトで叙情的なタッチで進行、原作が日記と手紙の交換という手法で生み出した迫力には及ばないものの、一通りの余韻を残して終わる。
主人公が「万葉集」を愛読していたから、「海ゆかば」の和歌をもじって「空ゆかば」にしたんだね。
この記事へのコメント
これはもう、まさにプロフェッサーの喝破した通りですね。
テレビは、その弱腰を見透かされている・・。
>例年8月になると少なからず日本の戦争映画が放映されたが今年はさっぱり
我々の子供のころは、8月といえば、テレビ放映や自治体の映画教室などで、夥しいといって過言ないほどの量の戦争映画に触れることができました。中で、岡本喜八の『日本の一番ながい日』は、セリフを暗記するほど好きで良く観ました。
ポツダム宣言受諾に反対し、徹底抗戦を呼びかける陸軍省の青年将校たち〈黒沢年夫、高橋悦司〉のセリフにさえ、反戦の響きがちりばめられています。
「天皇がやめろと言われるからやめる。聞こえはいいがこれは軍の欺瞞であり責任逃れです」
あるいは、児玉基地の特攻出撃シーンにおける、差し入れのおはぎにむしゃぶりつく搭乗員の姿。
将校らとは別途に反乱を企てた大尉〈天本英世〉率いる横浜警備隊の学生(阿知波信介)がポケットに隠し持っている岩波文庫の『出家とその弟子』
僕らが観た戦争映画とは、文字通り反戦の誓いであり、鎮魂歌に相違なかったはずですね。
浅野さんの引用された部分が書きたくて、本作を観たようなものであります。
年によっては「またかい」というくらい放映されたものですが、先日今年のこの奇怪な現象に気付き、策を練ったわけです。
>『日本の一番ながい日』
確かによく記憶されていますね。
非常に素晴らしい作品で、僕も十年に一度くらいは見返すのですが、さすがにここまでは記憶しておりません。
>ポツダム宣言
鈴木貫太郎首相は本当にぎりぎりのところで助かった、と「報道ステーション」で取り上げられていました。
>僕らが観た戦争映画とは、文字通り反戦の誓いであり、鎮魂歌に相違なかったはずですね。
仰る通りだと思います。
映画人はこの69年間と同様まだ戦うでしょう。
しかし、TV局の気骨のなさには呆れ返るばかり。情けないとしか言いようがありませんよね。
『はだしのゲン』は再放送しているようですし・・・
まあ、アベさんに遠慮したというより視聴者が興味を持たなくなったというのもあるでしょうね。
現在の世界情勢は、第一次対戦前夜とよく似ているそうでありますが、どうなりますことやら・・・・
世界中できのこ雲が上がらないことを祈るばかりであります。
昨年までは一生懸命放映していたNHKは、八月だけでも衛星放送で18回ほどの放映機会があったのに一本もなし、というのは異常と言うか、会長や経営委員が安倍さんのお友達みたいな人が揃えられましたから、さもありなんという感じがしております。
民放については、確かに15日のTV欄を観るとそれらしきものをフジテレビがやっておりましたが、映画は記憶する限りなかったです。
一部の地方自治体や明治大学が護憲・半原発推進など政治的な集会に会場を貸さなかったり、わが群馬における記念碑問題、等々、国が言論統制を始める前にもう始まっちゃったのかという印象も受けているので、一応そんなことを述べてみたわけですが。
「はだしのゲン」は学校図書館における閲覧制御問題が、要求した側と狙いとは逆に「読め」という雰囲気になったのは幸いでした。閲覧制限を要求したグループは「残酷な描写があるから」と理由を言っていましたが、本当は「日本人が悪く書かれているから」でしょう。そういうおためごかしはいけないですよね。
>世界情勢
世界的には第一次大戦、日本的には太平洋戦争前という感じですかなあ。
悪名高き「治安維持法」も当初は「一般国民に適用されることはない」と言われて成立しましたが、徐々に適用範囲が広がり最終的には夥しい一般国民が逮捕され、少なからぬ人が亡くなっています。
「秘密保護法」の議論でも自民党のお偉方が「一般国民に適用されることなどあるわけないじゃないですか」と全く同じことを言っていて却ってゾッとしましたね。明らかに違憲である法律ですが、今までの例を見ると日本の最高裁も腰抜けだから。
実際どうなるか解りませんが、成熟してきたとは言え、ロシヤや中国を見ても人間は所詮バカなので悪い方向に行くかもですね。