映画評「八つ墓村」(1977年版)
☆☆☆(6点/10点満点中)
1977年日本映画 監督・野村芳太郎
ネタバレあり
1970年代半ば角川書店商法により映画界に横溝正史ブームが起き、各社が競い合うように名探偵・金田一耕助ミステリーの製作に乗り出した。一番成功したのが角川映画の市川崑監督=石坂浩二主演コンビ版であることは、5本作られた(リメイクは除く)以上間違いないし、個人的にもこのコンビ作がお気に入りである。
大昔になる初鑑賞時、既に石坂耕助にしびれていたこともあり、渥美清の金田一耕助には不満を覚えた。演技上の不満ではなく、彼には余りにも寅さんとしてのイメージが出来上がっているが故の違和感であった。
今回は前回より評価したいと思うものの、市川版に倣って(?)ちょっとコミカルな味付けがされているのが渥美清では当たり前すぎてつまらぬ、というひねくれた印象は変わらない。どうも済みません。
原作では終戦直後だった時代背景が映画製作の同時代に変更され、いざ開巻。
東京で働いている寺田辰弥(萩原健一)が、彼を岡山の実家である多治見家に呼び戻す為に上京した母方の祖父・井川丑松(加藤嘉)を眼前で毒殺され、多治見家と並ぶ村の財産家の未亡人・森美也子(小川真由美)に連れられて実家に赴く。
彼の目的は、生まれた場所と亡き実父の多治見要蔵をよく知る為だが、当家の現主人で病死を待つだけの長男・久弥(山崎努)も眼前で毒殺され、続け様に関わざるを得なくなった葬式や初七日で逗留を続けるうちに更なる殺人事件が次々と発生、戦国時代に端を発する祟りへの恐怖におののく村人が辰弥を逆恨みして騒ぎ始め、帰るにも帰れなくなる。
地方の旧家を巡っておどろおどろしい事件が起こる、というのは横溝ミステリーの典型だが、いつもと違うのは金田一耕助の出番が少ないこと。主人公が原作では一人称で陳述する辰弥だからである。三年ほど前に原作を読み返した時も出番の少なさに驚いたが、この映画化でもその点に改変なし。
結果的に本格ミステリーとしての性格が薄く、渥美耕助は人物関係についてはつぶさに調べるものの事件については殆ど語らない。その昔市川版と比較した時物足りなかったもう一つの理由である。
翻って、当時若輩につき思いが至らなかった人間の運命の不思議さに注目して観ると、どうも「砂の器」(1973年)の再現を図ったらしい野村芳太郎監督=橋本忍脚本コンビの狙いはなかなか上手く成就されているのではないかと思う。ただ終盤はじっくりを超えてモタモタした感がなくもなく、評価が伸び切らない。
戦後の片岡千恵蔵版は問題外でした。
1977年日本映画 監督・野村芳太郎
ネタバレあり
1970年代半ば角川書店商法により映画界に横溝正史ブームが起き、各社が競い合うように名探偵・金田一耕助ミステリーの製作に乗り出した。一番成功したのが角川映画の市川崑監督=石坂浩二主演コンビ版であることは、5本作られた(リメイクは除く)以上間違いないし、個人的にもこのコンビ作がお気に入りである。
大昔になる初鑑賞時、既に石坂耕助にしびれていたこともあり、渥美清の金田一耕助には不満を覚えた。演技上の不満ではなく、彼には余りにも寅さんとしてのイメージが出来上がっているが故の違和感であった。
今回は前回より評価したいと思うものの、市川版に倣って(?)ちょっとコミカルな味付けがされているのが渥美清では当たり前すぎてつまらぬ、というひねくれた印象は変わらない。どうも済みません。
原作では終戦直後だった時代背景が映画製作の同時代に変更され、いざ開巻。
東京で働いている寺田辰弥(萩原健一)が、彼を岡山の実家である多治見家に呼び戻す為に上京した母方の祖父・井川丑松(加藤嘉)を眼前で毒殺され、多治見家と並ぶ村の財産家の未亡人・森美也子(小川真由美)に連れられて実家に赴く。
彼の目的は、生まれた場所と亡き実父の多治見要蔵をよく知る為だが、当家の現主人で病死を待つだけの長男・久弥(山崎努)も眼前で毒殺され、続け様に関わざるを得なくなった葬式や初七日で逗留を続けるうちに更なる殺人事件が次々と発生、戦国時代に端を発する祟りへの恐怖におののく村人が辰弥を逆恨みして騒ぎ始め、帰るにも帰れなくなる。
地方の旧家を巡っておどろおどろしい事件が起こる、というのは横溝ミステリーの典型だが、いつもと違うのは金田一耕助の出番が少ないこと。主人公が原作では一人称で陳述する辰弥だからである。三年ほど前に原作を読み返した時も出番の少なさに驚いたが、この映画化でもその点に改変なし。
結果的に本格ミステリーとしての性格が薄く、渥美耕助は人物関係についてはつぶさに調べるものの事件については殆ど語らない。その昔市川版と比較した時物足りなかったもう一つの理由である。
翻って、当時若輩につき思いが至らなかった人間の運命の不思議さに注目して観ると、どうも「砂の器」(1973年)の再現を図ったらしい野村芳太郎監督=橋本忍脚本コンビの狙いはなかなか上手く成就されているのではないかと思う。ただ終盤はじっくりを超えてモタモタした感がなくもなく、評価が伸び切らない。
戦後の片岡千恵蔵版は問題外でした。
この記事へのコメント
角川の映画のほうが、画面全体の絵の作り方が、いかにも横溝ミステリーの世界、本格派だけれどもけれんみがあって派手で楽しい、それに合っていたと思います。
渥美さんの金田一は違和感ありました。
話は面白かったですがね。
八つ墓村の事件は、実際にあった話を元にしていて、いまでは考えられないですが、その事件をデパートで紹介していて、血まみれの着物などが展示されていたのをおぼろげながら覚えていますよ。
小学校低学年か幼稚園だったかな・・・・
>小川真由美
あれはトラウマになりますよね。
ぼかぁ、よく憶えていなくて良かった(笑)
>角川
崑ちゃんはミステリー好きですし、凝った作り方をしてミステリーらしさを良く出していましたね。
おどろおどろしいけれど、カラッとした作りなので意外と後味が良いですしね。
>金田一
石坂浩二氏は元来二枚目ですのにああいうとぼけた役をやらせたところが良かったと思います。
しかも、彼自身がインテリですから、探偵のような知識のある人物が似合うという面もありましたね。
渥美清は、教育のない“寅さん”のイメージが強く、こちらの思い込みがあるにしても、それも映画の難しさでしょう。
>実際にあった事件
個人の起こした犯行では、きっと人数的に日本史上最悪の犯罪ですよね。
日本でもこんな事件があったとは(@_@)
本作は、辰弥出生の謎、そしてそれに絡む複数の要因と複数の愛が描きどころとなります。そして、原作で最後重要となる『繰り返される細胞の歴史、その執拗』を描くとしたならば里村典子の存在は大きく、これが核となる鶴子の愛をより深く描くことおとなり辰弥の出生の謎へとつながります。
そういった面ではとても私は残念な作品であると感じます。個人的にはショウーケンがみどころですかね(笑)。
>里村典子
たった3年前に原作を読んだばかりなのにもう忘れています。
困ったものです^^;
映像化の際、限られた時間の中で整理しようとすると、どうしても削除の対象となる位置にいるようですね。
本作最大の謎は、事件ではなく、辰也出生の謎というご意見だと思いますが、慧眼だと思います。すると、金田一の活躍が少ないのも理解できるというものです。