映画評「ダーク・タイド」

☆(2点/10点満点中)
2011年アメリカ=南アフリカ合作映画 監督ジョン・ストックウェル
ネタバレあり

サメ関連のドキュメンタリーを撮影中に同僚をサメで失った女性海洋生物学者ハリー・ベリーはそれ以来サメから遠ざかり、オットセイ・ツアーで食いつないでいるが、大切な船を差し押さえられそうなピンチを迎える。そんな折事故以来疎遠になっていた映像作家の夫(?)オリヴィエ・マルティネスから、ケージなしでサメと一緒に泳ぎたいという変な欲望を持つ富豪ラルフ・ブラウンを紹介され、その息子ルーク・タイラーらと共に海に出る。

今年観た映画の中で最も訳の解らない作品である。WOWOWでも海洋パニック映画と紹介されているが、映画の中にパニックはないと思った方が良い。パニックに陥るのは観客の方である。

映画はヒロインと夫だかとの不仲と、この類の冒険映画で必ず出て来る親子の確執を懇切丁寧に(皮肉ですぞ)描いた挙句、やっと「それらしくなるぞ」と期待が高まるのも束の間、海の中は勿論何故か突然夜になったらしく外も真っ暗で誰が何をやっているのか殆ど何も解らずがっかり。99%のお客はここを観に来たと思うが、これでは泥棒に等しい。少なくともこのサスペンス場面がもう少し解るように作られていたらもう少し☆を上げることができたものを。

基本的にサスペンスを醸成する気もなさそうな無気力な作り方で、どちらかと言えば二組の仲の悪さがこんがらがった結果が悲劇に繋がるというドラマを見せるつもりだったのではないかと思っているのだが、何もかも中途半端で一体何を見せたかったのか皆目解らない。
 引き返そうとしたハリーがサメのいる危険な地帯へ無理に船を向けるのも周囲の人物への怒りが元で、これはまあよろしい。この傲慢な父親が癌で余命が三ヶ月という設定が映画を訳の解らないものにした。つまり、ここで息子の方が死ねば、傲慢が招いた悲劇という理解もできるのに、死ぬのは操舵士とこの父親である。操舵士は気の毒だが、父親が死んでも“自業自得”の印象しか残らない上に、「余命三ヶ月なら良いよね」という印象に繋がりかねず、全くマイナスの効果しかない。

唯一の見せ場は、比較的明るいところでサメとダイバーが泳ぐところくらい。これを観る為に114分付き合わなければならないのは正に拷問と言うべし。

日本では“ハル・ベリー”という表記が目立つが、アメリカのTV番組で“ハリー・ベリー”と発音するのを聞いたことがあるので、僕はそれに倣って書いております。

この記事へのコメント

ねこのひげ
2014年09月14日 07:52
ハル・ベリーの方が、アクセントがあって良い感じがします。
たぶん、それででしょうね。
ハリーというと男っぽいですしね。
ハル・ベリーは、時々わけのわからない映画に出ますね。
エージェントがよくないのか?
オカピー
2014年09月14日 16:37
ねこのひげさん、こんにちは。

外国人の名前の表記は難しいです。
発音通りには最初から書けないにしても、なるべく近づけたいと思っております。
今発音関係のサイトに行って確認しましたが、やはり“ハリー”でした(良かった^^)
かと言ってマクドナルドのように本来の発音とは大分違っても今更ジローのケースもありますしね。

>エージェント
IMDbに「エージェントを首にしろ」という投稿がありましたよ^^

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