映画評「少年H」(地上波放映版)
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2012年日本映画 監督・降旗康男
ネタバレあり
今や読書は映画鑑賞をしのぐ第一の趣味となった感を持っているが、流行を追わないから芥川賞や直木賞を受賞しても半分以上は知らない。とにかく僕の読書予定リストに上っている作品は新しくても1960年代、古くは3000年くらい前の古典である(勿論事情に応じてリストにない新しい作品も読む)。そんな僕が何故か専門の小説家でもない舞台美術家・妹尾河童氏の「少年H」はタイトルだけ知っていた。
映画化されるのに15年もかかったのは何故か知らないが、放映時期としてはある意味グッド・タイミングだろうか。しかし、8月15日より前に放映しなかったのは大いに不満だ。そうすれば”今夏は戦争映画の放映がない”などと言うために無理に「空ゆかば」映画評も書かずに済んだのに。
本作の劇場公開時の上映時間は122分、放映版は115分。3分くらいエンド・ロールがあると考えれば実質4分くらいのカットで、大勢に影響はないと思われる(から観たのであるが)。
昭和16(1941)年4月がお話の始まり。父親(水谷豊)が紳士服仕立屋をしているクリスチャンの一家に育った妹尾肇少年(吉岡竜輝)が、クリスチャンにして外国人との付き合いが多い仕事であるが故に父親がスパイ容疑で特高に拘束されて取り調べを受け、自身が学校で差別され、町でよく知るお兄さんたちが思想犯として逮捕されたり出征を嫌って自殺するのを見、進学した中学校(今の中学+高校にほぼ相当)で違うタイプの教官殿と遭遇、空襲で燃える家から父親のミシンを出そうとして結局果たせない、といった経験をした末に、妹(花田優里音)も疎開先から無事戻って来た1946年自立して働くことを決意する。
恐らく1930年生まれの少年肇(H)君のような戦中派にとって一番我慢がならないのは、戦時中の非人道的な行為の数々ではなく、戦後軍国主義だった人の大部分がこぞって民主主義を猫なで声を出して歓迎している様であろう。彼を殴った教官殿が共産党立候補者の演説に聞き入っている節操のなさぶりにはH君でなくても「阿呆か」と言いたくなる。
外国人と交流のある仕立て屋であろうが、クリスチャンであろうが、他の国民の為に一生懸命働く。そうした彼らが場合によっては非国民扱いされる。
しかし、そもそも国なんてものは為政者(元首、一部の政治家や高級官僚)そのものに過ぎないと思っている。それが証拠に敗戦により体制が変われば、まるで別の様相を示すではないか。それなら国民・非国民とは何かと思いを馳せる。非国民とは、国にほかならないごく一部の人々のそれと違う思想を持っているだけではないのか。
小学校時代協調性が高いと言われた僕だが、流行を追うのが嫌いであるように敢えて多数の考えと同調する必要性を感じない。少なくともファシズムは嫌いである。宗教も他の宗教・宗派を否定する考えは嫌いである。その点本作の父親は立派であった。キリスト教が最高などとは一言も言っていない。他を批判することは、自分が他から批判されることと何ら変わらない、と言うのである。
閑話休題。
降旗康男は「冬の華」などを作っていた頃はスタイリッシュな正統派という独自の印象があり、そのスタイルが時に鼻を突くことがあったが、近年はごく(或いは相対的にだろうか?)オーソドックスになった感があり、一般的には見やすくなった反面、本作のように色々なエピソードがたて続けに出て来ると、型に流れエピソードが羅列になっている印象を禁じ得ない。特に自殺する青年をめぐってはもう少し少年の心情を強調し情緒的に扱った方が良かったと思う。
しかし、映画としての最大の欠点は、「沈まぬ太陽」と同様に5年間を同じ子役たちに演じさせていることである。成長期のあの時期なら2年に一度くらい変えても良いくらいで、さすがに不自然と言わざるを得ない。大人の事情があったのだろうけどね。妻(子供たちの母親)役に水谷豊の実際の細君である伊藤蘭が起用されているのは面白い。既に洋楽をバリバリ聞いていたので特別ファンではなかったが、キャンディーズはさすがにリアルタイムでよく聴いた(どちらか言えば“聞いた”)。
良い映画かどうかは映画観による部分もあるが、常識のある人が本作を見れば厭戦的になってしかるべし。
今日、高校野球選手権においてわが群馬県代表の健大高崎が惜敗。ルールに負けた(勝ち越しと思った瞬間に打者の守備妨害の判定)かもしれないなあ。しかし、戦争と違ってスポーツの敗戦は後味悪くない。
2012年日本映画 監督・降旗康男
ネタバレあり
今や読書は映画鑑賞をしのぐ第一の趣味となった感を持っているが、流行を追わないから芥川賞や直木賞を受賞しても半分以上は知らない。とにかく僕の読書予定リストに上っている作品は新しくても1960年代、古くは3000年くらい前の古典である(勿論事情に応じてリストにない新しい作品も読む)。そんな僕が何故か専門の小説家でもない舞台美術家・妹尾河童氏の「少年H」はタイトルだけ知っていた。
映画化されるのに15年もかかったのは何故か知らないが、放映時期としてはある意味グッド・タイミングだろうか。しかし、8月15日より前に放映しなかったのは大いに不満だ。そうすれば”今夏は戦争映画の放映がない”などと言うために無理に「空ゆかば」映画評も書かずに済んだのに。
本作の劇場公開時の上映時間は122分、放映版は115分。3分くらいエンド・ロールがあると考えれば実質4分くらいのカットで、大勢に影響はないと思われる(から観たのであるが)。
昭和16(1941)年4月がお話の始まり。父親(水谷豊)が紳士服仕立屋をしているクリスチャンの一家に育った妹尾肇少年(吉岡竜輝)が、クリスチャンにして外国人との付き合いが多い仕事であるが故に父親がスパイ容疑で特高に拘束されて取り調べを受け、自身が学校で差別され、町でよく知るお兄さんたちが思想犯として逮捕されたり出征を嫌って自殺するのを見、進学した中学校(今の中学+高校にほぼ相当)で違うタイプの教官殿と遭遇、空襲で燃える家から父親のミシンを出そうとして結局果たせない、といった経験をした末に、妹(花田優里音)も疎開先から無事戻って来た1946年自立して働くことを決意する。
恐らく1930年生まれの少年肇(H)君のような戦中派にとって一番我慢がならないのは、戦時中の非人道的な行為の数々ではなく、戦後軍国主義だった人の大部分がこぞって民主主義を猫なで声を出して歓迎している様であろう。彼を殴った教官殿が共産党立候補者の演説に聞き入っている節操のなさぶりにはH君でなくても「阿呆か」と言いたくなる。
外国人と交流のある仕立て屋であろうが、クリスチャンであろうが、他の国民の為に一生懸命働く。そうした彼らが場合によっては非国民扱いされる。
しかし、そもそも国なんてものは為政者(元首、一部の政治家や高級官僚)そのものに過ぎないと思っている。それが証拠に敗戦により体制が変われば、まるで別の様相を示すではないか。それなら国民・非国民とは何かと思いを馳せる。非国民とは、国にほかならないごく一部の人々のそれと違う思想を持っているだけではないのか。
小学校時代協調性が高いと言われた僕だが、流行を追うのが嫌いであるように敢えて多数の考えと同調する必要性を感じない。少なくともファシズムは嫌いである。宗教も他の宗教・宗派を否定する考えは嫌いである。その点本作の父親は立派であった。キリスト教が最高などとは一言も言っていない。他を批判することは、自分が他から批判されることと何ら変わらない、と言うのである。
閑話休題。
降旗康男は「冬の華」などを作っていた頃はスタイリッシュな正統派という独自の印象があり、そのスタイルが時に鼻を突くことがあったが、近年はごく(或いは相対的にだろうか?)オーソドックスになった感があり、一般的には見やすくなった反面、本作のように色々なエピソードがたて続けに出て来ると、型に流れエピソードが羅列になっている印象を禁じ得ない。特に自殺する青年をめぐってはもう少し少年の心情を強調し情緒的に扱った方が良かったと思う。
しかし、映画としての最大の欠点は、「沈まぬ太陽」と同様に5年間を同じ子役たちに演じさせていることである。成長期のあの時期なら2年に一度くらい変えても良いくらいで、さすがに不自然と言わざるを得ない。大人の事情があったのだろうけどね。妻(子供たちの母親)役に水谷豊の実際の細君である伊藤蘭が起用されているのは面白い。既に洋楽をバリバリ聞いていたので特別ファンではなかったが、キャンディーズはさすがにリアルタイムでよく聴いた(どちらか言えば“聞いた”)。
良い映画かどうかは映画観による部分もあるが、常識のある人が本作を見れば厭戦的になってしかるべし。
今日、高校野球選手権においてわが群馬県代表の健大高崎が惜敗。ルールに負けた(勝ち越しと思った瞬間に打者の守備妨害の判定)かもしれないなあ。しかし、戦争と違ってスポーツの敗戦は後味悪くない。
この記事へのコメント
色々手を考えないと圧力がかかるかもしれませんからね。
ねこのひげも行列に並ぶのは嫌いな方なので、ベストセラーにはめったに手を出しません。
読んだ後にベストセラーになったりヒットしたりすると、胸の中でちょっと自慢に思う根性の悪さがありますです(*_*)
夫婦が夫婦を演じるという面白さがありましたね。
プロフェッサーが今月になって書かれた、戦争関連の映画レビューの中でも、特にこの部分はキモですね・・。
子供のころ、社会面ニュースで、「国の判断は・・」等のニュースを聴くたびに、「判断をするのも人間だろう・・」と、顔のない国族くにぞく〈コクゾクではない・・かな(笑)とでも呼ぶべき、一部の特権階級の人々のことを想像しておりました。
〉健大高崎
他県出身選手の多さからか、県外高崎などと陰口が聞かれるのも、強豪校の証なんでしょうね・
昔は、1回戦敗退どころか、北関東大会で、作新学院などお隣の栃木代表に競り負け、甲子園に行けずなんて年もあったことを思えば、昔日の感がありますね。
女子バレーも、廃部ぶりっど6導入の成果が表れているようで、王者ブラジルにどこまで迫れるのか楽しみですね。
何か、新しいアイドルユニットみたいな言葉を打ってしまいました笑
当然ながらハイブリッドの間違いです。
書籍などはかなり積極的に戦争について考えようとしていますが、テレビ局はいま一つ積極的でない感じがしておるのです。考えすぎかもしれませんが。次の経済成長率が悪かったら、安倍さんの支持率は確実に急落しますね。強引な手法がそれまで経済の好調さから支持していた層からでさえ嫌われ始めましたから。
>ベストセラー
僕の読むのは大半は昔のベストセラーですけどね(笑)
ねこのひげさんのようにアンテナが発達していないので、楽な古典から手を付けております。
後十年あれば大体読み終わる。それまで人生が続くように願っていますよ。
>根性の悪さ
いや、いいんじゃないですか。
僕も中学の時「激突!」一本でスピルバーグは大物になると言って、本当になりましたから、何だかうれしかったり^^
>夫婦が夫婦を演ずる
リチャード・バートンとエリザベス・テイラー、ポール・ニューマンとジョアン・ウッドワードなどが僕は印象に残っています。
でも、伊藤蘭はそれほど外に出ていなかったから、また違う感慨がありました。
>
国は人ですよ。
右派の方々は国があたかも具体的な存在であるかのように仰いますが、結局は一握りの権力者。戦争は、学校で言えばお山の大将を守るために、無関係の生徒が他の学校へ殴り込みに行くようなもの。馬鹿馬鹿しいですよね。
「秘密保護法」成立前に町村氏が「国民に適用されることは原則ない」と仰いましたが、究極の嘘です。
人間が間違いを犯すから法律があるわけです。それは運用する人間にも間違いがあることを意味し、そんな何の担保もない約束を信じろというのは無理です。「治安維持法」成立の時も当時の政治家は「国民には適用されない」と公言して、結局数十万人の逮捕者を出し、少なからず人を殺しました。歴史は繰り返す。こんな曖昧な法律では怖くてなりません。秘密保護転じて言論統制にならなければ良いですね。
>健大高崎
優勝した時の桐生第一はほぼ地元ということで評価されましたよね。
しかし、今夏のベスト8の顔ぶれを見ても、昔から強いと言われたのは大阪代表と沖縄代表くらい。
今世紀に入るまで碌に勝ったことのなかった青森、新潟は勿論、中級クラスの福島、わが群馬も入りました。三重や福井もどちらかと言えば強豪県ではなかったです。
どこもかしこも他の府県から有望な選手を呼び寄せるか、或いは勝手に入って来るかで、強くなっている。私立高校の半ばプロ野球化は仕方がないのでしょう。
わが母校は、北関東大会決勝で栃木代表の宇都宮学園に負けました。夏の甲子園切符の一番のチャンスだったのだけれど、力負け。